脱がされて、朝
「なんで、お前が真白の隣に座っているんだ!」
次の日の放課後、十六室に入った時点で、今日の議題がまともに進まない予感はあった。
私はソファーの中央に座らされている。右隣には黒羽先輩、向かいにはテーブルに両手をつく雪乃。
「ガルルルル!」
「犬みたいな声を出さないで」
「誰が犬だ!」
「誰のせいで威嚇してると思ってんだ、ちびっ子」
「年上よ。次にちびっ子と言ったら、パンチするわよ!」
「威嚇する犬と、手が出るちびっ子。相変わらず野蛮ね」
久遠先輩が紅茶のカップを置いた。
止める気があるのか、煽りたいのか、まだ判定できない。
黒羽先輩は私の隣から動かないし、雪乃はテーブル越しに身を乗り出したままだ。
「なんだと害獣女!」
「誰がちびっ子よ! 私は四月生まれ! あなたより年上だわ!」
雪乃と黒羽先輩が同時に久遠先輩へ向かう。
犬と、ちびっ子と、害獣。ここ、一応由緒正しい零式十六会なんだけどな。
「はいはい、そこまで。それで、黒羽さん。何か分かったことがあったのかしら?」
久遠先輩が手を叩いて、場を切る。
黒羽先輩は肩をすくめ、手元のメモを開いた。
「同時攻略の組み合わせを考えてみたの」
「やっぱ、同時攻略しなきゃダメなんだ」
「どこにいるか。いつ会えるか。誰と鉢合わせるか」
「言い方が完全に犯行計画なんですけど」
「早く全てを終わらせるためよ」
正論を言われると、逃げられない。
帰るために必要だと分かっている。分かっているけれど、攻略すると思うと、息が詰まる。
「まず、双葉涼香と逢坂亜里沙」
「涼香は分かります。逢坂亜里沙って誰ですか?」
逢坂亜里沙は商業科の生徒で、基本的な居場所は商業科棟。
黒羽先輩はメモの上で校舎の位置を示す。特進棟と商業科棟は、北と南に離れている。
「つまり、涼香と会ったあとに商業科棟へ行っても、見つかりにくい?」
私が抗議しても、黒羽先輩のメモには一ミリも反映されないだろう。次の名前へ、指が移動する。
「次。藤代終と四条ののみ」
「藤代先生は知ってます。四条ののみって誰ですか?」
プロフィール上の所属は、オカルト研究部。
教師と生徒なら行動パターンは違う。黒羽先輩はそう言って、二つの名前の間に短い線を引いた。
「次。鍵守六実、七瀬奈々、矢代八雲、千代田詩織」
「待って待って待って。誰ですか。全員知らないです。しかも四人!?」
「鍵守六実は学校に来ない」
「一人目から会えないんですけど!?」
学校に来ないなら、学園内で誰とも鉢合わせしない。理屈は分かる。分かるけれど、攻略対象に会えないところから始まるのは、もう攻略なのか。
七瀬奈々はアイドルで、矢代八雲は舞台女優。
人気の二人に会えない日は、学校に来ない鍵守六実と、普通科一年生の千代田詩織へ会いに行く。
理屈は分かる。分かるけど、それをやるのは私だ。
「次。江藤絵真」
「誰ですか?」
「あなたの従姉妹のお姉さん」
「妹に続き、従姉妹まで!?」
江藤絵真は、同じ敷地内の十六夜大学に通っている。
近い。けれど、本科の時間割では読めない。大学生は空きコマ、休講、昼休み、帰宅時間が本科とは違う。
「だから江藤絵真は並行攻略に入れない方がいい。佐倉出海も単独」
出海は妹だから、他の女を家に連れてきたらその時点で終わる。
身内、怖い。
黒羽先輩は最後に、一ノ瀬唯花の名前を示した。
「唯花は知ってます。幼なじみです」
唯花は同じクラスで、家も隣。避けると、避けたことが分かる。
身近な人ほど危ない。そういうことだ。
黒羽先輩はメモを閉じた。
雪乃は開きかけた口を閉じ、腕を組んで頷いた。
「ちびっ子って頭いいんだな」
黒羽先輩が立ち上がり、雪乃の肩を思い切り殴った。
「痛っ!」
「理にかなっているわね、この作戦」
久遠先輩が話をまとめる。
中間テストが終わるまでは双葉涼香は置いておいて、逢坂亜里沙と接触する。そういう方針になった。
「それで、逢坂亜里沙とはどうやって接触すれば、いいんでしょうか?」
頭脳派が揃っているはずなのに、そこで全員の目が泳いだ。
結局その会議では、誰も接触方法を思いつけず、お開きとなった。
十六室を出る頃には、雪乃と久遠先輩は先に廊下へ出ていた。
私は鞄を持ち直し、黒羽先輩の背中へ声をかける。
「黒羽先輩、優さんと涼香のこと、何か知ってますか?」
黒羽先輩が立ち止まった。
「優から双葉涼香の話を聞いたことあるわ。攻略はまだしたくない。そのようなことを言っていたわね」
「……そうですか」
私は思ったより、声が沈んでしまった。
涼香が呼ぶ名前。涼香が笑う時の目。あれが私に向けられているのか、優さんに向けられているのか、まだ分からない。
「詳しい理由までは聞いていない。けれど、双葉涼香が覚えている優との過去は、今はあなたとの過去として認識されている」
「はい」
「涼香が見ているのは、今のあなたじゃないことを念頭に、行動した方がいいわね」
すぐには返事ができなかった。
「……私、涼香にどう接すればいいんでしょう」
「それは、私には分からないわね」
「ですよね」
涼香にとって、私は誰なんだろう。
***
土曜日、私は久遠先輩の家のリビングで、ソファーの端に座っていた。
久遠先輩は二百ポイントを使って、私を土日に独占する権利を得た。
ポイントの使い道として正しいのかは分からないけれど、久遠先輩はとても満足そうだった。
「……ねえ、真白。もっとこっちを向いて? 今は私のことだけ考えて」
「わ、分かってます、分かってますから、久遠先輩……っ」
久遠先輩は私の首元に顔を寄せ、頬を擦り寄せてくる。
繋がれた手は、指と指が絡んだままだ。私が他の方向に行こうとするたび、すぐ引き戻される。
逃げるほど嫌ではないから、余計に反応に困る。
「ふふ、真白の匂い……やっぱり、こうしてあなたに触れている時が一番落ち着くわ」
「あの、久遠先輩……」
「なぁに?」
「近いです」
「しょうがないじゃない。真白が可愛いのだから」
私を捕まえて、逃がす気はまったくない。
そういうところが一番困る。
「……逢坂さんのこと、まだ何も情報が進んでいないのに、こんなにのんびりイチャイチャしていていいんでしょうか」
「のんびり?」
「涼香と同時に攻略するのも不安で……」
「真白。今、その名前を出すの?」
しまった。
久遠先輩の声が少し低くなった。甘やかされている最中に攻略対象の名前を出すのは、相当よくない。
私だって逆の立場なら、いい気はしない。
「ご、ごめんなさい」
「謝るところも可愛いけれど、許すかどうかは別ね」
「別なんですか」
「別よ」
久遠先輩は繋いだ手を持ち上げ、私の手の甲に口づけた。
その仕草が自然すぎて、文句を言うタイミングを失う。
「大丈夫よ、真白。逢坂亜里沙の攻略なら、私がもう裏の手を回してあるもの」
「え、でも……」
「それよりも、今の私のことだけ見てくれないと、拗ねちゃうわよ? ……ほら、こっち」
久遠先輩は私の首に両腕を回し、顔を引き寄せる。
抗議する前に、唇が重なった。
話し合いは、ここで打ち切りだ。
「……んむ」
すぐに離れるつもりだった。
でも、久遠先輩は私の下唇を挟み、もう一度キスをする。離れたと思ったところで、また唇を塞がれる。
「久遠先輩、待っ……」
「待たないわ」
「せめて話を」
「今は、聞かない」
何度も唇を重ねるうちに、久遠先輩の腕が私を抱き寄せる。
言い返すために開いた口を、別のキスで塞がれた。言葉を発することができない。
「今は、私の真白でいて。……ね?」
久遠先輩は返事を待たず、私のシャツのボタンに指をかける。
一つ外れるたび、首筋、鎖骨、開いた襟元へキスをされる。私はもう、逢坂亜里沙の名前を出せなかった。
「……っ、はい。……久遠先輩」
久遠先輩は私をソファーへ横たえ、深く唇を重ねた。
涼香のことも、逢坂亜里沙のことも、考えようとするたびに久遠先輩の体温で上書きされた。
***
日曜日の朝。
目を覚ました時、私はまだ久遠先輩の腕の中にいた。
シーツの中で体を起こそうとすると、寝ぼけた久遠先輩に引き戻される。
「おはようございます、久遠先輩」
「……もう少し」
「もう朝です」
「だから、もう少し」
「理由になってません」
「真白が隣にいるもの」
唇を塞がれ、首筋へキスをされる。
ようやくベッドから出られた時には、朝からヘトヘトになってしまった。
「あ、そうだ。真白には言っておかないとね」
久遠先輩がパジャマの上着を羽織る。
私は乱れた髪を整え、久遠先輩の後についてリビングへ向かった。
ガラステーブルの上に、一枚の綺麗な封筒が置かれている。
「来週、パーティーに行くわよ」
「へ?」
逢坂亜里沙の親の会社、逢坂コーポレーションが主催しているパーティー。
そこへ行けば、彼女と接触する機会が確実にある。久遠先輩はそう言って、招待状をテーブルの上から拾う。
「真白に似合うドレスを用意しなくちゃね。楽しみだわ」
久遠先輩は封筒を胸元に抱え、足取りを弾ませてリビングを横切った。
攻略対象に会いに行くのに、ドレスコードがあるなんて聞いてない。




