⑤王都へ
オルキスがルクスダインで暮らすようになってから、しばらくが経った。
殺風景だった城の内装は外観の荘厳さに相応しいものへと変貌を遂げ、オルキスの部屋のクローゼットには「もう充分ですから!」と本人が止めるまで、宝飾品や衣装が詰め込まれた。
そしてそれとは別に、オルキスの希望で錬成用にと布も山ほど用意された。ゼノの服を十着作っては、自分の分を一着、という流れでどんどん錬成し、ゼノのクローゼットもパンパンにしてしまった。「錬成しすぎて疲れたりはしないのか」と聞かれて、首を傾げたこともあった。魔力を使う魔法とは違い、錬金術は等価交換の術を構築するだけだ。つまりどれだけ使用しても「ちょっと頭を使いすぎた」と感じるくらいで、体力や気力が削られるわけではない。と、そう答えると、ゼノが「やっぱりチートだな、それ」と眉尻を下げていた。チートの意味はまだよくわからなかったが、勇者タチバナと似たような力なのだと言われ、嬉しかった。
全ての商品を買い上げられ魔法鞄の中身が空っぽになったウナナ族二匹組は、ゼノから別件で依頼を受けて「ウナナ、ウナウナ、ウナ!」と満面の笑みで城から旅立っていった。真新しいお揃いの青のスーツは、余った布で錬成したものだ。ゼノの通訳によると、白猫が「洒落たスーツの礼だ!依頼料はロハでいいぜ!」と言っていたとのこと。そんな口調だったのかと、ちょっとびっくりした。
ウナナ族がいなくなると、城は二人だけになった。
だが息苦しくはなく、むしろ快適だった。
意外だったのは、ゼノが料理上手だったことだ。本人は「男やもめが長いからな〜」と笑っていたが、テーブルに並べられるのは栄養のバランスばっちりの、彩りも良いメニューばかりだった。
一方でオルキスは、洗濯や掃除を担当した。と言っても、錬成するだけだ。洗濯物の山の前で、汚れを落とす術を構築すれば、それだけで綺麗な衣服に生まれ変わる。「冷たい水で洗わなくて済む!」と抱き上げられ回られてフラフラになったのは、城に来て三日目の出来事だった。
また、錬金術に関して新しい事実が判明したのは、五日目のことだ。ゼノが言うには、水や食料品といった体内に取り入れるものは、錬金術では作れないのだという。確かにオルキスも、初めてパンと水を錬成した時は苦労した。ワインから水、果物からパンといった似た属性であるはずのものでさえも、水一滴、パン一欠片にもならなかった。自身の身体の一部、例えば髪などを使うのが最も効率が良いと気付いたのは、かなり後になってからだ。それも合わせて説明すると、ゼノは大きくため息をつきながらしばらく天井を見上げていた。それから「自分の身体を使った錬成はしないように」と言い含められた。本来なら錬成されないものが錬成できる身体など、人体実験してくださいと言っているようなものだ、と。いつになく真面目な顔で言われ、オルキスは硬い表情で頷いた。
——そうして日々は、静かに、穏やかに流れ。
「……侵入者、ですか?」
「儂が見つけた時には、魔獣にやられてもう死んどったがな」
話しながら、ゼノが朝食の洗い物を片付けていく。日課となる荒野の見回りをしている時に、同じ服を着た遺体を三つ見つけたのだと、洗い物をしながら言われた。損傷は激しかったが、いずれも身なりはしっかりしており、帯剣の形跡もあったという。
「追っ手をかけられて逃げてきた悪党という様子でもなかった。深い臙脂色のチュニックと小豆色のリングベルトに見覚えは?」
「……あります。おそらく、ユーライト家の兵かと。……父に言われて、僕が魔王になっているか確認しにきたんですね」
乾いた布で食器の水気を拭き、棚に片付けながらオルキスが答える。
「兵士は、お前さんの死体を見つけてこい、くらいの命令しか受けとらんだろうがな。……むごいことをする」
食器を洗い終わったゼノが布巾で散った水を拭き取る。それを洗い、硬く絞ったら片付けは終了だ。食事関係はゼノが担当なため、錬金術は使わなくていいとオルキスは言われていた。
最後の皿を棚にしまうと、二人で応接室へと移動する。最近になって、ようやく自分の足で移動することができるようになった。怪我が完全に治るまでは、ゼノが歩かせてくれなかったからだ。
扉を開けると、柔らかな日差しを感じた。日当たりもよく大きな窓がある応接室は、オルキスのお気に入りの場所だ。
暖炉には、火の気配がなかった。二人とも、どちらかといえば薄着だ。だが寒さを感じることはなかった。
「お前さんが錬成した服は、本当にすごいな。今まで誰にも目を付けられずに過ごせたのが、奇跡的なほどだ」
「ゼノさんが効果に気付いてくれたから、わかったことです」
ソファに腰を下ろしたゼノに続き、オルキスもテーブルを挟んで向かい側に座る。
ゼノが『チート』と呼ぶ、オルキスの錬金術。それは実質回数無制限の錬成と、本来錬成不可能であるものを可能にするだけでなく、対価さえ釣り合えばどんな効果でも付与できるという、とんでもない代物だった。
だがこれに関して言えば、今までオルキスが錬成してきたものには当てはまらなかった。ゼノのために作った衣装にのみ、防御強化や氷結耐性などの効果が大量に付与されていたのである。
それを確認したゼノはまたしても天井をしばらく仰いでいたが、オルキスに、自身の服を作る時も同じ気持ちで作るようにと伝えた。その結果、新しく錬成した自分の服に袖を通したオルキスは、全く寒さを感じなくなったことに驚いた。それだけではなく、身体がやけに軽く、丈夫になったような気がした。
——何を想像してしまったのか。お前さんが魔王になっていたら、本当に世界が終わっていたかもな、とゼノが呟いていたのが印象的だった。
そんなわけで、オルキス製の服のおかげで暖炉はその役目を終えた。
知らない者から見れば、雪山のすぐ近くの城で火も焚かずに薄着で何をやってるんだ、という状態だろうが、二人はいたって快適であった。
「……さて。予想通り動き始めたわけだが」
ゼノの言葉は、この静かな二人だけの時間の終わりを告げていた。
それを選んだのは、オルキスだ。
ユーライト伯爵がオルキスの死を利用して魔王を生み出そうとしているのであれば、なんの変化もないルクスダインに疑問を抱き調べに来るはず。
そうなった時、オルキスには三つの選択肢が存在した。
一つ目は、ルクスダインから生きて脱出したように見せること。
これは追っ手がかかるだけで、何の解決にもなっていないため却下となった。
二つ目は、オルキスの死を偽装した上で、魔王にはならなかったと思わせること。一見良い案に思えたが、計画に長い時間をかけただろうユーライト伯爵がオルキスの死まで成功させた状態で諦めるとは思えず、死体を探して利用しようとするだろうと、こちらも却下となった。
——そして、三つ目が。
「ではこちらも、そろそろ動くとするか。四十年ぶりの王都だ。道案内、頼むぞ」
「……はい!」
ユーライト伯爵と、対峙することだった。
まるで巨大な竜に乗っている気分だ、とオルキスは思った。
途中までは徒歩で行くぞ、と言われ、あの荒野を歩く旅路を想定していたオルキスは、ゼノが体格や食欲だけでなく全てにおいて規格外であることを改めて知ることとなった。
片手でヒョイと抱き上げられ、丸太のような腕の肘の部分に腰を下ろされる。「手乗りのオルキス、テノリス!」とよくわからないことを言われ、笑うべきか悩んでいると、そのままゼノが猛スピードで走り出した。胃の中のものをひっくり返さずにすんだのは、事前に「酔い止め効果のある服を着るように」と言われていたおかげだ。
切り立った岩肌も、水のない深い谷も、走るゼノの前ではただの平地だった。
そうしてほんの小一時間ほどで、二人はルクスダインと他領の境界まで辿り着いていた。
「大丈夫か、オルキス?」
「……高い場所から飛び降りる時は、先に言ってください。気絶するかと思いました……」
「そりゃあ、悪かった」
そんなに悪いと思っていないだろう口調のゼノが、オルキスをゆっくりと地面に下ろす。それから前方を見ると、「いいタイミングだ」と大きく手を振った。
ガラガラと音を立てながら、二頭立ての馬車がやってくるのが見えた。
御者台には、青いスーツを着た細身の男とふくよかな男の二人が乗っている。
「旦那ぁ!養子の申請は無事に受理されたが、王都はアンタらの噂で持ちきりだぜ!」
叫んでいるのは細身の男だ。
馬車が二人の前で急停車する。細身の男は白い髪に淡緑色の瞳、隣に座るふくよかな男は茶色い髪に銅色の目をしていた。
間違えるはずもない。
彼らは——。
「ウナナ族の……?」
問いかけると、細身の男が親指をグッと立てた。
「おう!オレはウナロー!こっちはウナモリだ!改めてよろしくな!兄ちゃん!」
「よろしくでごわす」
アウトローな言葉遣いだなとか、茶虎の語尾は「ごわす」だったのかとか、ウナナ族の名前にはウナが必ず入るのかとか。色々気にはなったが、オルキスは全てを飲み込み、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
ゼノが依頼していた別件の依頼。
それは、彼らに王都までの馬車を用立ててもらうことと、オルキスをゼノの養子とするための手続きをしてもらうことだった。
「問題が起きたりはしなかったか?」
ゼノの問いに、人間の姿となった白猫ウナローが手を気だるげに振る。
「オレらが人間社会の中で築いた『有那商会』は、商業ギルドの中でも信用度はピカイチ。その有那商会が保証人な上に、ルクスダインの印章まで持ってるとなりゃ、役所も認めるしかねぇってもんよ」
「でもすごい騒ぎになって、馬車を用意してる間にも話に尾鰭が付いて、よくない噂も立ってたでごわす」
「よくない噂?」
片眉を引き上げるゼノに、元茶虎猫のウナモリが頷いた。
「老先短いルクスダイン辺境伯の地位目当てに、追放されたオルキスが身体を使って籠絡したって。辺境伯は枯れた老人だから、辛気臭い性悪オルキスでも落とせるだろうとか、なんとか」
それを聞いて、真っ先に反応したのはオルキスだった。
「……そんな!ゼノさんに失礼すぎる!」
自分が辛気臭いのは本当だ。誰とも交流せず、傲慢な口振りで人を傷付ける性悪な人間だと思われていたのも間違っていない。
ゼノとて、王都での噂は『勇者を騙し討ちした裏切り者で、魔獣に怯えて暮らしている老人』だ。
だが、本当の彼は違うとオルキスは知っていた。勇者を裏切ってもいないし、魔獣に怯えてもいない。
オルキスが知るゼノは、誰よりも強く雄々しく、優しい人だった。
「怒んなよ、ゼノの旦那!オレらが言ったんじゃねぇよ!」
憤るオルキスに、ウナローが呼んだのは何故かゼノの名だった。思わず隣に立つ巨躯を見上げる。だがオルキスが見た時には、ゼノはすでに少し困った顔をしているだけだった。
「すみませんゼノさん、嫌な噂を……。僕みたいな——」
「あ〜!違う、違う!お前さんは、な〜んも悪くない。儂がムカついたのは、お前さんのことを知らん連中が好き勝手ぬかしとるからだ」
慌てたように答えるゼノに、御者台から降りたウナローが肩を竦めながら続けた。
「まぁ、オレらも気分は良くなかったぜ。兄ちゃんは悪い奴じゃねえし、売れば屋敷が一つ建つくらいの価値がある魔道衣を作ってもらった恩もある」
「ウナナ族にとって、自分で狩ったり作ったりした物を無償で贈る行為は、最大級の好意の証なのでごわす」
ウンウンと頷きながらウナモリも言う。どうやらオルキスが錬成して渡したスーツは、彼らにとって心を動かされるものであるらしかった。
「どうする、旦那?噂好きのバカどもの横っ面を引っ叩くってんなら、当初の予定にプラスして有那商会が協力するぜ?」
何やら悪い顔をしたウナローが、ゼノを屈ませて耳打ちをする。しばらく話を聞いていたゼノが、「よし、その作戦でいこう」と屈んでいた背を伸ばした。
「金に糸目はつけん。城に竜の角だの鱗だのを積んでいる倉庫があるから、好きなだけ持っていくといい」
「まいどありぃ。んじゃ、有那商会の跡取りとしてお得意様に恥じない商品を用意させてもらうとするか。——ウナモリ、先に行きな!」
「了解でごわす!」
その場でクルリと宙返りをしたウナモリの身体が、一瞬で青いスーツを着た茶虎猫に変わる。
「ナッナナー!」
そして爆速で走り出し、土煙を上げながら地平線へと消えていった。
さすがにゼノほどはないが、馬よりは遥かに速い。オオトカゲを片手で持てるウナローといい、爆速で駆けるウナモリといい。彼らがゼノの居城にまで商売に来られる理由がわかったような気がした。
「さて、そんじゃオレらも王都に向けて出発だ。兄ちゃんを磨くのはウナリーヌに頼むから安心しな」
また新たなウナ名が出てきた。なんだかよくわからないが、オルキスはウナリーヌという猫に磨かれてしまうらしい。
「ほら!乗った乗った!出発するぜ!」
急かされて、オルキスはウナローたちが用意してくれた馬車に乗り込んだ。
特注品なのか、ゼノが乗っても窮屈にはならない。絹地のカバーがかけられたクッションには綿がたっぷりと詰められ、バネの効いた座席は振動を伝えることはなかった。
「あ〜、さっきの噂の話だが」
向かいに座ったゼノが、どこか居心地悪そうに口を開く。
「そいつもしっかり否定して消すから安心してくれ。……お前さんのような未来ある若者が、儂のような爺に色目を使ったなどデタラメもいいところだ」
すまんかったな、と頭を下げたゼノが、それきり口を閉ざす。
「……いえ」
小さく否定をしたオルキスは、何かを言いかけて——……。
結局は口を閉ざすと、静かに目線を下げた。




