第14話:ペルラの光は、借り物
公開鑑定を前にした、グランツ商会側の控え室。
ペルラ・グランツは、鏡の前で、何度も巻き毛を直していた。
直す必要など、ないのに。指が勝手に動くのだ。昨日から、ずっと。
(……大丈夫。大丈夫よ)
膝の上には、手鏡のかたちをした飾りがある。
銀の縁に、硝子の面。覗いても、自分の顔は映らない。これは鏡ではないからだ。
《共鳴札》——ドラートは、そう呼んでいた。
三年前のあの日のことを、ペルラは今も、匂いごと覚えている。父の執務室の、葉巻と古い革の匂い。あの頃のグランツ商会は、傾きかけていた。母が死んでからの八年で、商会の鑑定は二度、大きな失敗をしていた。姉は陰気に石を撫でるばかりで、社交界の受けは最悪。父の苛立ちは、家中の空気を硬くしていた。
そこへ、樽のような体の商人が、にこにこと現れたのだ。
——お宅には、華がおありだ。妹さんのほうにね。
——これはほんの、舞台道具ですよ。石に翳すと、ね、ほら。きれいでしょう。
——才能なんて、誰にも視えやしません。視えるのは、光だけだ。
最初は、お座敷芸のつもりだった。茶会で石を光らせたら、皆が褒めた。父が、初めてペルラを「商会の宝」と呼んだ。姉が母から受け継いだものを、何ひとつ受け継げなかった妹を。
光らせるたび、世界が優しくなった。
気づけば、戻れない場所にいた。
「……お嬢様。ドラート様が、お見えです」
従者の声に、ペルラは飛び上がった。
樽のような体が、扉をふさぐように入ってくる。にこにこ。揉み手。笑っていない目。
「いやあ、大変な騒ぎになりましたなあ、午前は。すり替えだなんて、物騒な。……どこの誰がやったんでしょうねえ」
「…………」
白々しい、と思う。思うけれど、言えない。札の借り賃、興行の手配、商会への融資——グランツ商会は今や、首から下を、この男に握られている。父はそれを「提携」と呼んでいる。
「さて、午後の品は王太后さまのブローチだそうで。……お嬢さん、ひとつだけ、ご注意を」
ドラートは、ペルラの膝の上の札を、ちらりと見た。
「あの札はね、強く願うと、強く光る。客の多い日は、つい力みなさる。今日は——ほどほどに、なさい」
「……どうして、ですの」
「古い細工物ってのはね、囲いが繊細なんですよ。あんまり強い光をぶつけると——」
彼はにこにこしたまま、言葉を切った。
「まあ、ほどほどに、なされば、よろしい」
扉が閉まる。
ペルラは、手鏡のかたちの札を、両手で握りしめた。
(ほどほどに、ですって? 冗談じゃないわ)
午前の書面審査、敗けたのは自分だ。封蝋の傾きまで読む姉と、光った本物と言うだけの自分。新聞は明日、どちらを書く? 光が弱ければ、客席はどう思う? 「グランツの光も、終わりね」——。
(光って。今日がいちばん大事なの。今日だけは、誰よりも強く——)
鏡の前の少女は、巻き毛をもう一度直した。
その指が、震えていることに、部屋の中の誰も気づかなかった。気づいてくれる人を、彼女はずっと昔に、自分の手で笑い者にしてしまったから。
*
——廊下の先、反対側の控え室。
「ノエリアさま、あの、あたし、見ちゃったんです」
ミルカが、声をひそめて言った。お茶の差し入れの帰りに、ガレオン商会の会頭が、グランツ側の控え室に入っていくのを見た、と。
「審査員が、片方の候補のお部屋に。……ずるくないですか?」
「ずるい、ですわね」
「怒らないんですか!?」
「怒りますわよ。とても」
ノエリアは、白手袋の指先を、きゅ、と整えた。
「ですから——午後は、いちばん丁寧な鑑定をいたしますの。眼は、怒りで曇りますけれど。丁寧は、怒りで深くなりますのよ」
開廷の鐘が、鳴った。
廊下の左右から、姉と妹が、同じ扉へ向かって歩き出す。
片方の手には、母から受け継いだ眼。
片方の手には、借り物の光。
扉の向こうで、王太后の遺愛のブローチが、二十年ぶりの大舞台を、静かに待っていた。
本日は趣向を変えて、妹・ペルラの楽屋からお届けいたしましたわ。
借り物の光は、強く願うほど強く光る。——そして古い細工は、強い光に弱い。次回、最終課題・公開鑑定。第2章のクライマックスですわ。【ブックマーク】と【☆評価】を、何卒!




