お嬢様と、コンビニチキン
「なんで私まで、こんなところに来なきゃいけないんだ!」
次の土曜日、逢坂コーポレーション主催のパーティー会場。その隅のテーブルで、雪乃がグラスをテーブルに置いた。
受付で招待状を渡すと、係の人が久遠先輩の名前を見て姿勢を正した。
久遠先輩は慣れた顔で短く挨拶を返し、私の背中へ手を添えて会場へ入る。
天井からはシャンデリアが光り、磨かれた石床にドレスとスーツの影が映っている。
会場の奥では弦楽器の音が響き、ビュッフェテーブルには名前を聞いても分からない料理が並んでいた。
今日、零式会のメンバーは全員、久遠先輩が用意したドレスを身にまとっている。
私自身も、背中がざっくりと開いたドレスを着せられ、なんだか落ち着かない。
「逢坂亜里沙との接点が誰か一人でも作れたら勝ちなのよ。それにしても……三上さんはせっかくのドレスが台無しね。着る人間の品格が伴っていないわ」
「なんだとっ!?」
「威嚇しないで。ドレスが破れるわよ」
久遠先輩は雪乃を冷ややかに一瞥し、私の腰にすっと手を回してきた。
「ねえ真白。あなたはどう? 私の選んだドレス、気に入ってくれたかしら?」
「えっと、その、ちょっと恥ずかしいですけど……」
久遠先輩の手が腰にあるせいで、余計に背中の開きが気になる。
私が肩をすくめても、久遠先輩の手は離れなかった。
「ちびっ子は七五三か?」
雪乃の矛先が、今度は黒羽先輩へ向く。
黒羽先輩は黒の落ち着いたドレスを着ていた。
本人は平然としているが、テーブルの上の料理を取ろうとして、奥の銀のトングに届かずに手が止まっている。
「誰が七五三よ。次言ったらパンチするわよ」
私はトングを取って、黒羽先輩へ渡した。
黒羽先輩は当然のように受け取り、皿の上へキッシュを二つ乗せる。
「二人とも、似合ってますよ。雪乃も、黒羽先輩も、すごく可愛いです」
「えっ……」
「…………そ、そう」
私が素直に褒めると、雪乃は分かりやすく頬を赤らめ、視線を泳がせた。
黒羽先輩はそっぽを向いたまま、キッシュの三つ目を皿に乗せた。
「さあ、お遊びはここまでよ」
久遠先輩が視線を会場の中央へ向けた。
招待客に囲まれて、金髪の女性が挨拶を交わしている。
相手が年上なら丁寧に頭を下げ、同年代らしき相手には少しだけ口元を上げる。
会社関係者らしい男性が名刺を差し出すと、彼女はそれを受け取り、父親らしき男性へ自然に話を繋いだ。
あれが、逢坂亜里沙。
「接触できそう?」
「はい、行ってきます」
私はグラスを置き、人混みを縫って逢坂さんの方へ歩み寄った。
会話の輪が途切れるのを待つ。
けれど、逢坂さんの周りには次の人がすぐに入ってくる。久遠先輩の方を見ると、久遠先輩は軽く顎を引いた。
今行け、という合図らしい。
私は声をかける言葉を選びながら、逢坂さんの背後へ近づいた。
「あっ、すみません!」
その時、バランスを崩した別の参加者が、グラスを持ったまま逢坂さんの方へ倒れ込んできた。
私は咄嗟に逢坂さんの腰を抱き寄せ、その身を庇うように位置を入れ替えた。
「きゃっ!」
「うわっ!」
冷たい感触が背中を走る。
参加者の持っていた色のついたジュースが、私のドレスに派手にかかってしまった。
「ああ、申し訳ありません!」
「いえ、大丈夫です。お怪我は?」
私が参加者に対応していると、腕の中にいた逢坂さんが顔を青くして私の背中を見た。
「あなた、お洋服が……! わたくしを庇ってくださったのね。ごめんなさい、すぐに控え室へ!」
逢坂さんは私の手首を掴み、強引に会場の奥へと歩き出した。
***
案内された控え室には、私たち二人だけだった。
逢坂さんは棚からタオルを取り出し、私の背中の汚れにそっと当てた。
けれど、色のついたジュースは生地に染み込んでいて、何度拭いても薄い跡が残ったままだった。
「……抜けませんわね」
「あー……これ、たぶん落ちないやつですね」
「申し訳ありません……わたくしを庇ったせいで、こんな……」
会場であれだけ余裕のあった人が、タオルを握ったまま、しゅんと肩を落としている。
「そのままお帰しするわけにはまいりません。今日はわたくしの家の催しですから、控え室にお召し替えはいくらでもございます。どうぞお着替えになって。汚れた方は、責任を持ってクリーニングに出しますわ」
断る理由もなかった。
しかもこのドレス、私のものではない。
久遠先輩から借りた潜入用の一着だから、綺麗にして返せるならその方がいい。
逢坂さんが出してくれたのは、会場でも浮かない上品なワンピースだった。
着替えを終えると、逢坂さんは汚れたドレスを丁寧に畳んで紙袋へ収めた。
「クリーニングが済んだら、こちらのワンピースと引き換えにお返しします。お名前と、連絡先を教えてくださる?」
連絡先。
今日のために欲しかった接点が、向こうから提示された。
「佐倉真白です」
スマホで番号を交換しながら、私は少し雑談を振ってみた。
「逢坂さん、さっきまでずっと挨拶回りでしたよね。大変そうでした」
「家の催しですもの。これくらいは務めですわ」
「すごいです。お料理も、どれも美味しかったです」
「ふふ。それは良かったですわ」
「逢坂さんって、普段からこういう豪華なものばかり召し上がってるんですか?」
「まさか。家では、ごく普通の食事ですわ」
「あ、そうなんですね」
普通の食事。久遠先輩から聞いた話を出すなら、今だ。
「じゃあ……逢坂さんって、コンビニのチキンとか、好きだったりします?」
「…………へ?」
逢坂さんの優雅な表情が、ピタリと固まった。
それから、タオルを胸元に抱えたまま、私から一歩離れる。
「な、なんでそれを知っていますの!?」
「なんとなく……?」
「どなたからお聞きになったの? 家の者? まさか逢坂家の情報管理に穴が……」
「そこまで騒ぐ話ですか?」
「騒ぐ話ですわ! わたくしがコンビニのチキンを……その、商品名まで覚えていることなど、限られた者しか知らないはずですもの!」
「商品名まで覚えてるんですね」
「覚えていませんわ! ただ、注文時に必要なので記憶しているだけです!」
「それを覚えてるって言うんです」
「〜〜〜っ!」
……なんだ、思ったより、ずっと可愛い人だ。
「この秘密を守る代わりに、私とお友達になってくれませんか?」
口に出した瞬間に気づいた。
秘密を盾に「友達になれ」だなんて、どう聞いても脅しだ。
「そ、そんな強引な……!」
「あ、いや、脅すつもりじゃなくて。えっと、普通に誘いたかっただけで」
「普通に……?」
「はい。コンビニのチキン、一人で食べるより、二人で食べた方がおいしいかなって」
逢坂さんはタオルを抱えたまま、しばらく私を見た。
それから、咳払いを一つした。
「しょうがないですわね。あなたがそこまで望むなら、友人という立場を許可して差し上げます」
「ありがとうございます。じゃあ、また連絡しますね。チキンも、そのうち一緒に」
「……っ、お好きになさい」
会場では完璧だった令嬢が、今は耳を赤くして、そっぽを向いている。
連絡先はもう交換している。あとは、ここから少しずつ近づけばいい。
こうして私は、友人という立場を、正式に許可していただいた。




