第七話 誰のために描いているのか
工房の片隅に置かれたデザイン画の束は、いつの間にか随分な厚みになっていた。
最初は、フェリオンが見せてくれる意匠を真似て描いてみる程度だった。生地の合わせ方、装飾の付け方、シルエットの取り方――幼い頃から職人たちの手仕事を見てきたメルティナにとって、その一つ一つは驚くほど自然に馴染んでいった。
「これは、なかなか良いな」
ある日、フェリオンがメルティナの描いた一枚を手に取り、まじまじと見つめた。裾に向かって色が濃くなっていく染めの技法を取り入れた、淡い水色のドレスの絵だった。
「本当ですか」
「ああ。この切り替えの位置、誰に教わった?」
「誰にも。何となく、こうした方が綺麗に見える気がして」
「センスだな、それは」
あっさりと言われた一言に、メルティナは面映ゆさを覚えながらも、胸の奥が温かくなるのを感じた。
それからというもの、暇さえあれば紙とペンを手に取るようになった。夜、寝る前のわずかな時間にも、思いついた意匠を書き留めずにはいられない。気づけば、机の上には描きかけの絵が何枚も積み重なっていた。
そんなある夜、メルティナはふと、自分の描いた絵の束をまとめて見返してみた。
ドレスの絵が並ぶ中に、見慣れない形のものが交ざっている。
襟の高い上着、裾の長いマント、金糸の刺繍を施した礼服――気づけば、女性用のドレスだけでなく、男性用の正装ばかりを何枚も描いていた。
(あら……)
最初は、意匠の勉強のつもりで描いたのだと思っていた。留学先の服飾文化に触れて以来、フェリオンから聞く話に興味を惹かれ、男性服のデザインにも手を伸ばしてみただけのつもりだった。
だが、あらためて絵を見比べてみると、どれも肩幅や身長の取り方が、同じ体型に合わせて描かれていることに気づいてしまった。
深紅が似合いそうな色使い。銀糸の髪を引き立てるような襟元の意匠。すらりとした立ち姿を想定した、丈の長い上着。
(これ、って……)
思い当たる人物は、一人しかいなかった。
メルティナは、頬がじわじわと熱くなっていくのを感じながら、絵の束をぎゅっと胸に抱えた。
(無意識のうちに、こんな……)
誰かに見られたら、どんな顔をされるだろう。想像しただけで、居たたまれない気持ちになる。
けれど同時に、不思議と嫌な気持ちはしなかった。むしろ、絵の中の彼がこの服を纏っている姿を思い浮かべると、胸の奥がくすぐったいような、落ち着かないような、けれど確かに心地よい感覚がこみ上げてくる。
(着てもらえたら、きっと似合う)
その一言が浮かんだ瞬間、メルティナは思わず絵の束を机に伏せた。まるで誰かに見られているような気恥ずかしさに、しばらく顔を上げられなかった。
◇◇◇
それからのメルティナは、以前にも増して熱心にデザインに打ち込むようになった。
服飾が好きだという気持ちは、もともと本物だった。だがそこに、もう一つ別の理由が加わったことを、メルティナ自身がようやく自覚し始めていた。
誰かのために、何かを作りたい。それも、ただの練習相手としてではなく、はっきりと顔の思い浮かぶ、たった一人のために。
その一枚をどうやって完成させ、どうやって渡すべきか――メルティナは、ペンを握る手を止めたまま、しばらく考え込んでいた。
まだ、この気持ちに名前をつける勇気はなかった。けれど、机の上に積み重なった礼服の絵の束は、メルティナの中にある小さな変化を、何よりも雄弁に物語っていた。




