馴染みすぎじゃない?
放課後のホームルームが終わり、日直の号令で教室の空気がほどけた。
部活へ向かう子、スマホを出す子、鞄を閉じる子が一斉に動き出す。
雪乃は誰よりも早く席を立った。
今度こそ逃がさない。
私は鞄をつかみ、彼女の机の前へ回り込んだ。
「帰りのホームルーム終了! 今度こそ! 雪乃、一緒に帰ろ!」
鞄を肩にかけた雪乃の前に、私は先回りして立ち塞がった。
「……あんた、本当に頭おかしいのか? ストーカー?」
「ストーカーじゃないよ! ただのクラスメイトから下校の誘いだよ!」
「これ以上ついてきたら、本当に警察に通報するからな」
「警察!? クラスメイトを帰り道に誘った罪で!? 駅まで! 駅まででいいから! 私、雪乃の隣を無言で歩く置物になるから!」
「置物は喋らない。存在が目障り。話しかけるな」
言い切ったあと、雪乃はすぐに私から顔を背けた。
それ以上、私の反応を見ようとはしなかった。
「存在まで否定された!! 待って、せめて連絡先だけでも——」
私がスマホを取り出そうとした瞬間、雪乃は身をひるがえし、凄まじいスピードで走り去った。
「あああっ、走って逃げられた! 雪乃のバカ! 足速い!」
下校する生徒たちが行き交う廊下で、私はひとり、雪乃が消えていった方向を見つめていた。
***
帰り道で、私は一度も迷わなかった。
どの角を曲がるかも、どの家が佐倉の家かも、わかってしまう。
鍵を開けたこともないのに、カバンの中の鍵を手が勝手に掴んでいた。
わかるんだけど、わかってしまうのがおかしい。
帰宅して自室のドアを閉めた瞬間、私は空中に向かって言った。
「イルカイル、出てきて」
「呼ばれて飛び出てイルカ〜」
「私この世界に馴染みすぎじゃない!?」
馴染んでる、なんて生やさしいものじゃない。
靴箱も、席も、時間割も、最初から私が知っていることになっている。
昨日まで神崎真白だった私の中身が、佐倉真白に上書きされていってる。
……これ、笑って済ませていい話じゃないよね。
「それはそうイルカ! 生活に必要な最低限の補正が入っているイルカ」
「補正?」
「靴箱の場所、席、時間割、家までの道、スマホのロック。生活に必要な最低限は、考える前に分かるよう補正されているイルカ」
「それ、私の頭いじってるってこと?」
「感覚や思考に軽く干渉してるイルカね〜」
「今すぐやめて」
「やめてもいいけど、ただ辛くなるだけイルカ!」
「最悪」
「何を一番の目的とするかをよ〜く考えるイルカ! そんなことより、いい感じイルカね〜!」
空中に浮かぶイルカイルが呑気に笑う。
「どこが!? 完全に詰んでる空気だったよね!?」
「ふっふっふ、これを見るイルカ!」
イルカイルがヒレを振ると、いつもの細長いガラス瓶が現れた。
私は体を起こし、瓶を見る。
「……え? 嘘、昨日より溜まってる……?」
瓶の中には、昨日よりきらきらしたピンクの液体が増えていた。
「彼女の頑なな心が、君の決死のアタックでわずかに揺れ動いた証拠イルカよ!」
「……え、じゃあ、今日の行動は意味があったんだ。あの暴言の嵐も、無駄じゃなかったんだ……!」
私は瓶の輪郭に手を伸ばしかけて、指が触れないことを思い出した。
ホログラムの中で揺れるピンク色を、じっと見つめる。
「その通りイルカ!」
「よかったぁ……。これなら希望が見えてきたかも。これで毎日めげずに話しかけていれば、少しずつでも貯まっていくんだね……!」
「うん! この調子で毎日コツコツ続いたら、瓶が満タンになるまで大体一年ぐらいかかりそうイルカね〜!」
「い、一年!?」
私はイルカイルの方へ振り向いた。
「一年イルカ! 四季折々のイベントを経て、来年の春には感動のエンディングイルカ!」
「長すぎるわ! 私、大学生なんだよ!? 一年も失踪してたら確実に留年じゃん!! ていうか、毎日あの『失せろ』と『キモい』のフルコンボを一年間浴び続けたら、帰る前に私の心がストレスで死ぬ!!」
私はベッドの上のクッションをイルカイルに投げつけた。
分かっていたが、すり抜けてクッションが壁にぶつかる。
「仕方なイルカね……。チマチマ稼ぐのが嫌なら、もうちょっと強引に行くイルカ!」
「強引って……何?」
イルカイルは空中で一回転し、ビシッと私を指差した。
「キスするイルカ!」
「できるかっ!!!!」
私は叫んだ。
「ラブエナジーは身体的親密さでドカンと溜まる仕様イルカ! ツンデレヒロインの唇を強引に奪って、そのまま怒涛の保健室イベントに雪崩れ込むイルカ!」
「いや、できるかーっ! 強引にそんなことしたら本当に警察じゃん! 攻略どころじゃなくなる!」
「ちっ……頭の固いプレイヤーイルカね」
「……今、舌打ちしたね?」
「じゃあ、エロゲ定番イベント、『一緒に下校をする』イルカ!」
イルカイルは何事もなかったかのように仕切り直した。
「……まあ、一緒に下校……それぐらいなら……」
「がんばイルカ! 夕暮れの帰り道は、ヒロインの隠された本音がポロリとこぼれる大チャンスイルカよ〜!」
私はベッドに仰向けに倒れた。
一緒に下校。
言うのは簡単だけど、あのアスリート並みの逃げ足をどうやって捕まえればいいのだろうか。
天井を見上げながら、私は深くため息をついた。




