餌付け、成功
この日から、私たちは昼休みになると空き教室で一緒にお弁当を食べるようになった。
数日後、いつもより少し足を急がせて四階へ向かうと、教室のドアがすでに半開きになっていた。
中を覗くと、雪乃がひとりで机を二つくっつけて、向かいの椅子に座っていた。
「あ」と言いかけた私に、雪乃は顔も上げないで言った。
「遅い」
チョコパンの袋は、まだ開いていなかった。
「ほら、今日は明太マヨ入りの卵焼きだよ!」
「毎日毎日、親鳥みたいに餌運んでくるな。バカ」
「親鳥って! 私はただ、一緒にお昼食べるのが楽しいから――」
「……ん」
雪乃は文句を言いながらも、差し出した卵焼きをパクリと食べた。
「あ、食べた」
「……あんたが食べろってうるさいから、仕方なく処理してあげてるだけ。勘違いするな」
「ふふっ。別に処理係でもなんでもいいよ。美味しそうに食べてくれるから、嬉しい」
「別に美味しくなんて……」
「本当? 今、ちょっとだけ口角上がってたけど?」
「……ッ、上がってない! 視力検査からやり直してこい、この底抜けのアホ」
雪乃はそっぽを向きながら、手元のパンをかじった。
「あはは! まあ、そういうことにしておこうか」
「…………」
「ん? どうしたの、雪乃? まだウインナーも残ってるよ?」
「……あんた、ほんとにお人好しすぎて吐き気がする」
「またそれ? もう慣れちゃったよ、その罵倒」
「……褒めてない。私と一緒にいるところ見られて、クラスで浮いても知らないからな」
雪乃は視線を落とし、小さな声で言った。
「うん。大丈夫。そんなの全然気にしてないから」
「…………」
「……雪乃?」
「…………明日も」
「え?」
雪乃は下を向いたまま、さらに小さな、けれどはっきりとした声で言った。
「明日も来い。……真白」
「…………えっ!?」
私は箸を落としそうになった。
「な、なんだよ。変な声出すな、キモい」
「い、今、私の名前呼んだ!? 真白って呼んだよね!?」
「呼んだら悪いか? 脳みそお花畑なんだな!?」
「雪乃、もう一回」
「……ッ、ほんと……うるさい……真白……」
耳まで真っ赤にして怒鳴る雪乃を見ながら、私は言葉にならない感動を噛み締めていた。
***
夜、自室。
私は机の椅子に座り、ノートの端に無意味な落書きをしていた。
最近、雪乃は私の名前を呼ぶようになった。
昼休みの空き教室では、私が行く前に机を二つ並べて待っている。
それを「仲良くなった」と言っていいのかは、まだ分からない。
「お疲れイルカ! 大・大・大躍進イルカね!」
「うわっ、急に出てこないでよ。びっくりするじゃん」
私の目の前に、イルカイルが唐突に浮かび上がった。
「ついに名前呼びイベント回収! ツンデレの『デレ』が顔を出し始めた、めちゃくちゃいい感じイルカ!」
「いい感じ……なのかな。相変わらず『キモい』とか『脳みそお花畑』とか言われまくってるけど」
「それは照れ隠しの強固な装甲イルカ! 中身はもうトロトロに溶け出してるイルカよ! このまま一気に、絶対告白するイルカ!」
「告白……」
私はペンをノートの上に置いた。
「そうイルカ! 恋のゴールテープを切るイルカ!」
「……まあ、そうだよね。ラブエナジーを貯めて元の世界に帰るためには、あの子を攻略しなきゃいけないんだし」
「その意気イルカ!」
「結局、ゲームと同じだよね。フラグ立てて、仲良くなって、告白して、恋人同士になるっていう条件を達成すればクリア。つまり攻略完了ってことでしょ?」
「……まあ、大枠はそんな感じイルカ!」
攻略。条件達成。
ゲームみたいな言葉で整理するたびに、自分が最低なことをしているのだと分かる。
私はペンを机に放り投げた。
でも。
あの子がいっつも一人で強がって、わざと嫌われるようなこと言って、誰も寄せ付けないようにしているのを見ると……。
放っておけないって思うのは本当だ。
これって、何なんだろう。
早く帰らなきゃっていう『責任』? 雪乃へのただの『同情』? ……それとも。
「真白? どうしたイルカ? 難しい顔して。さては告白のシチュエーションで悩んでるイルカね? 夕暮れの屋上か、放課後の空き教室か――」
「悩んでない! 悩んでないから!」
私は机に置いてあったスマホを掴み、ベッドに投げた。
「……とにかく、告白して恋人になれば、帰るためのエネルギーが手に入るんでしょ。やってやるよ」
私はイルカイルを睨みつけ、無理やり自分を納得させるように言葉を吐き出した。
さっきの「真白」という声が、耳から消えない。
女の子相手に『恋』だなんて、まだよく分からない。
私はただ、このふざけたゲームみたいな世界から抜け出すために、雪乃を攻略するだけ。
……そう、それだけだ。




