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『悪役令嬢』は、婚約破棄された令嬢を拾いました  作者: ましろゆきな
第一章 婚約破棄、そして出会い 

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第一話 婚約破棄の夜に薔薇が舞う

 シャンデリアの光が、磨き上げられた大理石の床に無数の欠片となって散らばっている。


 オルデグラン王国、オルシェイド子爵家主催の婚約披露の夜会。本来ならば、今宵はメルティナ・オルシェイドにとって人生で最も華やかな夜になるはずだった。


 けれど壇上に立つ婚約者――ガゼルドの声は、その予定を粉々に打ち砕いた。


「お前のような地味で取り柄のない女と婚約していたなんて、我ながらどうかしていた」


 会場がざわめく。メルティナは、招待客たちの視線が自分に突き刺さるのを感じながら、不思議なくらい冷静にその声を聞いていた。


「俺は真実の愛に目覚めたのだ。この大輪の薔薇のように美しく高貴な彼女に出会ってしまったんだ」


 ガゼルドの隣に進み出たのは、燃えるような赤毛を結い上げた令嬢だった。自信に満ちた微笑みを浮かべ、扇の陰から会場を見渡している。誰もがその名を知っていた。ヴェルミリア――社交界でも屈指の美貌と気位の高さで知られる伯爵令嬢だ。


「だから、お前とは婚約破棄だ」


 ガゼルドは芝居がかった仕草で片手を掲げ、宣言を締めくくった。


 拍手はない。ただ、困惑と好奇の入り混じったざわめきだけが広間を満たしていく。


 メルティナは、俯くこともできず、かといって顔を上げることもできず、ただその場に立ち尽くしていた。


(ああ、そうか。私は――)


 特別な魅力なんて、最初からなかったのだ。


 そう、自分に言い聞かせようとした、その時だった。


「あー、つまらない。とんだ猿芝居を見せられて、反吐が出るね」


 場違いなほど涼やかな声が、広間の空気を切り裂いた。


 人々の視線が一斉にそちらを向く。メルティナも釣られるように顔を上げた。


 広間の入り口に立っていたのは、深紅のドレスをまとった一人の令息だった。


 薔薇の香りを纏いながら、ゆったりとした足取りでこちらへ歩いてくる。結い上げられた銀糸のような髪、白磁のような肌、そして誰もが息を呑むほどに整った顔立ち。壇上のヴェルミリアの美しさすら霞んでしまいそうな、そんな異様な華やかさがあった。


 誰かが小さく囁く声が聞こえた。


「――ヴェルダイン公爵家の……」


「女装する変わり者の……」


 その名は、メルティナも知っていた。フェリオン・ヴェルダイン。ヴェルダイン公爵家次男。社交界では「女装する変わり者の公爵令息」として、多少の悪名とともに知られている人物だ。


 フェリオンは壇上のガゼルドを一瞥すると、心底つまらなそうにため息をついた。それから、ゆっくりとメルティナの方へ視線を移す。


「ねえ、君。壇上の彼、あんなこと言ってるけど、いいのかい?」


「え……」


 突然話しかけられ、メルティナは戸惑いながら声を漏らす。


「一方的な婚約破棄。こんな理不尽な仕打ち、別に受け入れなくてもいいと思うけど、どうする?」


 フェリオンの瞳は、からかうようでいて、どこか真剣な色を湛えていた。まるで、メルティナ自身の答えを本当に知りたがっているかのように。


 メルティナは俯いた。


「……別にそうおっしゃるのでしたら、それで構いません。私では不釣り合いですし」


 自分の口から出た言葉は、驚くほど乾いていた。


 フェリオンは、その返答を聞いて、少しの間だけ黙り込んだ。それから、独り言のように呟く。


「ふーん。ほんと、この国では、男はやりたい放題できていいねぇ」


 その声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。メルティナへの憐れみではなく、もっと別の――この国そのものへの反骨心のような響き。


 会場の空気がさらにざわつく。壇上ではガゼルドが顔を赤くして声を荒らげた。


「お、おい! 貴様、何を勝手に――」


 その時、招待客の一人が、皮肉めいた笑みを浮かべながら小さく言うのが聞こえた。


「まるでご自分が悪役令嬢気取りだこと」


 嘲るような視線が、フェリオンに向けられる。深紅のドレス、女性以上に華やかな美貌、そして今この瞬間、壇上の茶番に割って入った振る舞い――たしかに「悪役令嬢」という言葉は、この場の誰の目にもしっくりと嵌まって見えた。


 だがフェリオンは、それを笑い飛ばすように口角を上げた。


「俺が悪役令嬢で何が悪い?」


 凛とした声が、静まり返った広間に響き渡る。


 誰も、何も言い返せなかった。


 フェリオンはそのまま、メルティナへとまっすぐ手を差し伸べる。


「さあ、お嬢さん。こんなつまらない茶番に、これ以上付き合ってやる義理はないだろう?」


 メルティナは、差し出された手を見つめた。


 自分には特別な魅力などない。そう思い込んでいたはずのメルティナの中で、何かが小さく音を立てて揺れた。


 その夜、メルティナ・オルシェイドの人生は、深紅のドレスをまとった令息によって、静かに、しかし確かに動き始めた。

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