あーん、して?
そして、ゴールデンウィークの休日。
私たちは人混みを避けて、のんびりとした空気が流れる河川敷へやってきた。
芝生の上にレジャーシートを広げ、私は朝早くから起きて作ったお弁当箱の蓋を開けた。
「……これが、お弁当?」
逢坂さんがお弁当箱の中を覗き込む。
中に入っているのは、形のいびつな卵焼きや、タコさんウインナーといった、絵に描いたような庶民のお弁当だ。
「いただきますわ」
逢坂さんは箸を持ち、卵焼きを口に運んだ。
「お口に合うかな……?」
「……美味しいですわ」
「ほんと!? よかったー」
「これ、佐倉さんが作ったんですの?」
「うん。逢坂さんのために頑張ったんだよ。はい、あーん」
私はタコさんウインナーを箸で摘み、逢坂さんの口元へ差し出した。
「なっ……! わ、わたくしは自分で食べられますわ!」
「えー、いいじゃん。友達同士なら普通だよ?」
言ってから、ちょっとやりすぎたかなと気づく。
「あ、ごめん。嫌なら自分で食べて」
「嫌とは言っていませんわ」
「え?」
「友人同士の作法なのでしょう?」
逢坂さんは周囲を確認してから、そろそろと口を開けた。
「……んむ」
「どう? 美味しい?」
「……美味しい、ですわ」
友達なら普通。
私がそう言えば、逢坂さんは疑いながらも受け入れてくれる。
……この言葉、使えるかもしれない。
私は箸を持ち直し、次は何を食べさせようか考えていた。
「その赤いものは、どういう料理名ですの?」
「タコさんウインナー」
「タコさん」
「うん」
「……さん付けが正式名称ですの?」
「そういうことにしとこう」
「庶民文化、難解ですわね」
「じゃあ、難解な庶民文化をもう一個どうぞ」
私はもう一本タコさんウインナーを摘んで、逢坂さんの口元へ差し出した。
「……ん」
「はい、次、卵焼き」
「待ちなさい、佐倉さん。流れが速すぎますわ」
「じゃあ、ゆっくりいくね。あーん」
「そういう問題では……」
最後の言葉は、卵焼きと一緒に消えた。
逢坂さんは飲み込んでから、まだ何か言いたそうに私を見た。
「おかわりいる?」
「……あなたがそこまで言うなら、受け取って差し上げます」
結局、逢坂さんは私が差し出した卵焼きをもう一つ食べた。
お弁当箱が空になりそうな頃には、逢坂さんはすっかり、私の「あーん」に慣れてしまっていた。
「ねえ、最後の一個。今度は逢坂さんが、私に食べさせてくれない?」
「な……っ、わ、わたくしがですの!?」
「うん、お礼にさ。友達同士なら普通でしょ?」
「その理屈、ずるいですわ……っ」
文句を言いながらも、逢坂さんは最後のタコさんウインナーを箸でつまんだ。
差し出す手は、ぎこちなくて、少し震えている。
「……あ、あーん、ですわ」
「あーん。……えへへ、おいしい」
「佐倉さんが味わっておいて、なぜわたくしが照れねばならないのです……っ」
耳を赤くしながらも、逢坂さんは最後まで、箸を引っ込めなかった。
私たちはレジャーシートを畳み、河川敷を駅の方へ戻った。
駅までの道でも、話は途切れなかった。
「逢坂さん、買い食いってしたことある?」
「買い食い……。店頭で購入したものを、その場でいただく行為ですわよね」
「ふふ、逢坂さんらしいね」
「な、何がですの。……とにかく、経験はありませんわ。ですが、コンビニのチキンなら知っています」
「秘密で食べてたやつ?」
「なっ、秘密ではありませんわ! 公表する機会がなかっただけです!」
「じゃあ今度、一緒にやってみようよ。買い食い」
「……っ、ぜ、ぜひ。では、日程と、立ち寄る店舗の候補を、いくつか挙げて……」
逢坂さんが、さっそくスマホを取り出してメモを開こうとする。
「いやいや、そんなちゃんと決めなくていいって。会った時に、食べたいもの買えばいいんだよ」
「予定も立てずに……?」
「うん。友達とのお出かけなんて、だいたいそんなもん」
「……そういうもの、なんですのね」
逢坂さんは少し考えてから、スマホを鞄に戻した。
スマホを見ると、もう五時を過ぎていた。
帰り道の川が、ゆっくりと茜色に染まっていく。
「今日は、楽しかったですわ」
「私も楽しかったよ。また遊ぼうね」
私は歩きながら、逢坂さんの右手をそっと握った。
「っ……!? さ、佐倉さん!?」
「手繋ぐのも、友達同士なら普通だよ?」
「普通、なんですの……!」
「うん、普通。……あ、でも、嫌ならほどくよ?」
「い、嫌とは……っ、言っておりませんわ……」
消え入りそうな声だった。
逢坂さんは私の手を見て、それから前を向く。
振り払われるどころか、逢坂さんの指が、おずおずと私の手を握り返してきた。
「あ、握り返してくれた」
「ち、違いますわ! こ、これは……っ、あなたが、友人なら普通だと言ったからで……っ!」
「ふふ。じゃあ、友達同士だし、もっとぎゅってしてもいい?」
「っ……、お、お好きになさい……」
言葉とは裏腹に、逢坂さんの指に力がこもる。
手のひらが少し汗ばんでいるのは、たぶん暑さのせいじゃない。
逢坂さんはそのまま、駅に着くまで、一度も私の手を離さなかった。




