猫より、警戒されてる
「──というわけで、涼香と、友達からやり直せることになりました」
「それは良かったわ。でも、これからどうするかが問題ね」
放課後の十六室。久遠先輩はノートパソコンを閉じないままこちらを見て、雪乃は窓際の椅子で腕を組んでいる。
私は二人の間にある椅子に座って、二人の反応を待った。
「まずはメッセージを送り合って交友を深めるべきだろ。返事来ないけど」
「あら、それなら既成事実を作ってしまえばいいじゃない。ちょっとスマホ貸しなさい」
久遠先輩が手を伸ばしてくる。
「また久遠先輩、変なの打つじゃないですか! 絶対ダメです!」
私は慌ててスマホを胸に抱え込み、後ろに下がった。
「…………ちっ」
「今、舌打ちしましたね!?」
「冗談よ。そう、いい情報があるのよね」
絶対に、冗談じゃなかった。
「双葉涼香は、猫が好きらしいわ」
「どこ情報ですか、それ」
「彼女の友達から聞いたわ。私が聞けば大体誰でも答えてくれるわよ」
さらっと言うけど、誰でも、ってすごくないだろうか。
久遠先輩は特進クラスで学年トップで、零式会の会長。零式会が何なのか、私は正直よく分かっていない。
でも、先輩の頼みを断れる生徒がいないあたり、よく分からないなりに、すごい場所なのかもしれない。
「確か、駅前に新しい猫カフェができたはずよ」
「じゃあそこに行けば……」
私はスマホの画面を開き、すぐにメッセージアプリを立ち上げた。
文面を打つ私を、雪乃が窓際からじっと見ている。
視線に気づいて顔を上げると、目が合った。
「……何だよ」
「攻略しないと、ループが終わらないから」
「知ってる。知ってるけど……」
雪乃は、私から目を逸らさなかった。
***
土曜日、駅前の猫カフェには開店直後から列ができていた。
入口のガラスには、猫の写真と注意事項が貼られている。
私は予約画面を店員に見せ、隣に立つ涼香を見た。
「……本当に猫カフェなんて、真白らしくないチョイス」
涼香は店の中を見ないようにして、入口横の観葉植物へ視線を向けている。
文句を言っているわりに、ガラス越しに黒猫が歩くたび、涼香の目がそちらへ動いた。
「嫌なら別のところにする?」
「別に。ここまで来たんだから入る」
「うん。じゃあ入ろ」
受付を済ませて、部屋の扉を開ける。
店員さんに消毒を促され、靴を脱いでスリッパに履き替える。
涼香は説明中、ずっと涼しい顔をしていた。
けれど、内扉が開いて、キャットタワーの上から三毛猫がこちらに向かってきた瞬間、涼香の表情が変わった。
「うわぁ……っ! かわいい……っ! すごい、みんなこっちおいでー!」
さっきまでの不機嫌はどこへ行ったのか、涼香はスリッパをきちんと揃えてから床にしゃがみ込んだ。
涼香は慣れた手つきで、指を猫の鼻先へ出した。
白猫が匂いを嗅ぐと、涼香は声を抑えきれずに笑った。
「あはは、涼香はやっぱり可愛いね」
「なっ、何よ急に」
「いや、さっきまでぷりぷりしてたのに、猫見た瞬間に別人になったから」
「ぷりぷりしてない」
涼香は否定しながら、白猫のあごの下をそっと撫でる。
私は涼香が猫と戯れている間、店員さんにドリンクを二つお願いした。
白猫が目を細めて喉を鳴らすと、涼香の口元がまた緩んだ。
「……おいで。怖くないから」
涼香は白猫に顔を寄せ、学校では聞いたことのない声でそう言った。
白猫が膝の間を抜け、涼香の手元から離れていく。
「あ、行っちゃった」
「猫じゃらし使ってみる?」
「……やる」
涼香は猫じゃらしを持ち、床の上で左右へ振った。
振り方が一定で、羽根はただ左右に往復するだけ。
猫が好きな、獲物みたいな急な動きがない。
三毛猫は一度だけ見て、すぐキャットタワーの柱へ戻った。
「え? なんで来ないの」
「涼香、猫に気を遣いすぎ」
「だって、乱暴に振ったら嫌がるでしょ」
私は涼香の隣に座り、猫じゃらしに手を添えた。
涼香の手の甲に、私の指が重なる。
「真白」
「え?」
「急に手を重ねないで」
「あ、ごめん」
私は咄嗟に手を離そうとした。
その時、涼香が口を開いた。
「……離せとは言ってない」
「え?」
「猫、来た」
三毛猫が前足で羽根を押さえた。
涼香は声を出さずに口を開け、それから慌てて唇を閉じる。
我慢しなくていいのに。
店員さんが、低いテーブルにアイスティーを二つ置いてくれた。
その音に反応して、涼香の膝へ茶トラが乗った。
涼香は猫じゃらしを床へ置き、茶トラを驚かさないように、そっと動きを止めた。
「あ……座ってくれるんだ……」
茶トラは返事をせず、涼香の膝の上で体を丸めた。
涼香は困った顔をしながら、逃がす気配がまるでない。
「涼香、飲み物来たよ」
涼香は猫に手を添えたまま、またストローへ口を寄せる。
涼香がアイスティーを飲み終えると、私はカップをテーブルへ戻した。
「……この子、寝ちゃった。これじゃ動けないじゃない……」
茶トラの猫が、涼香の膝で丸くなって寝息を立てている。
涼香はその様子を見て、愛おしそうに微笑んだ。
「涼香」
「なに?」
「今の、素直に笑う涼香、好きだな」
私が正面から目を合わせると、涼香はテーブルのアイスティーへ視線を逸らした。
それでも、膝の上の茶トラを撫でる手は止まらない。
「ば、バカ真白……っ!」
涼香は俯いたまま、何も言い返してこない。
「そういえば、昔もこうやって野良猫撫でてたよね」
「えっ」
「学校の裏庭にいた子。真白が毎日餌やってたじゃない」
私は咄嗟に相槌を打つ。
「ああ、うん。そうだったね」
本当は、そんなこと全く覚えていない。
この世界で『私』が何をしていたのか、私は何も知らない。
「ねえ、あの時の――」
涼香の視線が私に向き、何かを口にしかけた。
「あ、涼香、そろそろ退店時間だから行こうか」
「え……うん」
私は半ば強引に話題を変えた。
膝の上の茶トラを見つめる涼香から目を逸らす。
私は涼香の中にいる私を知らない。
その事実を突きつけられるのが、怖かった。
「……この子がまだ寝てるから。あと十分だけ、ここにいて。延長してきて」
涼香が、膝の猫に手を置いたまま、上目遣いで私を見る。
「はいはい、了解です」
十分後、茶トラが涼香の膝から降りた。
「よし、出よっか。涼香、後ろの方、たくさん毛がついてるよ。コロコロで取ってあげる」
私は店の出口付近で粘着ローラーを手に取り、涼香の背中へ当てた。
「あ、ありがと……」
「……よし、これで綺麗になったよ」
「……ん」
「ごめん。じゃあ行こっか」
店の外へ出ると、夕暮れの空が広がっていた。
「楽しかったね、涼香。よかったらまた来週にでも……」
私が次の約束を切り出す。
「……ごめん、気持ちは嬉しいんだけどしばらく会えない」
涼香が足を止め、静かに首を振る。
「なんで?」
「中間テスト、頑張りたいから」
「あ…………」
「だから、連絡も多分、できない」
「……じゃあ、ゴールデンウィークもずっと勉強なんだ」
「うん」
そうだった。
涼香は特進クラスで、学年一位をキープし続けなければならない。
その邪魔をしないために、過去の主人公は別れを切り出したのだ。
「そうだよね。ごめん。中間テスト終わったらさ、また遊んでくれる?」
「分かった」
「約束だよ」
私が小指を差し出すと、涼香は戸惑いながらも自分の小指を絡めてきた。
涼香は顔を背けたまま、それでも指はほどかなかった。




