先生の素顔
放課後、オカルト研究部の引き戸に手をかけたところで、中から声が聞こえた。
「……今日もね、授業で噛んじゃって……」
終先生の声だ。
私は戸を開けかけた手を止める。
「先生ね、真面目にやってるんだよ。それなのに、喋るたびにくすくす笑われて……うぅ、もちおだけだよ、味方は」
もちお。
前に鞄から転がり出た、あのクマのぬいぐるみだ。
聞かなかったことにするべきか、入部した部員として普通に入るべきか。迷っているうちに、先生の愚痴は続いた。
「でもね、もちお。先生、今日も授業頑張ったんだよ。途中で黒板消し落としたけど」
だめだ。
このまま聞いているほうが悪い。
私は引き戸を開けた。
「先生」
「ひゃっ!?」
終先生の肩が跳ねた。
机の上には部活動日誌。先生の両手には、クマのぬいぐるみ。
「さ、佐倉さん!? 聞いてた!?」
「ちょっとだけ……」
「ち、違うの、これは、その、ストレス解消のれっきとした心理メソッドで……」
「はい」
「はいって何!? うぇぇ、やっぱり全部聞いてたでしょ今の!?」
私は部室に入って、引き戸を閉めた。
終先生は耳まで赤くして、もちおを胸に抱えている。
「もちおが味方なの、わかります」
「……え?」
「私も、誰にも言えないことを何かに聞いてほしくなる時、あります」
終先生の手が、もちおを鞄へ押し込む前で止まった。
「……変、じゃ、ない?」
「全然。先生も、普通に疲れますもんね」
「教師が、ぬいぐるみに授業の反省を話してるんだよ?」
「授業の反省なら、かなり先生っぽいです」
「先生っぽいかなぁ……?」
「少なくとも、もちおに愚痴ってる内容が生徒の悪口じゃないです」
終先生は、もちおを鞄へ戻した。
「佐倉さん、笑わないんだね」
「笑ってほしかったですか?」
「それは嫌です」
「じゃあ、笑いません」
言ってから、私は開いたままの部活動日誌を指した。
「先生、日誌つけてたんですか?」
「うん。オカルト研究部は活動内容が活動内容だから、せめて記録は真面目に残そうと思って」
「佐倉さん、その、もちおのことは……」
「言いません」
「四条さんにも?」
「言いません」
「ほかの生徒にも?」
「言いませんって」
「ありがとう」
その時、引き戸が開いた。
「ぴこーん! 今日のオカルト研究部、キラキラの波長を受信したみゅん!」
「ふぇっ!? 四条さん、いつからそこに!?」
ののみが部室に入ってくる。
手には、黒い布の袋。終先生は鞄を胸に抱えて固まった。
「ツッチー先生と作戦会議みゅん?」
「そうそう、部活の今後について話をね?」
そう言いながら、終先生は急いでもちおを鞄の中にしまった。
「それで、ののみ。今日は何を持ってきたの?」
「ぴこーん。今日はこっくりさんを試してみるみゅん!」
ののみは机に黒い布を広げた。
厚紙のボードには、五十音と数字と鳥居の絵が印刷されている。
「それ、どこで」
「通販サイトで見つけたみゅん。初心者にも安心、こっくりさん入門セットみゅん」
「安心して入門しちゃだめなやつです!」
終先生は、私の制服の袖をぎゅっと握った。
「先生、絶対やりたくないです! こっくりさんはだめ!」
「ツッチー先生、ビビりすぎみゅん」
「だ、だって、怒らせたら……っ。あ、いや、いないけど! いないからね!?」
ののみは十円玉をボードの中央に置いて、両手を添えた。
「こっくりさま、こっくりさま。おいでくださいみゅん」
「来ないで来ないで来ないで」
ぴこーん、と、ののみのアホ毛が跳ねる。
「……今、十円玉が動いた気がするみゅん」
「ひぃっ」
「それ、ののみの手が震えてるだけ」
「ばれたみゅん」
私は、ボードの上にあるののみの手に自分の手を重ねた。
「今度、先生がいない時に二人でやらない?」
「真白ちゃん?」
「先生、もう泣きかけてるし」
「泣いてませんっ」
ののみは、こっくりさんから手を離し、重なっている私の手を握った。
「ぴこーん。じゃあ真白ちゃん、約束みゅん」
「うん、約束」
終先生が、こっくりさんセットを黒い布で覆う。
私の手に絡んだののみの手は、しばらく私から離れなかった。
***
十六室のソファの真ん中に、私は座っていた。
左から久遠先輩が腕を絡め、右からは雪乃が負けじと私の腕を抱え込む。両脇から固められるのにも、最近は慣れてきた。
向かいに座った紡先輩だけが、テーブル越しに私のスマホへ手を伸ばした。
紡先輩は、写真を順番に見る。
剥がした板と、鋼鉄の扉。暗い鍵穴の写真で、紡先輩の指が止まる。
「まさかこんなものがあるなんて……」
「扉がありました。でも、鍵が必要みたいです」
「それと、進捗は?」
久遠先輩が、私の肩に頬を寄せたまま聞いてくる。
「四条さんとは?」
「旧校舎に行って、連絡先も交換しました」
「藤代先生は?」
「少しは話せるようになっています」
「そうね、情報があるわ」
久遠先輩は、私から離れないまま話し始めた。
「藤代先生は、ラピピにかなり入れ込んでいるわ」
「ラピピ?」
「ぬいぐるみ系のキャラクターよ。まんまるい瞳に、ぎざぎざの歯。にやっと笑った、可愛いんだか不気味なんだかわからない顔で、箱を開けるまで中身がわからないシリーズものよ」
「あー、なんか見たことあるかもしれないです」
「土曜日の朝、限定ぬいぐるみの販売があるわ。先着制。藤代先生が来るかもしれないわね」
久遠先輩が、空いたほうの手でスマホをこちらへ向ける。
画面には、限定販売の告知が出ていた。先着順、購入制限一人一体。
「こういうのって何時に行けばいいんでしょう……」
「早朝から並ぶイメージがあるわね」
「分かりました。早起き頑張ります」
右で、雪乃が私の腕を抱える手に力を込めた。
「そんな不細工なぬいぐるみのために、早朝から並ぶなんてくだらないな」
「三上さん、悪態をつくなら何か情報を出したらどうかしら?」
雪乃が黙った。
私の腕にしがみついたまま、スマホで「ラピピ 販売」と打っている。
「調べてるじゃない」
「うるさい。真白のためだ」
紡先輩と目が合った。
話が終わっても、左右の二人は離れなかった。




