いきなり、フラれた
昼休み、母親に作ってもらった弁当を持って十六室へ入ると、長机の上にプリントが並んでいた。
奥でノートパソコンを開いていた久遠先輩が、キーボードから手を離す。
「それでは、会議を始めるわ」
「待ってください。私、まだお弁当も開けてないんですけど」
「食べながらでいいわよ」
「お茶くらい出せ、この尻軽女」
向かい側に座る雪乃が、腕を組んで久遠先輩を睨む。
私は二人の間に座り、配られたプリントに視線を落とした。
プリントには、イルカイルから送られてきた『残り十二人の攻略対象リスト』が印刷されている。
会議資料と言われれば、確かに会議資料だった。
けれど、そこに並んでいるのは、人の名前だ。
しかも、私が帰るために近づかなければならない相手の名前。
「真白。知っている名前はある?」
「ええと……」
リストを見てみる。
見覚えのある名前が、いくつか並んでいた。
「出海に、唯花……!?」
家で毎日顔を合わせる妹の名前。
朝も昼も放課後も、こちらの世界では当たり前のように私の隣にいる幼なじみの名前。
「身近な人から攻略するのが一番早いわね。好感度も高いでしょうし」
久遠先輩が淡々と告げる。
「いや、流石に実妹を攻略って大丈夫なんですか、これ!?」
「愛があれば問題ないわよ」
「問題だらけです!」
「血が繋がっている分、上手くいくかもしれないわよ。試してみる価値は──」
「ないです! その価値、どこにもないですから!」
「残念、却下なのね」
この人は、半分くらい本気で言っている。
久遠先輩はプリントを一枚めくった。
「じゃあ一ノ瀬から行くのはどうだ?」
雪乃が身を乗り出してくる。
「いや、唯花は……」
「あんまり乗り気じゃなさそうね」
久遠先輩が眉を上げる。
「乗り気とかじゃなくて、唯花は毎日顔を合わせるんですよ。失敗したら逃げ場がないし……」
「それでも、攻略しないと帰れないのでしょう?」
「私だって、好きで次から次へと攻略したいわけじゃないですよ。でも、やらないとこの世界はループし続けるんですから」
「……知ってる」
雪乃が短く返した。
雪乃はプリントから顔を上げ、私を見た。
「私の時も、帰るためだったんだろ」
「雪乃」
「でも、最初は私だから」
「え?」
「そこは忘れるな、鈍感」
「……うん」
「………」
雪乃は、それきり何も言わずにプリントへ目を戻した。
「三上さんの主張は分かったわ。けれど、友人だから避けたいというなら、五十嵐さんの時はどう説明するの?」
「そうだ。もうすでに真白は友達の五十嵐を攻略してただろ」
「それはそうなんだけど。唯花は、五月みたいに流されるタイプじゃないし」
「ふうん。なら、他を当たるしかないわね」
私は再びリストに視線を落とした。
「あと、藤代終って……藤代先生のことですよね?」
「そうね。現国の藤代先生ね」
「先生を攻略ってハードル高すぎないですか!?」
「それなら、双葉が一番簡単なんじゃないか?」
雪乃が、リストの2番目を指差した。
「え?」
「双葉涼香……誰かしら?」
久遠先輩が首を傾げる。
私はその名前に記憶があった。
そういえば、確か主人公の元カノっていう設定の子だ。
「えっと、元カノ……」
雪乃は腕を組み、細めた目でこちらをジトッと睨んでくる。
「あら、三上さん。真白の元カノの存在を知っていたのね」
久遠先輩が楽しそうに口元を緩める。
「お前より、私は真白と仲がいいからな。なんでも話してくれるんだ」
雪乃は、ぷいとそっぽを向いた。
「でも、ナイスアイディアね、三上さん。真白、双葉涼香に復縁しようって言うだけでいいじゃない」
久遠先輩が手を叩く。
「いやでも、別れたのにはそれなりの理由がありまして」
いや、実は全く知らないんだけど。
私はまだ、双葉涼香が普段どんな声で怒るのかも、別れた日に何を言ったのかも知らない。
それなのに、この世界では私が彼女を振ったことになっているのだ。
「でも、昔は好き同士だったんだろ」
「その……別れた理由も、私、よく覚えてなくて」
「振った側の台詞とは思えないわね」
「うっ」
「好き同士だったとしてもだ。曖昧なまま謝れば、墓穴を掘るぞ」
雪乃が肩をすくめる。
そういう設定になってるけど、復縁という言葉が使えても、そのあと何を話せばいいのかは分からない。
それでも、他と比べて好感度が高い可能性に賭けてみるのはありかもしれない。
「分かりました」
「なら、決まりね」
「……復縁、頑張ってみます」
こうして私は、双葉さん……元カノなら涼香か。
涼香に復縁を迫ることになった。
その日の放課後。
スマホのアドレス帳に涼香の連絡先があったので、メッセージを送ってみた。
しかし、翌日になっても画面に既読の文字はつかなかった。
送った文面は、何度見返しても無難だった。
『久しぶり。少し話せないかな』
それだけなのに、涼香が私の言葉を受け取ることさえしてくれないことが分かった。
授業の合間にスマホを開き、放課後にまた開いた。
夜、自分の部屋でもう一度開く。
「既読、つかなイルカ?」
「……うるさい」
通知は、来なかった。
***
未読のまま二日が過ぎた。
昼休み、私はスマホを机に置いて、十六室の椅子に座った。
「『あの時はごめん』とかはどうですか」
「ありきたりね。もっと踏み込みなさい」
「『また一緒に帰りたい』とかどうだ?」
雪乃が提案するが、久遠先輩が首を横に振る。
「極論、心が通っている二人がえっちすればラブエナジーは溜まるのよね?」
「そうですけど」
「じゃあ、『えっちしよ』って送ってしまうのはどうかしら?」
「別れたんですよ!? 心通ってないと思いますけど!?」
「でも、元カノよ。きっと身体を重ねれば全て思い出すわ」
確かに一度、零の時に「えっちしよ」と初対面で言って成功した前例はある。
しかし、別れた元カノにその手を使うのはちょっとどうなんだろうか。
久遠先輩が手を伸ばし、私の手からスマホを取り上げた。
画面を数回タップする。
「あ、ちょっ、先輩!」
「送信完了よ」
スマホを返される。
画面には、久遠先輩が言った通りの「えっちしよ」の文字が送信されていた。
取り消そうとした瞬間、既読のマークがついた。
「どうして今!?」
そして、雪乃が私の肩を掴んでスマホの画面を覗き込んできた。
「ちょっと待て! 何送ってんだこの淫乱女!?」
「既読ついちゃったじゃないですか! 流石にこれはブロックされちゃいますよ! 久遠先輩〜!」
「あら、ブロックされたら謝り倒したらいいじゃない。それでもダメだったら次のループで挑戦すればいいわ」
久遠先輩が、いたずらっぽく微笑んだ。
私はスマホを伏せる。
涼香からの返事は、まだ来ていない。
***
放課後。
私は、特進クラス二年A組の扉の前に立っていた。
特進クラスは普通科とは違う校舎にある。普通科の校舎よりも廊下が綺麗で、設備も新しい。
掲示板には模試の案内や進路説明会の紙が貼られ、廊下を歩く生徒たちは、休み時間なのに参考書を開いている。
『えっちしよ』
あの文面を送った相手を、今から呼び出す。
「あの、双葉さんいますか?」
「双葉さーん、呼ばれてるよー」
教室の中にいた女子生徒が声をかけてくれた。
教室内から、涼香が姿を見せる。
私の顔を見るなり、涼香は眉間にシワを寄せてあからさまに嫌な顔をした。
初対面の人に対する顔ではなかった。
「ちょっと、屋上で話さない?」
私は声をかけた。
涼香は何も言わず、私を通り過ぎて階段の方へ歩き出す。
私は慌ててその後を追った。
屋上の扉を開ける。
涼香が振り返った。
「何の用?」
「えっと……」
「変なメッセージも送ってきて。本当に迷惑」
「いや、本当にごめん」
私は頭を下げる。
「本気であれ、送ってきたわけ?」
「あれは、その……事故というか」
「事故で送れる文面じゃないでしょ」
「友達が勝手に送ったんです……」
「………」
言い訳をしてみたけど無理のある言い訳だった。
事実なんですけどね。
涼香は、それ以上その話には触れなかった。
「それで、何?」
「あの、えっと」
私は涼香の目をまっすぐ見た。
涼香が待っていた言葉があるとしたら、きっとこれではない。
そう分かっていても、私は会議室で決めた作戦を口にした。
「復縁、しない?」
涼香は、瞬きをしなかった。
私が言い終えるのを待って、ひと言だけ返した。
「は? 無理」
涼香の返事は早かった。
早すぎて、私に会う前から答えが決まっていたのだと分かった。
涼香はそれだけ言うと、背を向けて屋上の扉へと歩き出した。
扉が閉まる金属音が響き、私は屋上に一人残される。
私は涼香の言葉に対して、何も言えなかった。
謝るなら、何に謝るのか。
聞くなら、何を聞くのか。
どちらも分からないまま、私は屋上を後にした。




