第三話 絶対に似合わない、なんて
工房の壁一面に、色とりどりのドレスが並べられていた。
深紅、群青、金糸で縁取られた象牙色――どれもメルティナがこれまでの人生で袖を通したことのない、華やかな色彩ばかりだ。
その中でもひときわ目を引く一着を、フェリオンは迷いなく手に取った。
鮮やかな薔薇色の生地に、繊細なレースが幾重にも重ねられたドレス。裾に向かうにつれて色が淡くなっていく染めの技法は、メルティナが見たこともないものだった。
「まずはこれから試してみようか」
「……え」
差し出されたドレスを前に、メルティナは思わず一歩後ずさった。
「む、無理です!」
「無理?」
「こんな華やかなドレス、絶対似合いません!」
声が裏返る。地味な色ばかりを選んで生きてきた自分に、こんな色彩が似合うはずがない。想像しただけで、頬が熱くなるのを感じた。
フェリオンは、その反応を面白がるように片眉を上げる。
「絶対ねぇ。着たことあるの?」
「……いいえ」
メルティナは目を伏せた。着たことがない。似合わないと決めつけているだけで、実際に鏡の前に立ったことすら、一度もなかった。
フェリオンはドレスを掲げたまま、静かに、けれど確信を持った声で言った。
「こういうのは試してみないとわからないものだよ」
そして、いつかの言葉をもう一度、まるで念を押すように繰り返す。
「たくさん見て、たくさん試して、自分に合うものを見つける。それが大切」
メルティナは、その言葉に何も言い返せなかった。
似合わない、と決めつけていたのは、他の誰でもない自分自身だった。ガゼルドに、家に、周囲の視線に――「地味であること」を求められ続けてきたから、それ以外の自分を想像することすら、いつの間にかやめてしまっていたのだ。
「……分かり、ました」
震える声で、それだけ答える。
フェリオンはふっと表情を緩めると、控えていた侍女に目配せをした。
「大丈夫、俺が見ている。似合わなかったら、正直にそう言うよ。似合っていたら、それも正直に言う」
「厳しいんですか、それとも優しいんですか……」
「両方だ」
悪びれもせずそう言ってのけるフェリオンに、メルティナは思わず小さく笑ってしまった。ここ数日、笑うことすら忘れていたことに、その時初めて気がついた。
衝立の向こうで着替えを終え、鏡の前に立つ。
薔薇色の生地が、思っていたよりもずっと自然に自分の肌になじんでいることに、メルティナ自身が一番驚いていた。
「……あ」
小さく声が漏れる。
鏡の中に映っているのは、見慣れた地味な自分ではなかった。かといって、別人というわけでもない。ただ、これまで見えていなかった何かが、そこに確かにあった。
衝立の向こうから、フェリオンの声がする。
「どうだ、まだ似合わないと思うか?」
メルティナは、鏡の中の自分をもう一度見つめてから、小さく首を振った。
「……分かりません。でも」
「でも?」
「悪くない、気がします」
その正直な感想に、衝立の向こうで小さく笑う気配がした。
「上出来だ」
メルティナは、鏡の中の自分に、もう一度そっと目をやった。
これまで一度も選んでこなかった色彩の中に立つ自分は、思っていたよりもずっと――嫌いではなかった。




