手、繋いでいい?
「ラブストーリーでよかったの?」
「別に。真白が見たいって言ったんでしょ」
「涼香は興味あるのかなって」
「あんまり見ないけど、興味ないわけじゃない」
日曜日。映画館の座席に腰を下ろすと、涼香はドリンクを置いた。
暗くなる前のスクリーンには、予告編がいくつも流れている。
館内の照明が落ち、スクリーンに本編が映った。
物語は、昔別れた恋人同士が数年ぶりに再会する話だった。
駅のホームで言えなかった謝罪。
連絡先を消したふりをして、番号を覚えていた主人公。
隣の涼香は真剣に映画を見ている。
私は映画より、肘掛けの向こうにある涼香の右手ばかり気にしていた。
ドリンクホルダーの横に、涼香の手が置かれている。
触れていいのか。
でも触れなければ、何も進まないままこのデートが終わってしまう。
私は思い切って、涼香の手に左手を重ねた。
涼香は正面を見たまま、動かない。
「映画、見なさいよ」
「……うん」
怒られた。
でも、手はそのままだった。
私は指を絡めるほどの勇気は出せず、涼香の指先を包む形で手を重ねていた。
上映が終わり、館内に明かりが灯る。
涼香は私の手を外し、立ち上がった。
「面白かったね」
「まあまあ」
涼香の感想は少し辛口だった。
私は結構、感動しちゃったんだけどなぁ。
「私、そろそろ帰る」
「送っていくよ」
「駅まででいい」
「うん。駅まで」
映画館を出ると、夕方の街は人で混んでいた。
私は隣に並び、涼香の右手を見た。
「ねえ、手、繋いでもいい?」
「……さっき、勝手に重ねてきたでしょ」
「あれは重ねただけ」
「……何が違うのよ」
「今度は涼香とちゃんと、繋ぎたいってこと」
涼香は前を向いたまま、右手を差し出した。
私はその手を取った。今度は、涼香の方から指を絡めてくる。
駅まで、私たちは手を繋いだまま歩いた。
「今日はありがとう。また遊ぼうね」
「……予定が合えば」
「じゃあ、私が全力で予定合わせる」
「……そんなに必死にならなくても」
「だって、また涼香に会いたいから」
「っ……」
別れ際、先に指をほどいたのは涼香で、離れる最後まで指先が名残惜しそうに触れていた。
改札の向こうへ歩いていく背中を見送りながら、私はスマホを取り出した。
亜里沙からの通知が三件、画面に並んでいた。
あとで読もうと思って、私はスマホの画面を消した。
***
翌日の昼休み。十六室。
この世界の母親に作ってもらった弁当を持って部屋へ入ると、ソファーには雪乃と久遠先輩が座っていた。
黒羽先輩はそこにいなかった。
「あれ? 黒羽先輩は?」
「気になる場所があるから調査すると言っていたわ。昼休み中には戻るそうよ」
「また一人で調査してるんですか」
私は弁当を持って、ソファーへ座った。
その直後、空間がぐにゃりと歪んだ。
青色のイルカが、長机の上に浮かび上がる。
「中間発表イルカ〜!」
「来たわね」
久遠先輩がイルカの方へ視線を向けた。
イルカイルが尾びれを振ると、宙に二本の瓶が表示された。
一本目には涼香の名前。
もう一本には亜里沙の名前。
瓶の中でピンクの光が揺れている。
「まず涼香イルカ。元カノ補正と映画館での手繋ぎにより、現在五分の一くらいイルカね」
「五分の一……」
「えっちなしでここまで溜まるのは、未練がやはりあるということイルカ。そして亜里沙イルカ」
亜里沙の瓶の光が、涼香の瓶よりも明らかに高い位置まで満ちていた。
「五分の三イルカ」
「……そんなに?」
「土曜日にえっちしたイルカね! 友達という単語を免罪符にして、お嬢様の純情を弄んだイルカ〜?」
「嫌な言い方しないで」
「でも事実イルカ。亜里沙は友達耐性がなイルカ。手作り弁当、名前呼び、家デート、キス、全部まとめて高出力イルカ」
久遠先輩は何か言いたげに私を見ている。
雪乃は隣のクッションをつかむなり、膝の上で二度殴った。
「雪乃、クッション殴らないで。ここの備品だから」
「うるさい!」
イルカイルは二人の様子など気にせず、続けて話し始める。
「この調子なら、あと二回くらいえっちすれば攻略完了イルカね」
イルカイルは悪気のない顔で、亜里沙の瓶をくるりと回した。
「順調イルカよ〜」
「……順調かもしれないけど」
その先は、自分でもうまく言えなかった。
私は何度も「友達なら普通」と言った。亜里沙が何も知らないのを、いいことに。
「亜里沙の方はこのまま進めたらまずいかも」
「そうね。双葉涼香の方も順調なのに、このまま溜まってしまったらループしてしまうわ。今週の土日は逢坂亜里沙と会わない方がいいわね」
「そうですね。涼香にもっと向き合います」
その時、扉が開いた。
黒羽先輩がノートパソコンを抱えて入ってくる。
「なんか、空気悪いわね」
「黒羽さん。あなた、今週の土日どちらか真白と過ごしなさい」
「どうしていきなり?」
「ラブエナジーを溜めるのでしょう。今のままでは、あなたが一番遅れているわ」
「あ、そうだったわね」
黒羽先輩は空いている椅子に座り、ノートパソコンを開いた。
「涼香との予定が決まり次第、黒羽先輩との予定を決めてもいいですか?」
「分かったわ」
私は涼香に連絡しようと、スマホを開いた。
でも、指が止まったのは、亜里沙からの未返信通知だった。
入力欄に謝罪を書きかけて、消した。
「……やっぱり、こんなのひどいですよ」
私が弱音を吐くと、久遠先輩がため息をついた。
「優先順位を決めるわよ。今は同時攻略を進めるのが最優先」
「優先順位なら私が一番だろ! せめて昼休みぐらい二人きりの時間が欲しい!」
雪乃が身を乗り出してくる。
「あなたはゼロポイントでしょう。黙っていなさい。真白、ここは効率を考えて黒羽紡とラブエナジーを溜めるべきよ」
「ちょっと待って。私だって心の準備が……」
黒羽先輩が珍しく焦った声を出す。
「じゃあ代わりに私が週末過ごさせてもらう」
「ポイントないじゃない」
「今からポイントを手に入れるんだ!」
三人が私の前で言い争いを始める。
誰も、私を逃がそうとはしなかった。
私はため息をつき、メッセージアプリを開いた。
亜里沙からの通知が、さっきより増えていた。
『今週の土日、会えませんか?』
『真白? お忙しいのかしら?』
少し返信の内容を考えて、文字を打ち始める。
『ごめんね。今週は予定が入ってて会えない。でも、私も亜里沙に会いたい。次に会う日、ちゃんと決めよう』
送信した直後に既読がついた。
ずっと、画面の前で待っていてくれたんだろうか。
「そういえば、双葉涼香のことなら、良い情報があるわ。あの子、カラオケが好きらしいわよ」
「カラオケ?」
「特進の二年から聞いたわ。放課後によくヒトカラをするんですって」
「涼香、一人カラオケするんだ」
意外だった。
私は涼香とのチャット画面を開く。
『今度、カラオケ行かない?』
数分後、短い返信が届く。
『いいよ。土曜日なら空いてる』
私は画面を見せた。
「土曜日、涼香とカラオケに行くことになりました」
「なら、日曜日は黒羽さんね」
「決まるの早っ」
雪乃はクッションを抱えたまま私を睨んでいた。
私の土日の予定が決まってしまった。
私はスマホを伏せてから、まだ開けていなかった弁当の蓋に手をかけた。




