第二話 君の魅力を、君自身が分かっていない
差し出された手を取った瞬間、メルティナは自分の指先が微かに震えているのに気づいた。
フェリオンはそのまま、周囲の視線などまるで気にも留めない足取りで広間を横切っていく。メルティナは半ば引きずられるようにして、その後を追った。
夜会の喧騒が遠ざかり、玄関ホールの冷たい空気が頬を撫でる頃になって、ようやくメルティナは口を開いた。
「あの……どうして、私に構ったりなさったんですか?」
公爵家の御子息が、一介の子爵令嬢のために――しかもこれほど目立つ形で――割って入る理由など、普通に考えればどこにもない。
フェリオンは振り返らないまま、肩をすくめた。
「理不尽なことを見ると、放っておけない性分でね」
それだけ言うと、少し間を置いてから付け加える。
「それに――」
「それに?」
「あの茶番を、君が黙って受け入れるのが気に食わなかった。君は『不釣り合い』だなんて言っていたが、あれは嘘だろう?」
メルティナは息を呑んだ。図星だった。あの瞬間、心のどこかで小さく反発していたのだ。それを、初対面のこの人物に見抜かれていたことに、動揺を隠せなかった。
「……嘘、では」
「隠さなくていい」
フェリオンは玄関先で足を止め、初めてメルティナの方を振り返った。夜風に、彼の銀糸の髪と深紅のドレスの裾が揺れる。
「君は、自分で自分を『取り柄がない』と決めつけているだけだ。それが一番、もったいない」
その言葉の意味を、メルティナはまだ半分も理解できていなかった。
◇◇◇
それから数日後。
メルティナは、ヴェルダイン公爵家別邸の一室――フェリオンが「自分の工房」と呼ぶ部屋に招かれていた。壁一面に張り出されたデザイン画、所狭しと並ぶ生地見本、異国の意匠を写したらしき資料の数々。見たこともない光景に、メルティナは思わず声を失っていた。
「さて」
ソファに深く腰掛けたフェリオンが、値踏みするような視線をメルティナに向ける。
「単刀直入に言おう」
「は、はい」
「君の魅力を、君自身が分かっていないんだな」
その一言は、まるで診断でも下すかのように淡々と、けれど確信を持って告げられた。
メルティナは思わず目を伏せる。
「わ、私に魅力なんて……」
「そう思っているのが、そもそもの間違いだと言っている」
フェリオンは立ち上がると、壁際に並んだ生地の一つを手に取った。深い青緑の絹地が、窓から差し込む光を受けて静かに輝く。
「君はこれまで、自分に似合うものを『試したこと』すらないだろう。地味な色ばかり選んで、目立たないように、目立たないように――そうやって生きてきた」
図星だった。ガゼルドとの婚約が決まって以来、いや、それよりずっと前から、メルティナは「控えめであること」こそが正解だと思い込んで生きてきた。
「今日から、君にはそれを全部やめてもらう」
「や、やめるって……」
「たくさん見て、たくさん試して、自分に合うものを見つける。それが大切なんだ」
フェリオンは絹地をメルティナの肩にそっと当てながら、口の端を持ち上げて笑った。
「なに、心配することはない。俺は、頭の先から足の先まで、一人の人間を完成させる自信ならある」
その笑顔は、あの夜会で見た皮肉げな笑みとはまるで違って、どこか少年のように屈託がなかった。
メルティナは、鏡に映る自分と、深緑の絹地を見比べる。
(似合う、なんて――)
そう思いかけて、けれど同時に、ほんの少しだけ、胸の奥がざわめいた。
試したことすらなかったのだ。似合うかどうかなんて、これまで一度も。
「……分かりました」
気づけば、そう答えていた。
フェリオンは満足そうに頷くと、部屋の奥に控えていた侍女に何事か指示を飛ばす。慌ただしく人が動き出す気配の中、メルティナは静かに、けれど確かに、自分の中で何かが変わり始めているのを感じていた。




