今日は、私だけ
「ちょっと待って」
「どうしたの雪乃?」
「今日、真白の家に行く」
「え、急に?」
放課後の教室で帰り支度をしていると、雪乃が私の机の前に立っていた。
鞄を肩にかけたまま、私を見下ろしている。
「ポイント使った」
「ポイント……」
「この間のピクニック作戦で、イルカから五十ポイントもらった。そのうち二十ポイントを使って、放課後の真白を買った」
「言い方が最悪すぎる」
「うるさい。文句あるならイルカに言え」
雪乃はそれだけ言うと、私の机に置いた鞄を見た。
早くしろ、という顔だ。
「分かった。行く。行くから睨まないで」
「睨んでない」
靴を履き替え、校門を出る。
帰り道、雪乃は私の隣を歩いた。
学校の近くでは手を繋がない。涼香や亜里沙に見られたら困るし、他の生徒に余計な話をされても面倒だ。
雪乃もそれは分かっているのか、私の手から目を逸らした。
「怒ってる?」
「怒ってない」
「怒ってる時の返事じゃん」
「じゃあ怒ってる」
「認めるんだ」
「あんたが他の女と映画行って、家行って、キスして、私は廊下で手も繋げない。怒らない方がおかしいだろ」
言い返せなかった。
雪乃は横断歩道の信号を見たまま、私の方を見ない。
「……ごめん」
「謝るな。仕方ないことだって、私だってわかってる」
赤信号が青に変わる。
雪乃は先に歩き出さず、私の隣で待った。
手は繋げない。
その代わり、肩が一度だけ触れた。
家に着くと、玄関には母親のメモが置かれていた。
『今日はお父さんと帰りが遅くなります。夕飯は冷蔵庫の鶏肉を使ってね。出海は友達とファミレスに行くそうです』
ちょうどその時、スマホに出海からのメッセージが届く。
『お姉ちゃん、今日友達とご飯食べてくるね! 帰り遅くなるかも!』
私は画面を雪乃に見せた。
「だって」
「……ふうん」
靴を脱いで廊下へ上がる。
リビングもキッチンも静かだった。冷蔵庫の低い音だけが聞こえる。
雪乃は私の後ろからついてきて、階段の前で私の制服の袖をつかんだ。
「どこ行くんだ」
「まず鞄置きに部屋」
雪乃の指は、袖を放さない。
私は自室のドアを開け、鞄を床に置いた。
ドアが閉まる。
その音を合図にしたように、雪乃が私の背中に抱きついてきた。
「真白」
「わっ、ちょっと」
「動くな」
後ろから回された雪乃の腕が、私の前でぎゅっと組まれる。
制服越しに、雪乃の体温が伝わってくる。
帰り道は人目があって、くっつけなかった。
その分を取り戻すみたいに、雪乃は私の肩に額を押しつけてくる。
「……他の女の匂い、しない」
「嗅がないでよ」
雪乃は私を抱きしめたまま、首元に顔を寄せた。
息が肌に触れて、私は肩をすくめる。
「くすぐったい」
「我慢しろ」
私は、雪乃の頬に手を添えた。
雪乃はまだ怒った顔をしている。
でも、私が顔を近づけると、目を閉じた。
怒った顔のまま閉じた唇へ、一度だけ重ねる。
離れると、雪乃がすぐに私の襟をつかんだ。
「それだけなのか?」
「え?」
「逢坂亜里沙にはもっとしたんだろ」
「雪乃」
「何」
「他の女の子の話はしない。今日は、雪乃のための時間でしょ」
もう一度キスをした。
雪乃は文句を言わず、私の首に腕を回してきた。
その後、雪乃はやっと満足したように私から離れた。
私は曲がったリボンを直しながら、母親のメモを思い出す。
冷蔵庫には鶏肉と卵がある。
父親と母親はまだ仕事で、出海も友達と夕飯を食べてくる。
この家に、今は私と雪乃しかいない。
「そうだ。雪乃」
「何」
「前に、私の手料理食べたいって言ってたよね。ご飯、作ろうか?」
雪乃は一度だけ瞬きをした。
「……作ってくれるのか?」
「うん。ちゃんとしたやつは無理かもだけど」
「食べる」
「即答」
「うるさい。早く作れ」
その言い方なのに、雪乃は私の手を取って部屋の外へ出た。
リビングへ行き、冷蔵庫を開ける。
母親のメモ通り、鶏肉と卵が入っていた。玉ねぎもある。
「オムライスでいい?」
「いい」
雪乃はキッチンの入口に立ち、私が材料を切り終えるまで黙って見ていた。
フライパンに火を入れたところで、私の背中へ寄ってくる。
額が背中に当たり、制服の裾をつままれた。
「なあ、真白」
「何?」
「まだ?」
「もう少し」
「遅い」
「料理に嫉妬しないで」
「してない」
私は火を止め、皿に盛ったケチャップライスの上に卵を乗せた。
形は少し崩れたけれど、雪乃は文句を言わなかった。
「はい、完成」
「……食べるぞ」
「どうぞ」
リビングのテーブルに皿を置くと、雪乃は向かいの席へ行かず、私の隣に座った。
肩が触れる位置で、スプーンを手に取る。
雪乃がスプーンでオムライスをすくい、私の口元へ差し出した。
無言で「あーんしろ」と目配せしてくる。
私は口を開けた。
皿が空になる頃には、雪乃の機嫌も戻っていた。
「……真白」
食器を流しへ運ぼうとすると、雪乃が私の制服を引いた。
「……母さんたち帰ってくる前に洗えばいいか」
私は皿を流しに置き、手だけ洗った。
タオルで拭き終わる前に、雪乃が私の手を取る。
階段を上がる間、雪乃はずっと私の手を引いていた。
自室に戻ると、雪乃はドアを閉めてから、私をベッドへ座らせた。
そのまま隣に座り、肩に頭を預けてくる。
私は雪乃の頬に手を添え、唇を重ねた。
離れると、雪乃がすぐに追ってきた。
今度は雪乃から、私の下唇を食む。
「ん……」
声が漏れたのは、私の方だった。
雪乃が勝ち気に笑う。
悔しいから、私はもう一度キスで塞いだ。
短いキスを重ねるたび、雪乃の手が私の背を引き寄せる。
私はその手首に触れ、ベッドの上へゆっくり押し倒した。
「真白」
「何?」
「今日は、私だけ見ろ」
「うん。雪乃だけ」
雪乃は返事をしないで、私の襟を引いた。
私は雪乃の上に重なり、額を合わせる。
またキスをした。
私は片手を伸ばし、リモコンで照明を消した。




