④勇者タチバナの話
食堂に用意されていた朝食は、焼いた魚をほぐして野菜と混ぜ、薄い生地で巻いたクレープだった。
オルキスが「美味しい!」と言うと、給仕をしていた茶色い虎柄の猫が満足げな顔をする。少しぽっちゃりめで銅色の目を持つ茶虎猫は、当然ながら白い猫の仲間だ。ゼノの話によると、ウナナ族は基本的に二匹一組で行動しているとのこと。そして最も驚いたのが、彼らは人間に変身できるという情報だった。
本来は非常に用心深い種族らしく、
人間の町で商売をする際は正体を知られないように変身しているらしい。では何故ゼノの前では猫のままなのかというと——。以前、ウナナ族の長を助けたところ彼らと直接取引ができるようになり、その時に「可愛いから、うちに来る時は猫のまま来て」と頼んだからだという。気持ちはわかるが、巨躯の男がそれを素直に言えるのはすごいな、とオルキスは思った。けれど、ゼノという男なら、そんなおねだりも不思議と似合う気がした。
食事が終わると、温かいお茶も用意された。クレープはオルキスが二つ、ゼノが二十個食べた。二つでもオルキスにとっては、かなりの量だったのだが、ゼノは小さな焼き菓子をつまむ感覚でポイポイと口の中に放り込んでいた。六十だと聞いてはいるが、体格といいこの食欲といい、オルキスの錬金術のことを言えないくらい規格外な人物である。
「や〜、美味かった。ウナナ族は、審美眼だけじゃなく食文化も素晴らしいな」
ゼノが褒めると、白猫と茶虎猫が揃って「ウナ!」と胸を張った。
「ウナーン、ウナウナ」
「あぁ、もちろん今回も好きなだけ食糧庫を使ってくれ。余った食材は駄賃代わりに持っていってくれていい」
「ナッナー!」
今のはオルキスにもわかった。多分、「やったー」だ。
空になったゼノのカップにお代わりの紅茶を注いだ茶虎猫が、ウナウナと話しながら白猫と共に食堂から去っていく。
「お前さんの部屋に、買った物を運んでおいてくれるらしい。カーテンはサービスすると言っていた」
「何から何まで、本当にありがとうございます。お金も……」
「そこは本当に気にせんでいい。むしろ、贈り物をもらったのは儂の方だ」
ゼノの視線が、自身の服に向けられる。オルキスが錬成した、ゼノのためのサーコートだ。わずかな型崩れもなく、ゼノの鍛え上げられた身体をさらに雄々しく見せている。
「儂の服を仕立てるとなると、そりゃもう大変でな。かといって既製品だと、肩も首も窮屈だったんだが。お前さんが作った服は最高だ」
ほれほれ、と腕を回して見せてくれる。一見粗暴な動きに見えるのに、どこか品がある。
オルキスは顔を綻ばせた。
「……嬉しいです。良かったら、また作らせてください」
ゼノが笑う度に、喜ぶ度に、過去の自分の傷が少しずつ癒やされていくようだった。
「いいのか?」
「もちろんです」
錬金術を学んできて良かった、と。
オルキスは、心からそう思った。
食堂から応接室へと戻ると、室内の光景が一変していた。
毛足の長いフカフカとした絨毯が敷き詰められ、ローテーブルとソファはより高級感のある、大きなものになっていた。壁には木々をモチーフにした風景画がかけられ、部屋の隅にはルクスダインの紋章が刻まれた旗を持つ甲冑が飾られている。
「本もあるだけ書庫に運ぶように言ってある。好きな時に読むといい。今まで興味はなかったが、買い物というのは楽しいものだな」
気を遣ってではなく、本当に楽しんでいる言い方だった。
オルキス用の生地や服、装飾品、たくさんの家具。それだけでも小さな屋敷なら建ちそうなくらいの金額に思われたのだが。どうやらゼノは、砦全体の内装を変えるつもりのようだ。
散財というレベルではない。ユーライト家にだって、一度にそこまで使える資産はなかった。
「あの、ゼノさん……!お気持ちは嬉しいのですが、返せるものが何もなくて……!」
「ん?支払いは気にするなと言っただろう?」
「それは聞きましたけど……!」
「気が向いたら、また儂に服を作ってくれ」
「そんな……」
絶対に釣り合わない。だがゼノの中では決定事項らしく、この会話は終わりだとでも言いたげに、オルキスを抱いたままソファに腰を下ろした。
ちなみにここまでの移動は、例によって抱っこである。
手当により傷の痛みもほぼないというのに、ゼノはオルキスを抱き上げたがる。細身の少女なら絵になったかもしれないが、普通の男の自分では、とオルキスはその度に赤面していた。
「さて、勇者タチバナの話だが」
とは言え、勇者の名前を出され、ハッとしたように表情を引き締める。これから語られることは、どの資料にも記されていない真実なのだろう。そんな予感がした。
「世間では、勇者タチバナは神の導きによりこの世界へ降りてきた使徒だと言われている。彼は聖女と騎士を連れて旅立ち、魔王を討ち倒した。ここまでは同じか?」
「……はい」
ゼノが話した内容は、この国の者なら誰でも知っているものだった。
オルキスが頷くのを見て、ゼノが「真相、一つ目」と指を立てる。
「タチバナは降りてきた使徒などではなく、召喚魔法によってこの世界に呼び出された存在だ」
「……っ、召喚魔法……!?でもそれは……!」
「禁術とされている、大罪だな。聖女は反対したらしいが、王は魔術師たちを集め召喚陣を完成させた。魔王討伐は、それだけの大罪を犯すには充分な大義名分だった」
当時、魔王はその力を増大させ勢力を伸ばし始めたばかりだった。
手始めに、後にルクスダインとなった地域が全て死の土地となった。元々は雪解け水により豊かな土壌に恵まれた農業地帯で、いくつもの町や村があった場所だった。しかし魔物に蹂躙され、焼き払われ、あらゆる生き物が死に絶えた。
魔物たちから発せられる穢れに侵されたことで、ルクスダインは今もなお荒れた地となっている。
「国土の一割があっという間に死の土地になるのを目の当たりにした王は、禁術を使い勇者を召喚した。旅の途中でタチバナに聞いたんだが、次元を超えた者には『イセカイチート』という特別な力が与えられるらしくてな。世界のパワーバランスを変えかねないから、召喚が禁止されている『設定』だ、と言っていた」
「……設定」
「本人は『俺はただの人間だ』なんて言ってたが。この世界について、過去も未来も全部知ってる口ぶりでなぁ。あいつがいた世界は、ひょっとすると神の国だったのか?なんて思いが今でもある」
そうして勇者を召喚した王は、聖女と、当時冒険者をしていたゼノを何故か騎士として指名して、三人で魔王討伐へ向かうように告げた。突然騎士として勇者の供をするように言われたゼノは、王から『ある命令』を下された。
「で、色々あって魔王を倒したんだが。……話の本題はここからだ。儂が勇者を騙し討ちして聖女だけ連れて逃げたとされる件だな」
深く、核心に触れる話に知らずオルキスの身体に力が入る。
その背を「そんなに大した話じゃない」とゼノが撫で、小さく肩をすくめた。
「真相、二つ目。魔王を討伐した勇者を殺そうとしていたのは、儂ではない。……王だ」
「…………」
話を聞いているうちに、オルキスも薄々そうではないかと感じていた。
王は、平和になった世界に強大な力を持つ勇者は必要ないと、考えたのかもしれない。
「魔王を倒したら勇者を殺せと、命じられていた。許せん話だ。お互いに背中と命を預け合う関係だった儂とタチバナの間には、紛れもなく友情があった。もちろん、聖女ともな。そこで一計を案じた。名付けて、『タチバナを帰還させて丸く収めよう』作戦だ」
やけに軽いノリの作戦名だが、その内容は至って真面目なものだった。
まずは魔王討伐後にタチバナが自身の『チート』と聖女の力を使い、元の世界に帰還する。それからゼノと聖女は崩壊する魔王城から脱出し、王にはタチバナ殺しが成功したと報告、対外的にはゼノが勇者を裏切ったことにした。
「でも、それじゃあゼノさんが……」
「裏切ったことにしなければ、後ろ盾のない儂は飼い殺された挙句、口封じに暗殺されとっただろう。国民に処刑の声を上げさせて、聖女がそれを止め、魔王の地へ封印するよう進言する。なんちゅーか……。冒険者時代に王に呼び出された時点で、儂の命運は詰みだったわけだ」
「そんな……」
あまりにも横暴だ。四十年前ということは、先代の王の頃。崩御したのは、オルキスが生まれるよりも前だ。
王としては、正しいのかもしれない。国のために、犠牲にしなければならないものはあるだろう。
だがそれは当人が払うべき代償で、召喚されただけの勇者や、冒険者として暮らしていたゼノに背負わせるものではない。
怒りと悲しみを感じ眉根を寄せるオルキスに、ゼノは少しだけ笑った。
「確かに詰んではいたが、三人で協力して選んだ道は最善だった」
真相、三つ目、と。穏やかな表情で続ける。
「タチバナは元の世界に帰還する前に儂に二つ贈り物をしてくれた。一つは、この砦……というか城だ。あいつの力は『創造』と呼ばれる神から与えられた『チート』だった。その力を使って、儂が安心して過ごせる場所を作ってくれた。勇者の結界付きの城だぞ?」
「このお城……タチバナ様が造ったものだったのですか……」
外観の印象がゼノに似ていると感じたのはそのせいか、と納得した。友人からの贈り物であるなら、ゼノに似合うのは当然だと。
「あぁ。もう一つの方は、話に関係ないから今は省略する。……まぁ、そんなわけで、儂と聖女は魔王城でタチバナを見送った。その時にタチバナが儂に頼んできてな」
そこから先は、オルキスも昨日聞いて知っていた。
「ゼノさんが六十歳になった時に、僕が——オルキスがルクスダインに追放されてくるから助けてやってくれ、という話ですね」
「そうだ。……お前さんにはつらい話になるかもしれんが」
しかしどうやら、まだ別の真相があるらしい。今更聞かないという選択などあるはずもなく、オルキスは先を促すように頷いた。
ふう、と。一度ため息をついてから、ゼノが口を開く。
「タチバナの話では、ルクスダインへ追放されたオルキスは、そこで魔獣に遭遇し、なぶり殺される運命だったらしい。そしてその絶望と苦痛に満ちた魂はルクスダインに染み込んだ穢れにより魔の器となり、新たな魔王として復活する、と」
「……僕が、死んで……魔王に……」
「そして、そこまでがユーライト伯爵の計画だった」
突然出てきた父の名前に、オルキスは息を呑んだ。
「お前さんが孤立するように仕向け、魔術で行動を操った。……日頃から必ず身につけるように言われ、最後に回収された物があったりはしないか?」
問われて、一つだけ思い当たる物があり、声を震わせながら答えた。
「家紋入りのタイピンを……追放前に父が僕の首元から取っていきました。必ず身につけるようにと言われていたものです。見放されてはいましたが、それでも……ユーライト家に属すことを許してくれているのだと……」
言葉にはしなくても、少しでも愛情を感じてくれているのだと。そう信じていた。
「……タチバナ様は、父の行動の理由をご存知だったのですか?」
「お前さんの父親は邪教の信徒だと、言っていた。だから追放されるまでは、助けようとしても、その前にオルキスが殺されてしまうから無理だと」
オルキスの中に、ユーライト伯爵との思い出は存在しない。幼い頃は優しくしてくれた、などということもなかった。
皆の前で褒められる兄、大勢の者を集めて開かれる妹の誕生日パーティー。
オルキスは、いつもそれを別邸から見ているだけだった。
それも全て、父が計画のうちだったというのだろうか。
ゼノが無言で見つめてくる。オルキスは、深呼吸を一つした。今更、本当に今更だ。家族との絆など、初めから存在しなかった。それだけのことだ。
「……大丈夫です、続けてください」
伝えるとゼノは一度目を閉じ、ゆっくり開いてから、続きを話し始めた。
「魔王となったオルキスは、その後、ガリバリア大陸を死の大地へと変えていく。そうなる前に、助けてやってほしいと頼まれた。ルクスダインと名付けられるこの地に、必ずやってくるから、と。……これが、儂がここにいる理由だ。儂も暗殺されずに済んだし、お前さんも助かった。一石二鳥だ」
存外悪くないぞ、と晴れやかにゼノが笑った。
「ウナナ族に隣国への近道を教えてもらって遊びにも行けるし、住めば都というやつだ。……なにより、やっとお前さんに会えた。それだけで四十年暮らした甲斐があったというものだ」
オルキスを抱いたまま立ち上がったゼノが、窓際へと向かう。応接室の窓からは、雪山とはまた別の切り立った岩壁が見えた。
「ここから出たくなったら、いつでも言いなさい。お前さんが生涯困らんだけの金を持たせて、安全な国まで連れて行く。ただ……それまでの間、一緒に飯を食ってくれると嬉しい」
「……ません」
オルキスは涙が溢れてしまわないよう、ゼノの胸に顔を押し付けた。声を聞き取れなかったゼノが「ん?」と首を傾げる。
「……僕は、どこにも行きません」
それに同じ言葉を返すと、息だけで笑ったゼノが「……そうか」と、オルキスの身体を強く引き寄せた。




