③買い物
身体中の水分が出てしまいそうなほど涙を出し尽くした後、「食べられるようなら」と夕食に誘われ、オルキスは謝りながらも首を横に振った。固形物を口にしていないことをゼノは気にしていたようだったが、「疲れもあるのだろう」と早めに休むように告げて、一度ブーツを取りに戻ってから『自室』へと案内してくれた。最初に目を覚ました部屋は、一番狭いので早く温まると寝かせていただけのものらしい。
案内された『自室』はベッドがあるだけの殺風景な空間だったが、その広さや柱の作り、壁の装飾などはユーライト伯爵家よりもずっと立派なものだった。
「ベッドだけはウナナ族に頼んで用意してもらっててな。明日の朝、また来る予定になってるから、服はその時に頼もう」
「ウナナ族……」
美味しいスープを作る謎の一族だ。不思議な響きに、つい舌の上に乗せてしまう。
「商売っ気は強いが、気の良い連中だ」
ゼノの大きく硬い手が、オルキスの髪に触れた。そのままポンポンと撫でられ、驚いて顔を上げる。
「ん?どうした?」
「……いえ……、その、誰かに撫でられたのは初めてだったもので……」
「……そうか」
皺が刻まれた目元が、優しく細められる。
「備え付けの風呂の湯も出るようにしてある。儂の部屋は、廊下の突き当たりだ。鍵は開けてあるから、何かあれば来なさい」
最後にもう一撫でして、ゼノが去っていく。静かに扉が閉められ、部屋に静寂が訪れた。
オルキスは、ふらふらと、ほとんど無意識にベッドへと向かっていた。
倒れ込むようにして、シーツに身体を埋める。
考えなければならないことが、たくさんあった。土の上を転がったせいで服も汚れている上に身体も埃っぽいから、湯で流してしまいたい。
しかしベッドに身を委ねた途端、起き上がるどころか瞼を上げることさえ困難なほどの眠気に襲われた。
まるで、泥の中に沈んでいくかのようだ。
起きなければ、という意識を最後に、オルキスは深い眠りに落ちていった。
灰刃の砦に来てから、一夜が明けた。
砦と名前がついてはいるが、実際には王都にあってもおかしくない規模と造りの城である。
カーテンのない窓から、朝日が差し込んでくる。
目を覚ましたオルキスは、枕元に薬と包帯が置かれていることに気が付いた。寝ている間にゼノが持ってきてくれたのだろう。
薬を塗り直す前に、湯を浴びて頭をスッキリさせた。まだどこか現実味が薄かったせいだ。
昨日までは、罪人として追放され狭い馬車の中で揺られていた。王都では、誰もがオルキスを嫌い、疎んじた。本当の声を聞く者はいなかった。
だがゼノ・ルクスダインに出会ってから、全てが変わった。
裏切り者として名ばかりの辺境伯の地位を与えられ、四十年もの間荒れ果てた辺境の地で生きてきた騎士。
オルキスは、彼のことを資料でしか知らない。悪い人物だとは思っていなかったが、年齢と環境的に厳格で物静かな性格だろうと勝手に予想していた。
だがそれらは良い意味で裏切られた。
『ちゃんと話してみろ。……大丈夫だ。信じてやるから』
『お前さんを、儂の孫にする』
『ようやく会えた気持ちだ』
自身がずっと、心にもない言葉を吐き続けなければならなかったからこそわかる。ゼノの言葉に、嘘はなかった。
たとえ世間で語られている事実が『騙し討ちした裏切り者』だったとしても、真実は違うはずだ。それを考えた時、ゼノに問われた『ルクスダインから出る』という選択肢は、オルキスの中から消え去っていた。
「……構築、『衣服を汚れのないもの』へ」
術を組み立て、服を新しいものへと交換する。家具も錬成しようかと考えていると、廊下から誰かが扉をノックする音がした。
ゼノだろうかと思いつつ返事をする。
ゆっくりと扉が開き——。
「ウナー」
二本足で歩く猫が入ってきた。
「……!?」
「ウナー」
淡緑色の目をした、真っ白な猫だ。首に黒い蝶ネクタイをつけている。よく見ると、尾が二つに分かれていた。
背筋をピンと伸ばして二本足で歩いてきた猫が、オルキスの前で立ち止まる。
「ウナナ、ウナ、ウーナー」
全く、さっぱり、全然わからない。とりあえず見下ろすのも失礼かと思い、オルキスは床に片膝をついた。
「ウナナ!ウナナン!」
目線の高さが同じになったことに、喜んでいる……のかもしれない。何が何だかわからなかったが、一つだけオルキスにも予想できたことがあった。
「……もしかして、ウナナ族ですか?」
「ウナ!」
多分正解した。
立っていることと尾が二つあること以外は普通の猫なのだが、ウナナ族というらしい。
獣人には見えないので、魔力の多い猫が変化してなるというケットシーの亜種か何かだろうか。
それを聞くべきか悩んでいると、猫が前足をチョイチョイと曲げてオルキスに背を向けた。
「ついて来い、ですか?」
問いかけに、「ウナ!」と返される。ニャーとかじゃないんだな……、と思いつつ立ち上がり、後をついていった。
「気に入られたか。さすがだな、オルキスきゅん」
蝶ネクタイをした白猫に案内されて辿り着いたのは、これまた殺風景ではあるが十分な広さがある応接室のような部屋だった。
オルキスが中に入ったのを確認すると、猫はそのまま廊下を歩いていった。
真ん中にローテーブルと二人がけのソファがぽつんと置かれている。そのソファを体格ゆえに独り占めしていたゼノが、雄獅子のように立ち上がった。
「ウナナ族に会ったものは、大抵勝手に撫でようとしたり、ケットシーと勘違いして怒らせたりするんだが。どうやら、百点の対応だったようだ」
そうだったのか、とオルキスは胸の内だけで呟いた。さすがに無断で触ったりするつもりはないが、ケットシーかどうかは聞いてしまうところだった。しかしケットシーでなければ、何の種族なのだろう。さらに謎が深まってしまった。
「どれ、まだ足が痛むだろう」
近づいてきたゼノが、空を舞う蝶をさらうが如き自然な動きでオルキスの身体を掬い上げると、再びソファに腰を下ろす。オルキスの胴体と同じくらいの幅を持つ太腿に座る形となり、慌てて降りようとしたが筋力差的に無理だった。
「あ、あの、僕はもう十八なんですが……」
「六十の儂から見れば、生まれたても同然。それに、爺は孫を甘やかすもんだ」
カラカラと屈託なく笑われると、それが正しいような気もしてくる。とは言え、どうしても気になる点だけはしっかり指摘しておきたかった。
「気になってたんですが、……どうして僕を『オルキスきゅん』と呼ぶんですか?」
何か深い事情があるのなら受け入れるのもやぶさかではないが、ゼノが当たり前のようにそう呼んでくるので理由くらいは気になる。
問いかけると、どういうわけかゼノは意外そうな表情をこちらに向けた。
「『オルキスきゅん』までが名前じゃないのか?タチバナは、そう呼んでいたぞ?」
「申し訳ないのですが、多分その『きゅん』は『さん』とか『様』の仲間だと思います……」
貴族院にいた頃、見知らぬ女生徒がリハイラント子爵令息を見て「本当に『ガリバリア千年戦記』の世界なんだ!セシルきゅんがいるってことは、ここは第四部かな!?」と鼻息を荒くしているのを見たことがあった。内容の意味はわからないが文脈から想像するに、『セシルきゅん』とはおそらくリハイラント子爵令息の名前に付けられた敬称だと思われたが、ちょっと言い方が怖かったことを思い出す。ちなみにオルキスは彼女に「ヴィランに萌える癖はないんだよね」と言われていた。ヴィランという言葉の意味は、謎のままだ。
そうした内容を伝えると、目の前の白髪の老騎士は大袈裟なほどに、よろめいた。
「な、なんと……!察するに、惚れた相手に使うような敬称か?そりゃ申し訳ない!」
それも何だか違う気がしたが、「ではオルキスと呼ぼう」と改めてもらえたので、とりあえず頷いておいた。
「タチバナがお前さんの話をする時にやけに興奮していたのも、そういう事情か。……あいつめ、妻も子もいると言っておきながら……」
「勇者タチバナ様が……?」
そういえば昨日、勇者タチバナが『オルキスきゅん』と呼んでいたくだりがあったような気がする。聞き返したオルキスに、ゼノは「今日はその話をする予定だった」と言うと、部屋の扉へと視線を向けた。
「タチバナの話は後にして、まずは買い物を済ませよう。支払いは気にせんでいい。金なら、たんまりある」
扉が開き、先程の猫が大きな箱をいくつも抱えて入ってきた。可愛いが大変そうな姿に慌てて手伝おうとしたが、ゼノに「ああ見えて、オオトカゲを片手で持ち上げられるくらいの力はある」と耳打ちされて動きを止めた。……オオトカゲ。昨日、オルキスを襲ったあの巨大なトカゲのことだろうか。
驚愕に固まっている間に、どどんとテーブルの横に箱が積まれた。
「まずは生地から見せてもらおうか」
「ウナー」
箱の山から一つ取り出した猫が、テーブルの上にそれを乗せる。蓋を開けると、棒状に巻かれた布が整然と並んでいた。
「ふーむ。相変わらず良い品だ。全部もらおう。この子に似合いそうな生地は、いつでも買い上げる」
「ウー!ナー!」
ゴロゴロゴロ、と猫の喉が鳴った。
「既製品はあるか?仕立てが終わるまでの当面の衣服も、用意してもらいたい。それと家具やベッドの替えのシーツ。……家具も持ってきてくれたのか?よし、それも全て買おう」
「ウナナー」
「装飾品か……。オルキスの好み次第だな。オルキス、何か欲しいものはあるか?何でもいいぞ」
不意に話を振られ、「会話できてる……」と驚いていたオルキスは面食らった。
「そ、装飾品、ですか?」
「カフスにタイピン、ピアスも良いな。時計はどうだ?指輪も似合いそうな手をしている」
「い、いや、その……付け慣れていないので、大丈夫です」
ぶんぶんと首を横に振って断ると、なぜかゼノは逆に楽しそうに笑った。
「なら、慣れるといい。今日のところは、それも丸ごと買おう」
「ウナン!」
「あぁ、この子に似合いそうな物があれば、とにかく出してくれ」
「ウナー!」
まさにホクホク顔で猫が何度も頷き、次々と箱を開けていく。
革靴、部屋履き、ブーツ。靴下、下着。シャツ、ズボン、ベスト、クラヴァット、クロスタイ。コートにマントまで、何でも出てくる。
「仕立てた方が着た時の形が良いが、しばらくは既製品で我慢してくれ」
当たり前のように全て買う前提で言われ、オルキスはもう首を縦に振るしかできない。
石鹸や鋏といった生活用品まで並べて、それらも残らず買い上げが決まったところで、猫が風のように部屋から出ていった。しばらく待っていると、今度は片手にカウチ、片手にチェスト、背中に絨毯を担いで戻ってくる。どうやって!?と驚くオルキスを後目に、ここに来てゼノが「うーん」と首を傾げた。
「かなり派手だな」
どうやら彼の好みではなかったらしい。オルキスも同じ意見だった。装飾も素晴らしく、デザインも洗練されているのだが、ゼノの居城に置くには色が強すぎる。
「……ウナ……」
微妙な顔をする二人を見て、白猫がしょんぼりと肩を落とす。その様子に、「あの!」と声を上げた。
「色だけ……変えてみてもいいでしょうか?」
オルキスが支払うわけではないので図々しいと言われるかもしれないが、提案をしてみる。
「お前さんの買い物なんで、もちろんいいが。……色だけ変えてみる、とは?」
ゼノに問われて、「はい」と頷いた。
「錬金術を使えるので……」
「ほう。同じ価値の物を交換する構築術、だったか?」
「はい。あまり得意とは言えないのですが、これくらいなら。——構築、『赤地に金の刺繍を、藍地に銀の刺繍へ』へ」
言葉に乗せると、時計に似た錬成陣が家具を包み込み、あっという間に色味を藍地に銀の刺繍へと変えていった。
「それと、こちらの生地も仕立てなくても、すぐに加工できます。……構築、『生地をサーコート』へ」
今度は、白地に青の刺繍が入った生地が陣に包み込まれる。光が収まると、そこには一着の大きなサーコートが畳まれて置かれていた。
「ぬおおぉぉ!なんじゃそりゃあー!!」
「ウナアァァン!!」
一人と一匹の絶叫に、びくりと肩を揺らす。なにかまずいことをしたのかと、オルキスは目を見開いているゼノを見上げた。
「れ、錬金術です。何か、いけなかったでしょうか……」
余計なことをしたのかもしれない。友人などいないオルキスは、自分以外に錬金術を使用している者を見たことがない。お粗末すぎて呆れられてしまったのかと想像して、胸が締め付けられた。
だがそんなオルキスの想像とは違い、ゼノは瞳を輝かせると「こいつはすごい!」と称賛の声を上げた。
「今まで何人も錬金術師を見てきたが、こんな規格外の術は初めて見たぞ!」
「そ、そうなんですか……?」
誰でもできる術だと、ずっと思っていたのだが。
「同じ価値というものはな、原則として同じ物でしか存在せん。そこを崩すなら、負担を強いられるのは術者側だ」
驚きながらも、語り聞かせるようにゼノが言う。
「たとえば、ここに鉄の塊があったとしよう。物質としては、剣の刃と同じ物だ。だが剣に錬成するには、鉄と刃を同じ価値にする必要がある。切れる刃を作るなら、その数百倍の鉄の塊が必要になる。対価と結果の釣り合いが難しい。錬金術が避けられる理由だ」
「ウナナーナ、ウーナナ」
「ウナナ族の情報網でも、見たことがないらしい。……ひょっとしてお前さん、タチバナと同じ『イセカイチート』持ちか?」
「イセカイ、チート?」
初めて聞く言葉に、頭にハテナマークが浮かぶ。
「その様子だと、『イセカイ』人ではないようだが。タチバナが『イセカイ』もしくは『チート』という言葉に反応したら、自分と同じ世界から来た者だとわかると教えてくれたものでな。しかしその常識を超えた力は、タチバナと同じものを感じる。お前さんには、お前さん自身も知らない秘密があるのかもしれんなぁ」
ゼノによる『イセカイチート』なるものの説明は、オルキスにとって半分以上理解できないものだった。だが彼が呆れたり、蔑んだりしていないことにホッとする。
「ちょうど買い物もひと段落したところだ。ウナナ族には砦を安全な宿として提供する代わりに、いる間は食事を用意してもらう約束をしている。とりあえず、飯にしよう。食べられそうか?」
「は、はい……!あっ、でもその前に、サーコートを取っていただけますか?」
「さっき錬成した、これかな?」
オルキスを片膝に乗せたまま、ゼノが腕を伸ばしサーコートを手に取る。
「……防御強化の術。魔道衣か」
オルキスの耳には届かない、小さな呟き。それ以上は何も言わずに、ゼノはサーコートをオルキスに差し出した。
「良い出来だが、お前さんが着るには大きいぞ?」
「その……ゼノさん用に、と」
「儂に?」
ぱちくり、とゼノが瞬きをした。
その美しい青銀の瞳と、サーコートの色がよく調和している。生地を見た時から、きっと似合うだろうと思っていた。
「似合いそうな生地だったもので、つい……。余計なことでしたら、すみま——」
「オルキスぅ〜!!」
「わぁ!」
ギュウウウウと抱きしめられ、オルキスの背が反った。
「儂の孫は、なんて可愛いんだ〜!!タチバナに自慢してやりたい〜!!」
チュッチュ、と。小鳥の啄みのような軽い口付けが、オルキスの頬に降らされる。
乾いた唇の感触に、なぜかオルキスの胸が小さく跳ねた。




