2
テーブルに並べた、紅茶と焼き菓子。
店にある中で一番の高級茶葉で入れた紅茶は、すっきりとしたいい香りがする。
「二百年ほど前、媚薬は貴族の間で流通していました。恐怖心や不安を抑え、更に恋心を錯覚させることで、感情や欲求に従わせやすくするという類のものが。
ただ、媚薬に関する事件が多発したことですぐに禁止されて、今は調薬法も分からなくなっています」
「………そう、か。やはりそうだよな。
すまない。時々媚薬の噂を聞くから、まだあるものなのかと」
「いえ。そう勘違いするのも仕方ないくらい、噂は飛んでいますから」
媚薬に憧れる人は多い。
大体がガセネタだが、どこの薬屋が媚薬を売っているとか、魔法協会には調薬方法の記された書物があるとかそんな噂がよく出回っている。
はあ、と口から出そうになったため息を飲みこんだのは、アーレイン様の俯いた顔が歪んでいたから。
眉間に深く刻まれた皺。机の上で組まれた指は固く握られて、手の甲に爪の跡がつきそうになっている。
こんなアーレイン様の姿は、初めて見た。
「媚薬は、何のために必要なのですか。用途が分かれば、似たものを用意することはできるかもしれません」
「似たもの、か。いや、一旦持ち帰る。急に変なことを言ってしまって、すまなかった」
「い、いえ。こちらこそすぐにお役立てできず、申し訳ありません」
「謝らないでくれ。俺の我儘だから」
苦しそうな微笑みに、わたしも苦しくなってしまう。
媚薬は法律的にもアウトな代物だが、それ以前に作りたいと思えないのも事実だった。
まあ、アーレイン様が女の子に媚薬を使うとは考え難いけれど。
もしかして、高貴な方からの依頼なのだろうか。それでやむを得ず……。
そう考えるのが、一番腑に落ちる。
「アーレイン様。わたしには、媚薬を再現できるほどの才はありません。でも、力になりたいとは思っています。お困りのことがあれば、おっしゃってくださいね」
「リセ……」
「!」
アーレイン様の手が、そっとわたしの手に重なる。
「ありがとう。その言葉をもらえただけで、嬉しい」
距離が、近い。
ゼラニウムのような、甘いアーレイン様の香りが鼻孔をくすぐる。
苦しくなる程、鼓動が鳴っていた。
自分の手汗が気になって、上手く返事さえできない。
アーレイン様といると、時はすぐに過ぎてしまう。
穏やかな笑顔を浮かべ、アーレイン様が馬車に乗りこんだ。
「リセ、今日はすまなかったな。また来てもいいだろうか」
「はっ、はい。もちろん! お待ちしております」
馬車が去って行く姿を、わたしは見えなくなるまで見送っていた。
◆◆◆
媚薬の話を断ってから一カ月。
最近、アーレイン様は手土産に焼き菓子やケーキを持ってきてくれる。
一緒に食べながら、たわいもない話をして、笑いあって。デートみたいな時間。媚薬の話も、あれから一度も出ない。
けれど、アーレイン様が外に誘ってくれることはなかった。
「はあ……」
思わずため息がこぼれる。
こんなの、蛇の生殺しだ。期待してしまって仕方がない。
心がそわそわして、時計を見る。もうすぐ午前の営業時間が終わる頃だった。
もうすぐ、アーレイン様が来る時間だ。
からんころん、と入口の鐘が鳴る。
「リセ!」
覗いたのは待ち焦がれた金髪ではなく、灰色の短髪だった。
「……なんだ、ノアか」
ノアは幼馴染で、医者見習いとしてこの貴族街で働いている。
お互い下級貴族のため、気兼ねもない。
「なんだってなんだよ、失礼だな。そこに上手いご飯屋ができたんだけどさ、一緒に行こうぜ」
ノアは美味しいごはんやさんを見つけるのが趣味らしい。
病院の昼休憩がこの店の営業時間外と重なると、こうして時々誘ってくれる。
「うーん……ごめん。今日はやめとく」
「なんでだよ。最近付き合い悪いな。彼氏でもできたのか?」
「っそんなんじゃないわ」
「へー、ならいいじゃん。もうすぐ終わりの時間だろ。客もいないし。俺看板出してくるわ」
「あ、ちょっと!」
カウンターが邪魔をして、ノアが外に出るのを止められない。
「ノア! もう、勝手なことしないで」
やっと追いついて腕を引く。
「いいからいいから。本当に美味いんだって。絶対リセも気に入るから、な」
わたしの手を軽く払いながらノアが扉を開け――その足が止まる。
扉の前に、人が立っていた。
金髪の下から覗く、青灰の瞳。
それが今、海底のように暗く据わっている。
「アーレイン様……」
呟いた声は小さくて、ノアに聞こえたかは分からない。
ただ、アーレイン様の迫力に押され、ノアが息を呑むのがわかった。




