第15話:石が、すべて話してくれましたわ
布が外されると講堂は、水を打ったように静まった。
王太后の遺愛のブローチ。
掌に収まるほどの銀細工の花束だった。中央に真珠がひと粒、花弁に小粒の金剛石。細工は羽根のように繊細で、六十年の歳月が、銀の表面に深い艶を沈ませている。
「公開鑑定、先攻——グランツ商会」
ペルラが、進み出た。
ノエリアは妹の横顔を見て、すこしだけ、眉を寄せた。頬の薔薇色が今日は白い。握る指が、強すぎる。
(ペルラ。あなた、今日は——おやめなさい)
声にならなかった。
「皆さま、ご覧くださいまし。王太后さまの御品にグランツの光のご挨拶を」
ペルラは手鏡のかたちの飾りを、高く、高く、掲げた。
強く。誰よりも強く。今日だけは。
——光が、爆ぜた。
いつもの柔らかな七色では、なかった。講堂の天井まで届くような、白々とした強い光が、ブローチに叩きつけられ——。
ぎ、ち。
ノエリアの耳がいや、眼がそれを捉えた。光の膜が、軋む音。濁りが、渦を巻く。光は、ブローチの繊細な銀細工の上で、行き場を失ったように、暴れ——。
「——ペルラ! おやめなさいっ!」
姉の声とそれは同時だった。
ぱきん、と。
硝子の割れる、澄んだ音がした。
光が消えた。
ペルラの手の中で手鏡のかたちの飾りが、罅割れていた。割れた硝子の奥から、ほどけた光の糸のようなものが、しゅるしゅると空気に溶けていく。誰の目にもそれは見えた。——石ではないものが、光っていたことが、誰の、目にも。
講堂は、静まり返っていた。その静けさがやがて底のほうから、揺れ始める。
「……今の、は」「光はあの手鏡から、出ていたのか……?」「では石が光っていたのでは、なく」「グランツの『光る鑑定』は——」
ざわめきが、地鳴りのように育っていく。ペルラは割れた札を握りしめたまま、動けずにいた。白い頬から、最後の血の気が、引いていく。
三百の視線の意味を彼女は、誰よりも正確に理解していた。栄光の絶頂から、奈落までの距離が、たった硝子一枚だったことも。
「せ、説明を……グランツ商会、説明をなさい!」
審査員席から、声が飛ぶ。
ドラートだけが、何も言わず、にこにこと——その目で、割れた札を冷たく見下ろしていた。壊れた道具を見る、目だった。もう使えない。そういう目。
ペルラの唇が、戦慄いた。何か言おうとして、何も出てこない。
——その、時。
「——審査員の、皆さま」
凛とした声が、講堂のざわめきを断った。ノエリアが、鑑定卓の前に進み出ていた。
「後攻の鑑定を始めても、よろしくて? ……王太后さまの御品をこれ以上お待たせするのは、忍びませんわ」
虚を突かれた進行役が、慌てて、頷く。ノエリアは、妹の方を見なかった。割れた札のことにも、光のからくりにも、ひとことも、触れなかった。ただ、ブローチの前に膝を折り、いつものように小さく頭を下げた。
「ごきげんよう。……ずいぶんと驚かれましたでしょう。もう大丈夫ですわ」
ぱちりと白手袋。
ルーペ。光源。長い、丁寧ないちばん丁寧な沈黙。
「銀細工は六十年前、王室工房の手。銘はありませんが、花弁の打ち出しに当時の筆頭細工師の癖が、残っておりますわ。中央の真珠は南海の天然。——そして」
彼女はブローチの裏面を光に透かした。
「裏に彫りがございます。摩耗していて、肉眼では読めません。ですが、蝋を薄く引いて写し取れば——」
立会人の手で拓本が取られた。エルネストが、読み上げる。
「『……我が永遠の友へ』」
講堂がしん、とする。
「王太后さまはこれを王妃時代から、公式の場で必ず左胸に。記録にございますわ。けれど贈り主は国王陛下ではございません。彫りの文字は——女性の、手ですもの」
ノエリアは静かに続けた。
「六十年前、輿入れのとき。故国から一人だけ連れてきた乳姉妹が、嫁ぐ友に贈った、餞。王室の記録の隅にそれらしい記述が、残っているはずですわ。確かめてくださいまし。……陛下の儀礼の宝石が、いくつもある中で。王太后さまが、最後まで手放されなかったのは——いちばん安い、この銀の花束、でしたの」
講堂の誰も口を開かなかった。値札の外の価値が、その場の全員に視えていた。光ひとつ、使わずに。
「以上ですわ。——石が、すべて話してくれましたもの」
*
審査の合議は、形だけのものになった。
「王室御用鑑定人選定試験。合格者——夜天商会、ノエリア・グランツ」
万雷の拍手の中、ノエリアは、一礼した。顔を上げたとき、視界の端でペルラが係官に付き添われて退場していくのが、見えた。割れた札をまだ握りしめた、まま。
(……あなたを告発する言葉を、わたくしは、持ちませんでしたわ、ペルラ)
告発したのは姉ではない。石と、光と、硝子一枚。
(けれど——あなたにあの札を渡した方のことは。別、ですのよ)
審査員席の奥でドラートがにこにこと拍手をしていた。その拍手の意味をノエリアは、しっかりと鑑定した。——次は、あなた。
ざまぁの頂点に罵声はいりませんの。割れたのは、硝子一枚ですわ。
妹を告発せず、王太后さまの六十年を語り切る——これがノエリアの戦い方。そして姉の目は、もう次の相手を視ております。【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆評価】を、何卒お願いいたしますわ!




