雪乃のお昼の秘密
昼休みのチャイムが鳴った直後、私は自分の机から素早く立ち上がった。
教室の入り口を見ると、雪乃の姿はもうない。
毎日毎日、一体どこでお昼食べてるんだろう?
いつも購買の袋を持っているから、パンを買っているのは間違いない。中庭? 屋上?
私は足音を忍ばせて、廊下へ出た。
少し先を歩く雪乃の背中を見つけ、壁の陰に隠れながら尾行する。
雪乃は階段を上がり、特別教室しかなく、普段は誰も来ない旧棟の行き止まりエリアへ向かっていた。
(……えっ?)
雪乃が足を止めたのは、薄暗い女子トイレの前だった。
周囲を素早く見回し、誰にも見られていないことを確認してから、そっと中へ入っていく。
私は壁に張り付いたまま、目を丸くした。
(いやいやいや! 待って待って! 偶然だよね!? 昼食前の手洗いだよね!? それかメイク直しとかそういうやつだよね!?)
私はトイレの入り口の死角にしゃがみ込み、スマホの時計を見た。
……五分経過。出てこない。
……十分経過。全然出てこない。
耳を澄ますと、静まり返ったトイレの奥の個室から、微かにビニール袋をガサガサと開ける音が聞こえてきた。
(まさかの、便所飯!?)
あんなに美人で、いかにも『私、群れるのとか嫌いなんで』みたいな孤高のオーラを出しておいて。毎日毎日、トイレの個室でひとりぼっちでパンをかじっていたの!?
そんなの。いくらなんでも、悲しすぎる。
見ちゃったことを笑うつもりはない。でも、このままにしておくことも、できなかった。
(よし、明日は絶対に待ち伏せして止める!)
私は壁をドンと叩き、固く決意した。
***
翌日の昼休み。
私は旧棟の女子トイレの入り口で、腕を組んで仁王立ちしていた。
角を曲がってきた雪乃が、私を見てピタッと足を止める。
「待ち伏せ成功!」
「なっ……!? なんであんたが女子トイレの前に!?」
「昨日、見ちゃったから。雪乃が購買の袋を抱えて、こそこそトイレに入っていくところを」
「〜〜〜〜っ!?」
雪乃の顔が、耳の先まで真っ赤に染まった。
「ごめん。勝手に見たのは悪かった。でも、笑わないし、誰にも言わない」
「あ、あんたの幻覚だろ! ストーカー! 変態! キモい!」
「幻覚なわけないじゃん! 現に今、雪乃の手には購買のチョコパンがしっかり握られてるし!」
私は雪乃の右手にあるビニール袋を指差した。雪乃は咄嗟にパンを背中へ隠す。
「こ、これは違う! トイレに……そう、メイク直しに来たついでに、たまたまパンを持っていただけで……っ!」
「チョコパン握りしめながらメイク直す人なんていないよ! もう、トイレでご飯食べるなんてダメ! ここじゃなくて、私と一緒に食べよう!」
「誰があんたなんかと! 離せ、腕掴むな! そもそもなんでずっと私にばっかりつきまとうんだ!」
雪乃は振り払おうとするが、私はその細い腕をがっちりと掴んだまま離さない。
「つきまとうって人聞きの悪い! 私はただ、クラスメイトと一緒にお昼ご飯を食べようと――」
「嫌だ! あんたと食べるくらいなら便器と一緒に食べた方がマシだ!」
「そこまで!? どんだけ私と食べるの嫌なの!?」
私は雪乃の手から力が抜けるのを待った。
「……いいから、ほら、教室戻って食べよう? 自分の席で堂々とさ!」
「……っ、絶対嫌だ!!」
「なんで!? お昼ご飯くらい普通に――」
「嫌と言ったら嫌だ! 教室なんて……あんなところに戻るくらいなら、一生お昼抜く! だからどけ!」
雪乃は強く私の手を振り払い、肩で息をした。
その必死な拒絶には、いつもの『キモい』とは違う、怯えのようなものが混ざっていた。
私は一瞬言葉に詰まり、雪乃から手を離した。
「……そっか。教室は嫌なんだね」
「……は?」
「わかった。じゃあ、教室はナシ! 代わりに、空き教室に行こう!」
「……え?」
「四階って使ってない空き教室いっぱいあったよね。あそこなら誰も来ないし、誰の目も気にならないでしょ?」
「なんで私があんたと一緒に空き教室なんか――」
「行くの! トイレで食べるよりマシ!」
私は再び雪乃の手首を掴み、今度は強引に歩き出した。
「ちょっ、引っ張るな! バカ! パンが潰れる!」
「潰れたくないなら大人しくついてきて! ほら、行くよ!」
「離せってば……っ!」
***
「はい、到着! ここなら誰も来ないし、誰の目も気にならないでしょ?」
私は埃を払って机を二つくっつけ、その上にお弁当箱を広げた。
この世界の台所に、私の分のお弁当が用意されるようになったのはいつからだろう。慣れたくないのに、味だけはちゃんと美味しい。
向かいの席に無理やり座らされた雪乃は、不機嫌そうにチョコパンの袋を握りしめている。
「……なんで私が、あんたみたいなのと向かい合ってご飯食べなきゃいけないんだ」
「まあまあ! 一人でトイレで食べるより絶対美味しいって! ほら、私のお弁当のおかず、少し分けてあげるから!」
「いらない。別にあんたと食べたいわけじゃない。私がここにいるのは、あんたが無理やり引っ張ってきたからで……」
「はいはい、わかってるよ。あ、この卵焼き、今日のお母さんの自信作なんだよ。食べる?」
私は箸で卵焼きをつまみ、雪乃の顔の前に差し出した。
「……勘違いするな。あんたがどうしても食べろってうるさいなら、一口くらいは処理してあげるけど」
「うん、どうしても食べてほしい! はい、あーん!」
「なっ……!? じ、自分で食べられる! 近い! キモい! 箸引っ込めろ!」
雪乃は顔を真っ赤にしてのけぞった。
「あはは、ごめんごめん! じゃあ雪乃のパンの袋の上に置いとくね」
私はパンの袋の隅に卵焼きをそっと置いた。
雪乃はしばらくそれを睨んでいたが、やがて諦めたように指でつまみ、口に運んだ。
「…………もぐ」
「……どう? 美味しい?」
「……普通」
「そっか! よかった! じゃあ次は唐揚げも――」
「…………」
雪乃はもぐもぐと咀嚼しながら、じっと私を見ていた。
「ん? どうしたの、雪乃? 唐揚げ食べない? それともウインナーがいい?」
「……あんた、バカ?」
「えっ、急な罵倒!? 私、今わりと友好的におかずシェアしてたよね!?」
私が箸を持ったまま固まると、雪乃は目を伏せ、ぽつりと言った。
「……なんで、笑わないんだよ」
「え?」
「トイレでパン食べてた女なんて、普通は笑うか、ドン引きするか、他の誰かに言いふらす。なんで……何事もなかったみたいに、隣で卵焼きなんて勧めてくるんだ。気持ち悪い」
雪乃の声は小さく、微かに震えていた。
私は持っていた箸をお弁当箱に戻した。
「……うーん。だって、お昼ご飯食べるのは笑われるようなことじゃないし。どこで食べようが雪乃の自由だけど……でも、一人で暗いところで食べるより、明るいところで誰かと食べた方が、絶対ご飯は美味しいから」
「……っ」
「だから、明日からもここで一緒に食べよ! 私もお弁当のおかず、毎日多めに持ってくるからさ!」
私が笑いかけると、雪乃は顔を背けた。
「……図々しい」
「えー? じゃあ、またあの暗くて狭い個室に戻るの?」
「……っ、それは……」
「ね? ここで私と食べるのが一番でしょ!」
「…………あんたが、どうしても一緒に食べたいって泣いてすがるなら、仕方なく付き合ってあげなくもないけど」
「うんうん、どうしても! お願い、私と一緒に食べて! ……これでいい?」
「……恩着せがましい。……明日もこの卵焼きだったら、窓から捨てるから」
あ、また暴言。
でも、顔を背けた彼女の横顔は、少しだけ嬉しそうに見えた。




