第一章 寄せ集め
ギルドの掲示板には、依頼書と並んで、もう一種類の紙が貼られる。
名前と、等級と、日付。それだけが書かれた紙だ。
今朝は四枚あった。
ロウはその紙を、なるべく見ないようにして通り過ぎた。荷運びをしていた頃から、あの紙は苦手だった。昨日まで荷を預けてきた冒険者の名前が、ある朝そこに並んでいる。そういうことが、何度もあった。
掲示板の端には、もう一枚、色の褪せた紙が貼られていた。
――新人の皆様へ。等級の高い者が単独で加入を申し出た場合は、必ず受付に相談のこと。
新人狩りだ、とロウは思った。
二年前に、そういう話があった。新人ばかりのパーティに、腕の立つ男が一人で入った。親切で、物知りで、皆に好かれていた、と後で聞いた。
三度目の依頼の帰り、男だけが戻らなかった。
残りの四人は、迷宮の別の出口の近くで見つかった。装備も、金も、靴まで剥がされていた。ギルドに雇われて、その遺体を荷車で運んだのが、ロウだった。顔も知らない四人だった。裸足の踵が、荷台の縁で揺れていたのを覚えている。
首から下げた札が、外套の内側でまだ冷たい。鉄の板の表にEの一文字、裏に名前が刻まれているだけの札だ。昨日、これをもらうのに銀貨を三枚払った。荷運びの給金の、ひと月分だった。
「ロウさん。編成、決まりましたよ」
受付の女が、帳面を抱えて手招きした。
「奥の卓です。あなたで五人目」
◇
奥の卓には、三人が座っていた。
最初に目に入ったのは、帽子に挿した赤い羽根だった。煤けた酒場の中で、それだけが妙に鮮やかだ。持ち主は痩せた若い男で、継ぎはぎの上着の肘が両方とも擦り切れている。
「お、来た来た。五人目っすね! 俺、トビっす。斥候やってます。よろしくっす」
差し出された手は、細くて乾いていた。握ると指の腹だけがやけに硬かった。
「ロウです。よろしく、お願いします」
「ロウさん。何やってた人っすか?」
「荷運びを。昨日まで」
「へえ! じゃあ力持ちっすね。俺の分も持ってほしいっす」
冗談なのか本気なのか分からない顔で、トビは笑った。笑うと、前歯が一本欠けているのが見えた。
トビの隣で、小柄な女が顔を上げた。紺のローブを首元まで留め、その上から厚手の襟巻きをぐるぐると巻いている。暖炉の火が背中に当たる席だというのに、それを緩める気配はない。
「荷運び、ですか。じゃあ前衛でも後衛でもなく、補給と運搬ですね。いえ、悪い意味じゃないんです。理論上は、継戦能力の点で荷運びの価値はむしろ過小評価されていて、学院の戦術論でも三日以上の探索を想定した場合には――」
「それ長くなるやつっすか」
「……すみません。セラです。魔術師、です。Eです」
最後のほうは、ほとんど襟巻きの中に消えた。
喋っているあいだに、セラの顔は耳まで赤くなっていた。暖炉の火と、襟巻きと、早口のせいだ。こめかみから汗が一筋、襟巻きの中へ流れ込んでいく。前髪の先が、額に貼りついていた。
ふう、と襟巻きの奥で、湿った息が漏れた。それでもセラは、襟巻きを緩めなかった。
三人目は、卓から少し椅子を離して座っていた。
赤茶の髪を高い位置で一本に結び、革の胸当ての下に薄手の布の上衣を着ている。
胸当ての留め紐には、後から開けた穴が四つあった。脇の紐に三つ、肩の紐に一つ。どれも、紐を緩める側に開けてある。
荷運びの頃、同じ開け方をした背負い袋を何度も見た。誰かのお下がりを、自分の荷に合わせて直した袋だ。
この胸当ても、前の持ち主より、今の中身のほうが大きい。
それでも、まだ足りていなかった。革に押さえつけられた胸が、縁から丸く盛り上がっている。脇の縁では、薄い上衣が汗で肌に張りつき、息をするたびにそこが小さく動いた。
装備は全体に安物だった。ただ一つ、腰の剣だけが違う。鞘の拵えも、柄に巻かれた革も、この酒場の誰の持ち物より上等だった。
女は親指で柄頭を撫でながら、ロウを頭から足まで眺めた。女の目は、胸当ての縁を見ていたロウの目と、一度だけ合った。
「荷物持ち?」
「はい」
「剣は使える?」
「……持ったことは、あります」
「振ったことは」
「ありません」
女の親指が止まった。
「Dのリーネ。私が前に出る。あなたは後ろで荷物を守ってて。それ以外、何もしなくていいから」
言い切ると、女は窓のほうへ顔を向けた。
◇
五人目、と受付は言った。だとすると、もう一人いる。
酒場の扉が開いたのは、それから随分経ってからだった。
大きな男だった。肩幅が戸口をほとんど塞いでいる。使い込まれた鎖帷子は、ところどころ輪が欠けて、別の色の鉄で継ぎ当てがしてあった。無精髭に、出かけた腹。左の耳が、上半分ない。
男は卓の前まで来ると、腰の酒袋を外して卓に置き、ごきり、と首を鳴らした。
「おう。こいつが今度の寄せ集めか」
「あ、ガルドさんっすね。知ってるっす」
トビの声は明るかった。明るいまま、続けた。
「昔Bだった人っすよね。前のパーティ、ガルドさん以外、全員死んだって」
卓が静かになった。
ガルドは、否定しなかった。
「そうだ」
短く答えて、椅子を引いてどっかりと座り、酒袋の栓を抜いた。
「それ、水っすか?」
「水だ」
匂いは、明らかに水ではなかった。
ロウの頭の中で、掲示板の褪せた紙の文字が勝手に浮かんだ。等級の高い者が、単独で。
ガルドは卓の面子を、順番に眺めた。トビの擦り切れた上着。セラの杖。ロウの背負い紐。一つずつ、値踏みするように目が留まり、離れていく。
その目が、リーネのところで止まった。
正確には、リーネの腰の剣で。
酒袋を口に運びかけたガルドの手が、宙で固まった。
リーネの手が、すっと柄の上に置かれた。撫でるのではなく、握る形だった。
「……いい剣だな、嬢ちゃん」
「父の形見よ。売り物じゃないから」
「そうか」
ガルドはそれだけ言って、酒袋をあおった。長く、あおった。
ロウはふと、トビを見た。
トビは笑っていた。いつもと同じ顔で。ただ、目だけが笑っていなかった。ガルドの手元と、酒袋と、鎖帷子の継ぎ当てを、順番になぞるように見ていた。
◇
受付の女が、一枚の依頼書を卓に置いた。
「初回の依頼です。東区の下水路、第三区画。スライムの駆除」
「は? 下水?」
リーネの声が尖った。
「編成の平均等級で割り振っていますので」
「なら編成を替えて。Dの私が、Eと組んで下水掃除なんて」
「新人編成は、最初の五件まで解散できません」
受付の女は、帳面から目も上げずに言った。何百回も言ってきた声だった。
「途中で抜ける場合は、札をお返しいただきます。等級も、登録料も、戻りません」
リーネは口を開きかけて、閉じた。椅子に座り直し、柄頭を親指で強く押した。
「報酬、これだけっすか……孤児院の――いや、なんでもないっす」
トビが羽根ごと肩を落とした。セラは逆に身を乗り出していた。
「スライムなら、火か、乾燥系の術式が有効です。理論上は」
「理論上は、な」
ガルドが鼻を鳴らした。それから、面倒くさそうに依頼書を指で引き寄せた。
「おい、受付。何匹だ」
「数は、不明です」
「区画の広さは。水位は」
「通路が四本。水位は膝下程度と」
「最後に駆除したのはいつだ」
受付の女は帳面をめくり、指を止めた。
「三週間前に、Eの三人組が受けています」
「そいつらは」
女は答えなかった。掲示板のほうへ、ほんの少しだけ視線を動かした。
今朝の四枚。そのうちの三枚の日付が、同じだった。
ガルドは依頼書を卓に放り出した。
「だろうな」
「……あの」
ロウは、自分の声が出たことに驚いた。
「どうして、今のことを、訊いたんですか」
ガルドが、初めてまともにロウを見た。
「数が分からねえ依頼は、数が分からねえってことが一番危ねえ。水位で足場が決まる。前の連中がどうなったかで、何に殺されるかが分かる」
それから、ふいと目を逸らした。
「まあ、どうでもいい。俺は指揮なんざ取らねえぞ。後ろで寝てる」
「当然よ。前は私がやる」
リーネが立ち上がった。
「行くわよ。明日の朝」
◇
ガルドが先に酒場を出ていったあと、ロウは一人で受付に戻った。
「あの、掲示板の、端の貼り紙なんですが」
「ああ」
受付の女は、それだけで察したらしかった。周りを見回し、声を落とした。
「ガルドさんは、ご自分で加入を申し出たわけではありません。ギルドの処分です」
「処分」
「前のパーティの件で、BからDへ降格。加えて、新人編成の引率義務。決められた数の新人を無事に送り出すまで、等級は戻りません。どのパーティに付くかも、こちらで決めます」
女は帳面を閉じた。
「ですので、貼り紙の対象にはなりません。規則上は」
規則上は、と女は言った。
ロウは礼を言って卓に戻りながら、その言葉を何度か頭の中で繰り返した。
処分を受けるようなことをした男を、ギルドは新人に付ける。
卓では、トビとセラとリーネが、示し合わせたようにロウを待っていた。受付で聞いたことを話すと、三人の顔がそれぞれ違う形に曇った。
「処分っすか」
トビが小声で言った。笑っていなかった。
「処分されるようなことした人を、俺らに付けたんすね、ギルドは」
「確率で言うと」
セラが、襟巻きの奥から早口で続けた。
「全滅したパーティから一人だけ生還した冒険者が、その後、等級の低い新人と組む状況は、合理的に考えて三つくらいしか理由がありません。贖罪か、処分か、それとも――。いえ、処分なのは分かったんですけど、処分で済んでいる理由のほうが、むしろ――」
「どっちでもいい」
リーネが短く言った。剣の柄から、手を離していなかった。
「五件は抜けられない。なら、寝首をかかれないようにするだけ。……特にあなた」
リーネの目が、ロウの背負い紐に向いた。
「荷物、全部持たされるんでしょ。全部持ってる人が一番狙われる」
ロウは何も言えなかった。
◇
その夜、宿の寝台で、手帳を開いた。荷運びの頃、預かった荷物を書きつけていた、安い紙を紐で綴じただけの手帳だ。
空いている頁に、ガルドの言葉を思い出せる限り書き写した。
――数が分からないのが、一番危ない。
――水位で、足場が決まる。
――前の人がどうなったかで、何に殺されるかが分かる。
正しいことを言っている、と思った。
二年前の、あの親切で物知りな男も、正しいことばかり言う男だったと聞いた。




