今日も、最後まで出来ない
「というわけで、涼香とは恋人に戻りました」
「順調イルカね! 双葉涼香の瓶を出すイルカ!」
翌日の放課後の十六室。
週末の報告を終えると、ポンッ、と間抜けな破裂音と共に、空中にガラス瓶が出現した。
底の方に少しだけ溜まっていたピンク色の液体は、今は瓶の八割以上の高さまで満ちている。
「かなり溜まってるイルカね! 元カノとヨリを戻した勢いで、一気に跳ねたイルカ。もうこれ、あとはえっちすれば満タンイルカ! ……えっちできそうイルカ?」
「……できる、はず」
私の返答に、雪乃が不機嫌に唇を尖らせた。
イルカイルは続いて、紡先輩の瓶を空中に取り出した。
だが、その瓶は、底がわずかに色づいた程度だった。日曜日に私の家で過ごしたのに、キスの分しか溜まっていない。
「どういうことだこのクソチビ! 日曜日、真白と二人きりだったんだろ!」
「なっ、クソチビって言ったわね! こっちだって頑張ったわよ!」
「頑張ったって、瓶が空っぽじゃ意味ないだろ!」
「私だって服脱いで、触ってもらったわよ!」
「はあ!? じゃあ、あんたも真白に触られたのに、何もできなかったってことだろ!」
「うっ……」
「偉そうに指示出してたくせに、自分が当事者になったら全然ダメじゃないか!」
「あ、あんたに関係ないでしょ!」
「あまりにも黒羽さんに魅力がなくて、真白が手を出さなかった可能性もあるわね」
雪乃の怒鳴り声と、久遠先輩の冷ややかな煽りが室内に響き渡る。
私はソファーに座ったまま、冷静に口を開いた。
「そういうわけじゃありません。昨日の紡先輩、すごく可愛かったですよ」
「か、かわっ!?」
紡先輩は両手で頬を押さえ、その手の下まで色が広がっていく。
「ただ、人それぞれペースがあるんです。だから、ゆっくり頑張りましょう、紡先輩」
「真白……ええ、そうね! 私のペースがあるのよ!」
私の言葉に勢いを得た紡先輩が、ふんっと胸を張った。
「……っていうか、真白」
雪乃が、低い声を出した。
「いつからクソチビのこと、“紡”なんて呼んでるんだ」
「昨日、そう呼んでいいって言われて……」
「一回家に呼んだだけで、ずいぶん距離を詰めたものね」
冷ややかに言ったのは久遠先輩だった。その声には、いつもの余裕より少しだけ棘がある。
雪乃はソファーのクッションをつかみ、力任せに叩きつけた。
「だから、それ備品だってば」
「うるさい!」
久遠先輩は紡先輩を見たまま、手元の書類を閉じた。
「……とりあえず、逢坂亜里沙とはあと二回で溜まりそうなのね?」
「そうイルカね」
「じゃあ、当面は黒羽さんとどうにかするしかないわね。黒羽さんの瓶が溜まり次第、次の行動に移りましょう」
「でも、紡先輩のペースが」
「嫌だけど、今日から毎日真白と行動しなさい。そうすれば関係も深まるでしょう」
久遠先輩の厳命により、紡先輩と過ごす時間を作ることが決定した。
***
えっちしないとはいえ、亜里沙や涼香との関係も維持しなければならない。
その日の放課後、私は特進クラスに涼香を迎えに行き、一緒に帰路についた。
駅までの道のりで、今週の土曜日に水族館へ行く約束を取り付ける。
そして家に帰りベッドに寝転がると、携帯が連続で振動した。
『真白、週末のご予定は空いておりますの?』
『返信が欲しいですわ』
『もしかして、他の方とお約束が?』
亜里沙からのメッセージが画面を埋め尽くしていた。
これ以上放置はできないと判断し、私はすぐにフリック入力を開始する。
『ごめんね、亜里沙。亜里沙の顔が見たいから、日曜日は会いに行くよ。ずっと一緒にいよう』
そんな露骨に甘いメッセージを送信し、日曜日の予定を確定させた。
土曜日は涼香と水族館でデートをし、日曜日は亜里沙の家で過ごした。
二人とも、別れ際に甘えた声でキスをせがんで来た。
私はその要求に応えて何度も口付けを交わしたが、それ以上の関係に進むことは回避し、現状の好感度を維持することに徹した。
***
月曜日の放課後。
零式会で週末の報告を終えたあと、私は紡先輩を家に連れてきていた。
私と紡先輩はローテーブルを挟んで向かい側に座っている。
「あの、私は無理やり進めるつもりはありません。全然、次のループでもいいんですよ」
「だ、ダメよ」
紡先輩はベッドに移動し、寝転んだ。
「ほら、来なさい真白」
「でも……」
「いいから」
私もベッドに移動し、紡先輩に覆い被さる。
「嫌だったら、言ってください」
「分かってる」
ボタンを一つ外す。
紡先輩の肩がびくんと震えた。でも、私の手を止めなかった。
二つ目を外す前に、私はキスをした。
間を置いて、もう一度。今度は離れずに、少しだけ留めた。
紡先輩の手が私の肩に回る。私は、ボタンをもう一つ外した。
キスをしたあと離れると、紡先輩が目を開ける。
「続けて」
「はい」
ブラウスの前を開く。
紡先輩は胸元を隠そうとして、途中で手を止めた。
私はもう一度唇を重ねた。キスをしながら、肌に触れる。
首筋から鎖骨のあたりへ、触れる場所を徐々に変える。
紡先輩は何度か息を詰めた。
そのたびに私は止まり、紡先輩が頷いてから続けた。
「ここ、触れてもいいですか?」
「……うん」
私は紡先輩の胸元に触れた。
布地をずらし、直接その肌に触れる。
熱を帯びた場所を指先で優しく触れると、紡先輩は身悶えし熱い吐息を漏らす。
「ん、ぁ……っ」
紡先輩はシーツをきつく握りしめ、私の動きを受け入れている。
快感に耐えかねて身体を微かに震わせ、蕩けた吐息を零し続けた。
私はキスを重ねて彼女の緊張を解きほぐしながら、手をゆっくりと下腹部へと滑らせていく。
紡先輩はビクッと身体を強張らせたが、私の手を拒まない。
私は太ももの内側へと触れた。すべすべした滑らかな肌を、指先で撫でる。
「は、ぁ……ましろ……っ」
太ももを撫でていた手を、徐々に中心へと近づけていく。
その手が、その奥へ届こうとした瞬間――紡先輩が、私の手を強くつかんだ。
その指に、痛いほどの力がこもる。
「……っ、ぅ……っ」
今度は声を殺して、唇を噛んでいた。それでも、目尻から涙が盛り上がってこぼれる。
私は、手を止めた。
「紡先輩」
「……なんで。前より、進めたのに……あと少し、だったのに……っ」
怖くて泣いた前回とは、違う。これは、悔し涙だ。
つかまれたままの指を、そっと握り返した。
「ダメじゃないです」
「だって、進めない」
「進めましたよ。前より、ずっと先まで」
「……っ」
紡先輩は返事の代わりに、唇をへの字に曲げた。
私が身体を起こして両腕を広げると、紡先輩は今度は何も聞かないうちに、私の胸へ飛び込んできた。背中に手を回すと、肩に額をぐりぐり押しつけてくる。
「子供扱いはしません」
「……まだ何も言ってない」
「言われる前に言いました」
「……馬鹿」
声は落ち込んでいたけれど、前より、ずっと距離が近づいた。
私は紡先輩の髪を乱さないように撫でる。
「焦らなくて、いいですよ。今日、こんなに進めたんですから」
「……うるさい。分かってる」
分かってる、と言いながら、紡先輩はいつまでも私の服を離さなかった。
***
あれから、私は徹底したスケジュール管理で立ち回った。
昼休みは亜里沙と涼香の教室へ交互に会いに行き、放課後は零式会があるという名目で直接会うことを避け、紡先輩と一緒に過ごした。
『今度の日曜日は、私と過ごしてくださいますわよね?』
『もちろん。亜里沙のこと、誰よりも一番に考えてるから』
亜里沙からの連絡には、恋人に送るような甘いメッセージを即座に返し、今度の日曜日も一緒に過ごす約束を取り付けた。
自分の立ち回りを振り返り、なんて女だ、と自嘲する。
直後、携帯が再び振動し、画面に涼香の名前が表示された。
『そろそろ期末テストの期間に入るから、来週からは会えない』
期末テスト。
その文字を見た瞬間、私の脳内で全てのスケジュールが繋がった。
期末が終わった直後。
そのタイミングこそが、三人の瓶を同時に満タンにする、全ての決着をつける日だ。
私は返信画面を閉じ、天井を見上げた。




