②ルクスダイン辺境伯
パチパチと薪の爆ぜる音がする。
空気はふんわりと温かく、身を包む毛布は柔らかい。
オルキスは、暖炉で暖められた一室のベッドの上で目を覚ました。
微かな頭痛を感じて額に手をやる。丁寧に、包帯が巻かれていた。あの巨大トカゲが地上に現れた時に、巻き上げられた石が当たってできた傷だ。
ゆっくりと起き上がり、毛布をめくる。足にも同じように、包帯が巻かれていた。
「起きたか、オルキスきゅん」
扉が開き、意識を失う前に見た大柄で筋骨隆々の老騎士がトレイを持って入ってきた。
胸当てや鉄甲が外され、腰までの長袖チュニックにズボンという簡易な服の下で、筋肉がくっきりと浮かび上がっているのが見える。
オルキスは慌ててベッドから降りようとして、「あーあー、いいから」と片手で押さえられた。
「……ルクスダイン辺境伯閣下」
「ゼノ、でいいぞ。どうせ人なんぞ滅多に来んからな」
いきなり無茶振りをされる。爵位的にも立場的にも、オルキスよりも彼の方がずっと上だ。ましてや、オルキスは父に見放され家からも除籍されている。今の身分は、平民の罪人。呼び捨てなどできるはずもない。
そんな戸惑いが伝わったのか、トレイをテーブルに置いた老騎士が僅かに目を細めた。
「こりゃ聞いてた通りか。……気の毒になぁ」
うんうん、と一人で何かに納得している。当然オルキスには、何のことだかわからない。問いかけると、「とりあえず飲みなさい。身体が温まる」とスープが入った椀を差し出された。
「ウナナ族から貰った炙り魚のスープだ」
一度も聞いたことのない、謎の一族のスープを受け取る。口にすると香ばしい香りと魚の旨みが、舌の上に広がった。
「美味しいです……!」
「おっ、儂と舌が合うな」
やたらと口調の軽い老騎士だが、その眼差しは穏やかで優しい。片手で大剣を振り回し、トカゲを叩き割っていた相手とは思えないほどだ。
色々とありすぎて限界が来ていた身体に、優しいスープが染み渡る。一杯分の量を、あっという間に飲み干してしまった。
「……ありがとうございます。助けていただいただけでなく、食事や治療まで……」
「年寄りの親切なんて気にせんでいい。……と言いたいところだが、少しばかり事情があってな」
空になった椀を受け取った老騎士が、トレイにそれを戻してから「寒くないか?」と暖炉に薪を足しにいく。
「事情……ですか?」
「あぁ。だがそれを話す前に、先にそっちの事情を確認しておきたい。擦り合わせにはなるが」
テーブル横の椅子をベッド脇に置き、そこに腰を下ろす。老騎士の重みに、椅子が悲鳴に似た音を立てた。
事情と擦り合わせ。彼の言葉に疑問が湧いたが隠す必要もなく、オルキスはベッドの上で居ずまいを正すと素直に答えた。
「私の名前は、オルキス。ユーライト伯爵家の次男ですが、先日除籍されました。王太子殿下がご寵愛される子爵令息に懸想をして、危害を加えようとしたため……その……王都では流刑地扱いのこちらに……送られました」
実際には子爵令息に懸想をしていなくても、彼を穢そうと怪しげな薬に手を出した事実などどこにもないとしても。それらは真実として、語られていく。
どんな相手も、オルキスを蔑んだ目で見るだろう。だからそれは辛くはない。ただ、命を助けてくれた相手が住む場所を流刑地扱いしている現状が、心苦しかった。
「ふんふん。——……で?真相は?」
しかし老騎士は、その目に少しの疑いや嫌悪も乗せることなく問いかけてきた。
「えっ……?」
「本当のところだ。まさか本気でその子爵令息とやらに懸想をしてたのか?」
「まさか、そんな!」
「だったら、ちゃんと話してみろ。……大丈夫だ」
——信じてやるから、と。
真っ直ぐにそう言われ、オルキスは息を呑んだ。
自分の何倍も多く生きているこの老騎士は、いったい何を知っているのだろう。
「あ、あの…僕、…いえ、私は」
「僕でいい。ここにはそんな些細な口調の違いを気にする奴なんぞ、おらん」
言い方は素っ気ないのに、声は優しかった。
話していいのだろうか。
妄想の激しい、おかしな奴だと笑われるのではないだろうか。
そんな疑いと、信じたいという気持ちがせめぎ合う。
……勝ったのは。
「笑われるかもしれませんが……」
自身と同じく悪役と言われ続けてきた、ゼノ・ルクスダインを信じたいという気持ちだった。
オルキスは、洗いざらい全てを話した。
幼少期から、心にもない暴言を周囲に吐いてしまっていたこと。
正しくあろうとすると、途端に身体が自分の意思では動かなくなり、傲慢で卑劣なオルキス・ユーライトになってしまうこと。
王太子にも子爵令息にも興味などないのに、いつのまにか子爵令息に横恋慕していると言われていたこと。
行動の全てが裏目に出て、最悪の結果になってしまうこと。
十八歳の誕生日に王太子によって断罪され、灰刃の砦に送られる未来が決まっていたこと。
「理由も原因もわかりません。……ですが僕は、追放されるまで、この話を誰かに話すこともできませんでした。話そうとすると、口が開かなくなっていたんです」
「……なるほどな」
全てを聞いても、老騎士は笑ったり疑ったりはしなかった。静かに話を聞き、腕を組んで天井を見上げる。
少しの、沈黙。
やがて視線をオルキスへと戻した老騎士が、口を開いた。
「——儂には、親友がいてな。実はそいつから、お前さんのことは聞いていた」
それは、意外な言葉だった。
「僕のことを、ですか?ユーライト伯爵家に寄生する厄介者、という噂でしょうか」
口に出して言うと惨めだが、王都でのオルキスの評判はそんなものだ。今はもっとひどくなっているだろう。
しかし自虐を含んだ問いかけに、老騎士は首を横に振った。
「儂が六十の歳に、『オルキスきゅん』という名の黒髪に黒い目の青年が『ルクスダインと呼ばれる地』に無実の罪で追放されてくる。続編で魔王にされてしまうから、助けてやってほしい、とな」
「……続編?魔王?……なんですか、それ」
「儂も詳しくは知らん。知らんが、そう約束した」
「誰とです?」
「勇者タチバナとだ」
「——……えっ?」
あまりに唐突かつあっさりと出てきた名前に、オルキスは言葉を失った。
勇者タチバナ。四十年前に神の使徒として現れ、魔王を倒した勇者の名前だ。
「詳しくは、追々話してやろう。まずは体力の回復が優先だ。お前さん、相当細いぞ。ちゃんと食べてたか?馬車の中じゃない。それより前の、日常でだ」
「……あ、はい……、……いえ」
「どっちだ」
「……その、貴族院の食堂では、僕の食事だけ量が……少なくて」
オルキスが言葉を濁した途端、小さな椅子に座る大きな老騎士の気配がぶわりと膨れ上がった。
「配膳をするのは、雇われの大人だろう?」
「あ、あの頃の僕は、暴言を吐いてたくさんの人を傷付けていましたから。自業自得なんです」
「自分の意思じゃなかったのにか?」
「僕が傷付けたのは、事実ですから。……でも」
目の前で怒りを露わにする老騎士は、あの巨大なトカゲの何倍も恐ろしかった。
けれども一方でオルキスは、暖かな気持ちを感じていた。
初めて受ける、感情だった。
老騎士は、心を痛めてくれているのだ。
「怒ってくださって、ありがとうございます」
礼を言うと、老騎士はむにむにと口を動かした後「はあ〜」とため息をつきながら眉尻を下げた。
「……決めた」
何を?と問う間もなく、大きな手でオルキスの手が包み込まれる。
「お前さんを儂の孫にする。今日から、オルキス・ルクスダインを名乗るといい。……この国での、辺境伯の地位は?」
「……魔王討伐の功績と、魔王城封印の継続任務により、公爵位と同等です」
「伯爵より上になったな。もし今後、お前さんの家が何か言ってきたら、『無礼者め』と一蹴してやれ」
ギュッと、手に力が入れられる。
硬く、分厚く、熱い手だった。
「辺境伯閣下……」
「ゼノで良いと言っただろ。ほれ、呼んでみろ。ゼノ、だ」
あの無茶振りを忘れてなかったらしい。しっかり目を合わせながら言われて、逃げ場がなくなる。
「ゼノ、様……」
「ゼノ」
様付けも駄目らしい。悩んだ挙句、せめてもの呼び方を提案した。
「……ゼ、ゼノ……さん」
「う〜ん、まぁ、良し」
ギリギリ及第点を貰い、ホッとする。胸を撫で下ろしたところで、先程の『儂の孫にする』発言がようやく頭に回ってきた。
「——……って!だ、駄目です!僕は罪人なんですよ!?ここで使用人として働かせてもらえれば、それで」
「儂も罪人だもん」
だもん、てなんだ。
心の中でつい突っ込んでしまったせいで、伝えるつもりもなかった思いが滑り出る。
「それは何か理由があったからでしょう!?」
その言葉に、老騎士がぴたりと動きを止めた。
「……なぜ、そう思った?」
一転して漂う鋭利な雰囲気に、ひょっとすると彼の本質はこちらなのではないだろうかと考えながらも、答えを返す。
「単純に、あなたが強いからです。あなたほど強ければ、いつでもルクスダインから出られたはずなのに。だからここにいるのも、何か事情があるからだろう、と。そう考えました」
「……なるほどね。儂のこと結構調べた?」
「ルクスダインへ追放されると気付いてから、ずっと調べていました」
「怖いとは、思わなかったのか?」
問われ、質問の意図が分からず、オルキスは首を傾げた。それを見て、補足のように老騎士が続ける。
「魔王お抱えの三将軍を一人で倒すような、化け物じみた罪人の元に来ることが」
今度は理解できた。
しかし共感できるかと聞かれれば、答えは否だった。
「誰かを脅かそうと考える人は、四十年も辺境にいないのではないでしょうか。現にこうして僕を助けてくださった。……あなたは、優しい方です」
その返答に、老騎士は目を丸くすると声を殺して笑い始めた。
「タチバナ……、お前が『推し』だと言っていた理由がわかったぞ」
ここにはいない誰かに向かって声をかけると、「とっておきの場所に案内してやろう」とオルキスを片手で抱え上げた。
「ゼノ、さん……!?」
「おぉ、軽い軽い。まるで雪兎の子のようだ」
驚くオルキスに、老騎士——ゼノが笑い、壁のフックに引っ掛けていたマントを手に取った。
そうしてオルキスを抱えたまま、部屋から出る。
「世間では、この砦はどう噂されておるかな?」
「い、一年中雪と氷に閉ざされ、魔獣の脅威に晒されている最北の砦だ、と」
送られたら最後、生き残るには徘徊する魔獣と戦うしかなく、そして死んで灰にならない限り出ることは叶わない。
ゆえに、灰刃の砦。
そう答えると、石でできた回廊を歩きながら満足げにゼノが頷いた。
「その通り。お前さんの前にも、何人もここに送られてきた。政治的な失脚、謀略の失敗、痴情のもつれもあったか?……まぁ、皆死んだが」
「……なぜ、ですか?」
「そいつらには、砦に送られるだけの理由がちゃんとあったわけだ。砦に置いてある金目のものを盗んで逃げようとした奴、儂を殺して砦を奪おうとした奴、色々だ」
逃げようとした者は、おそらくあの荒野で捕食者に襲われて命を落としたのだろう。ゼノを亡き者にしようとした者は、果たしてどのような末路を辿ったのか。気にはなったが、オルキスにはそれを聞く勇気はなかった。
とりあえず、ルクスダインへ追放された者たちが生き残っていないことだけはわかった。
そして同時に、悲しいと感じた。
ここはゼノが治め、暮らしている土地であるはずなのに。
「流刑地として扱われていることに、不服はないんですか?」
「人が住める場所じゃないのは事実だ。最初の数年は、水源を確保するのに苦労したぞ?なにしろ、地面もカチンコチン。山に登れば大量の雪が手に入るが、面倒くさいのがウヨウヨしとるのでな」
こともなげに言うが、おそらく想像を絶する日々であったはずだ。
本当になぜ、そこまでして住み続けているのだろうか。
オルキスの視線から疑問を感じ取ったのか、ふ、と笑ったゼノが手にしていたマントでくるりとオルキスの身体を包んだ。
「外に出る。寒いぞ」
ゼノに抱き上げられた状態では小さく見える扉が、開けられる。
一気に冷たい風が吹き込んできた。
「わぁ……!」
「ここが一番、景色が良くてな」
光景に、圧倒される。
そこは等間隔に柱が立ち並ぶ、高い天井のロッジアだった。半面の壁が全て取り払われ、開放的な空間になっている。向かって右側に天に聳える雪山ヒムマルナがあり、左側に荒野が広がっていた。
陽が沈んだばかりらしく、空は青と朱を混ぜた色をしていた。
高い場所にあるのか、砦の造りもよく見えた。砦というよりは、城という表現の方が相応しい荘厳な見た目をしている。
また疑問が湧いた。
「こんな立派な建物、誰がどうやって建てたんでしょうか……」
とてもではないが、一人で建てられる規模ではない。オルキスは当初、掘っ立て小屋程度の砦を覚悟していたのだ。王都に住む者の認識は、皆その程度だろう。
だが実際には違う。
白灰色を基調とした、巨大な城だ。凍りついた地面から垂直に聳える壁。空に向かって伸びる無数の尖塔。大きなアーチ状の窓には、厚いガラスが嵌め込まれているのが見える。美しくもあり、力強くもある。どこかゼノに似た印象を持つ城だった。
問いかけるとゼノは「貰い物でな」と笑い、「見ろ」とオルキスの身体を雪山と荒野が織りなす雄大な景色へと向けた。
「これがルクスダインだ。資源も水も、豊かな土壌も何もない。儂は慣れとるが、お前さんには酷な場所になるだろう」
淡々と語るゼノの表情には、何の感情も浮かんでいない。
「もしお前さんが望むなら、ここから出る手助けをしてやれる」
「……えっ?」
思いがけない提案に、オルキスは振り向いて、間近にあるゼノの顔を見上げた。
「孫にすると言ったのは本気だ。だが選択肢がないのはフェアじゃない。今すぐにとは、言わん。よく考えてから返事をくれ」
青銀色の瞳が、オルキスを映している。
「どうして……初対面の僕に、そこまでしてくださるのですか?」
今ここでそれを聞くのは、彼の親切を疑っているように思われるかもしれない。けれども、問わずにはいられなかった。
「勇者と交わされたという、僕を助ける約束も、すでに果たされているはずです。あなたと僕は、何の関係も」
ないはずなのに、と言いかけて。
優しく、けれどもどこか孤独を抱える瞳に言葉を飲み込んだ。
「……なが〜い間、どんな子なのかと考えていてなぁ。一人で誕生日を祝ったりもしておった」
馬鹿みたいだろう?とゼノが笑った。
「辛い思いをしていないか。どういう理由でこの地に追放されてしまうのか。迎えに行った方がいいのか。何度も同じ問いをして。その度にタチバナから聞いていた『オルキスきゅんは追放された後じゃないと救えない』という言葉を思い出して、踏みとどまっていた」
だから、とゼノが目を柔らかく細めた。
「ようやく会えた気持ちだ」
「——……」
妹を害したと誤解されて、別邸に隔離された夜。
厄介払いのように、貴族院の寮に放り込まれた日。
まともに配膳されない食事に腹を空かせ、水を飲んでごまかしていた。少ない量に胃が慣れてしまうまで、苦しかった。
家族を始めとした家の者は当然、生徒だけでなく、教師からも疎まれていた。
オルキスはそれらを抗えない運命として受け入れ、暴言を吐かないよう人を遠ざけ、人から遠ざかった。
一人で、誰にも理解されず、誰にも気にかけてもらえなかった日々。
それが全てだったはずなのに。
「……誕生日……祝っていてくださったんですか」
「あぁ。日付まではわからんから、そろそろ生まれただろう、辺りからだがな」
「そんなに、前から……」
「できれば、一緒に祝いたい」
ゼノの指が、オルキスの濡れた頬に触れた。
「したかったこと、全て儂が叶えてやる」
「……っ……」
胸に込み上げる熱い何かに、喉を詰まらせた。声が震えて、息も出ない。
ただ、目の前の温かい胸に縋り付く。
オルキスは、思いの全てを吐き出すようにして、ゼノの胸の中で泣いた。




