勝負下着、だったの?
土曜日。インターホンが鳴り、玄関を開けると、紡先輩が立っていた。
いつもの白いシャツではなく、淡いクリーム色の薄手のニットにフレアスカート。前に一緒に買った緑のヘアピンが、髪の横に留まっている。
跳ねた髪はそのままだったが、それ以外は明らかに気合が入っていた。
「お待たせ」
「いえ、全然。……あの、紡先輩」
「何」
「可愛いです」
私は手を伸ばし、紡先輩の頭を撫でた。
跳ねた髪がぴょこぴょこ揺れる。
「なっ……いきなり何するの」
「可愛いなと思って、つい」
もう一度撫でる。
紡先輩は私の手を払おうとして、途中でやめた。
「……もう一回だけ、いいわよ」
「はい」
もう一回撫でると、紡先輩は前髪を直すふりをして、目を逸らした。
私は靴箱から室内用のスリッパを出し、紡先輩を部屋へ案内した。
ローテーブルの前に座ると、紡先輩は室内をさっと見渡してから、私の隣へ腰を下ろした。
隣。向かい側ではなく、私のすぐ横だ。
肩と肩が触れる距離に、紡先輩が自分から座った。
そして、こちらに顔を向ける。
唇を閉じたまま、目を閉じている。
どう見ても、キス待ちの顔だった。
「あの、紡先輩」
「……何」
「今来たばっかりですよね?」
「でも、目的は私の身体でしょう」
ストレートに言い切られ、私は頭を抱えた。
「それはそうなんですけど、言い方!」
「事実を述べただけよ」
「もうちょっとオブラートに包んでくださいよ」
「じゃあ早く済ませましょう。ほら来なさい真白」
紡先輩がまた拳をシュッシュッと突き出した。謎のボクシングの構えが再登場している。
「そんな雑に紡先輩のこと扱いたくないです」
「でも……」
紡先輩が何か言いかけた。
私はその言葉を遮るように、紡先輩を抱きしめた。
「とりあえず、お菓子でも食べましょう」
「……お菓子?」
「ケーキ買ってきてるんですよ」
私は紡先輩から離れ、キッチンへ向かった。
冷蔵庫を開け、箱を取り出す。
中にはショートケーキが二つ入っていた。
皿に乗せてフォークを添え、自室に戻り、ローテーブルに並べる。
「紡先輩、どっちがいいですか?」
「……苺が大きい方」
「即答」
「当然でしょう。選択肢があるなら最適解を選ぶわ」
紡先輩はフォークを持ち、ケーキの端を刺した。
口に運ぶ前に、一度私の方を見る。
「真白は?」
「先に食べてください」
「……じゃあ」
紡先輩がケーキを口に入れた。
美味しい、とは言わないが、食べる速度が上がった。
私は自分のフォークでケーキを切り、紡先輩の口元へ差し出した。
「はい、あーん」
「は!? な、何するの」
「あーんです」
「そ、そういうのは子供に」
「紡先輩にしたいんです」
紡先輩はフォークを見て、私を見て、もう一度フォークを見た。
それから、恐る恐る口を開ける。
「……あーん」
紡先輩がケーキを受け取った。
私はフォークを引き、次の一切れを準備する。
紡先輩は咀嚼を終えると、今度は自分のフォークでケーキを切った。
ためらいながら、私の口元へ差し出す。
「こ、こうするのが正しいのよね?」
「はい」
私は口を開け、紡先輩のフォークからケーキを受け取った。
紡先輩は私の顔を見て、フォークを持つ手をぎこちなく引っ込めた。
私は笑いながら、もう一度紡先輩の口元へフォークを運ぶ。
三回目は紡先輩も笑い始め、四回目になると慣れた顔で口を開けてくれた。
——――慣れてきたな。私自身が、こういう行為に。
亜里沙にも涼香にも、同じことを自然にできてしまう自分がいる。
フォークを置き、麦茶を一口飲んだ。
「真白。ケーキ、美味しかったわ」
「よかったです」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
紡先輩が顔を逸らした。
お礼を言うのが照れくさかったらしい。
紡先輩は麦茶を飲み干してから、鞄の中を探った。
「そうだ、旧校舎の件なんだけど」
「え、今ですか?」
「分かったことがあるの。見て」
紡先輩はスマホを取り出し、画面に旧校舎の見取り図を表示させた。
私に見せるために、隣へ身体を寄せる。
肩と肩が触れた。
画面を覗き込もうとして、紡先輩の指がスマホの上で止まる。
私は紡先輩のスマホを持つ手に、自分の手を重ねた。
「真白……?」
「旧校舎の話、あとで聞きますね」
私はそのまま、紡先輩の顎に手を添え、顔を向けさせた。
唇を重ねる。
ほんの一瞬、触れるだけで離した。
その拍子に、紡先輩のスマホが手からカーペットの上に滑り落ちた。
紡先輩は拾おうとしなかった。
代わりに、私の手首を引き寄せた。
「……続けて」
応えるように重ねたキスは、なかなか終わらなかった。
紡先輩の唇が開き、私の舌を受け入れる。
舌先が触れるたびに、紡先輩の肩が震えた。
以前のように固まることはなく、紡先輩は自分から私の首に手を回してきた。
唇を離すと、紡先輩は息を整えながら私の目を見た。
「ベッド、行きましょうか」
「……うん」
私は紡先輩の手を取り、ベッドへ移動した。
シーツの上に座り、紡先輩がその横に並ぶ。
私はもう一度キスをした。
紡先輩の返し方が、前より柔らかくなっている。
何度もキスを重ねながら、紡先輩をゆっくりとシーツの上に倒す。
紡先輩の髪がシーツに広がった。
私はニットの裾に指をかける。
「脱がせますね」
「……うん」
ニットを持ち上げると、紡先輩は両腕を上げて従った。
ニットの下には、薄いキャミソールが一枚。
キャミソールの肩紐を滑らせ、さらにその下を露わにした瞬間、私は手を止めた。
黒いレースの下着だった。
普段の紡先輩の雰囲気とは明らかに違う。繊細なレースがついていて、胸元に小さなリボンがある。
「紡先輩、これ」
「な、何」
「下着、いつもと違いません?」
「っ……!」
紡先輩が両腕で胸元を隠した。
顔が耳まで真っ赤に染まる。
「こ、これはえっと、その」
「はい」
「気合を入れたのよ!」
紡先輩は顔を背けたまま叫んだ。
隠している腕の隙間から、レースの端が見えている。
「だ、だってこの前は普通のやつだったでしょ! それで、真白に見られて、なんかこう、ちゃんとしなきゃって」
「ちゃんとって」
「う、うるさい! 真白のせいよ!」
私は紡先輩の隠した腕を、そっと引き剥がした。
抵抗されるかと身構えたが、紡先輩はされるがまま腕を降ろした。
紡先輩はまだ顔を背けたまま、私の反応を待っていた。
「紡先輩」
「何よ」
「すごく、可愛いです」
私はキスをした。
紡先輩の唇が私を迎え入れ、舌が絡む。
私はキスを重ねながら、紡先輩の身体をシーツの上にゆっくりと押し、覆い被さった。
「ん……っ、真白……」
紡先輩の唇がまだ私を求めている。
一度離して、彼女の顔を見下ろした。
黒いレースの大人っぽい下着、普段の紡先輩からは想像できない色気。
百回のループを生きてきた人が、私とこういうことをするためだけに、お店で迷って、レジで赤くなって、これを選んだ。
その時間を想像したら、気合を入れて買ってきた勝負下着が、たまらなく愛おしかった。
「先輩、こんなに可愛い下着をつけてきてくれたんですね……」
耳元へ唇を寄せ、吐息混じりに囁く。
「私を誘ってるんですか?」
「っ……! 誘ってなんか……!」
「じゃあ、見てもいいですか?」
紡先輩は顔を背けた。
それでも、腕で隠す動きはしなかった。
怖がっていた人が、怖いまま、それでも隠さないでいてくれる。
その意味を、私はもう知っている。
私はフレアスカートのウエストに手をかけ、ゆっくりと下ろした。
スカートが膝を越え、腿を滑り落ち、床に落ちた。
ブラと揃った黒いレースのショーツが露わになった。
太ももの付け根に食い込む細い紐と、透けるような布地。
「……見ないで」
「すごく、似合ってます」
見ないで、と言うために、この下着を選んだわけじゃないはずだ。
私は胸元を包み込むように触れた。
レース越しに柔らかな形が掌に伝わる。
紡先輩の肩がびくりと跳ねた。
「あっ……っ」
布の上から、私はゆっくりと触れていく。
焦らすように、触れては離してを繰り返すたび、紡先輩の声が高くなる。
「こんな……じろじろ見ないで……」
「先輩、可愛い。似合いすぎて困ります」
「そんなこと、ないっ……」
口では否定しながら、膝が内側に寄っていく。
前のホテルの夜とは違う。今日の紡先輩は、最初から私を待っていた。
あんなに怖がっていた人が、私のためにここまでしてくれた。
なら私は、その勇気の分だけ、優しくしたい。
紡先輩は恥ずかしがって顔を隠そうとするけれど、私の手からは逃げなかった。
強がっていた声が、少しずつ、ただの息に変わっていく。
「はぁ……っ、あ……っ、もう……っ」
「いいですよ、先輩」
次の瞬間、紡先輩が、私にぎゅっとしがみついた。
息を詰めていた身体から、力が一気に抜けていく。
長く震えてから、紡先輩は私の肩に顔を埋めた。
乱れてしまった黒いレースの下着を見て、私は小さく笑う。
「これ履いて帰れませんね……」
「……どうしよう……」
紡先輩の声が弱々しく消え、私の胸に寄りかかった。




