体だけじゃ、満ちない
放課後、校門のそばで、三上雪乃が壁に寄りかかって待っていた。
私の姿を視界に捉えると、雪乃は校門の柱から背中を離し、鞄の持ち手を肩に掛け直した。
「真白」
「……雪乃」
数日前の朝、私の部屋で雪乃を拒絶して以来の接触だ。
「真白を待ってた」
続きを言うのに、雪乃は少し時間がかかった。
「この前のこと。私が勝手だった」
「ううん」
「真白が疲れてるって分かってたのに、自分の気持ちばっかり押し付けた。嫌われたくなくて、勝手に焦った。……ごめん」
「気にしてないよ。私こそ、雪乃の気持ちに応えられなくてごめん。突き放す態度をとってしまって……本当にごめんなさい」
私がそう告げると、雪乃は顔を上げた。
「……真白の家、行ってもいいか?」
「……いいよ」
断る理由はなかった。
私たちは横に並んで歩き、私の家へ向かった。
自室のドアを開け、二人でベッドに腰を下ろした直後のことだ。
部屋の天井に光が集まり、青色のイルカが宙に現れた。
「また雪乃が来てイルカ?」
イルカイルは空中で回転しながら、露骨に不快感を示す。
「あんたこそ、なんだ、急に出てきて」
「雪乃、君はただの攻略済みヒロインイルカ。用済みの過去キャラがいつまでも真白にべったり張り付いているのは、余計なことしてイルカね。真白も、そんなことせずに真面目に攻略をやって欲しイルカ」
「真面目にやってるよ。ここ何日間か、すごい頑張ってるんだけど?」
私が反論すると、イルカイルはヒレで口元を覆う仕草をした。
「真白の頑張りなんて、所詮その程度イルカね。そんな風には見えなイルカ」
イルカイルがヒレを振る。
すると、私の目の前に一本の瓶が具現化された。
九条院久遠のラブエナジーを示す瓶だ。
イルカイルは瓶を持って転がす。
底に沈んだピンク色の液体が、ガラスの内側で光る。
ラブエナジーは一ミリぐらいしか溜まっていなかった。
「これだけ!?」
「これだけイルカ」
「……え、どういうこと!?」
「九条院久遠は手が早いことで有名イルカ」
イルカイルはニヤニヤと笑いながら、私に顔を近づけてきた。
「まだ深い仲にはなれなイルカ? 真白ってそんなに魅力がなイルカね〜!」
バカにした笑い声が部屋に響く。
私は顔に熱が集まるのを感じながら、たまらず声を荒げた。
「も、もう三回はしたんだけど!?」
「……は? まだ会ってから1週間も経ってないんじゃ」
「あ、いや……それは」
私の言葉を聞いた瞬間、隣に座っていた雪乃がムッとした表情になり、私の服の裾を強く引っ張った。
彼女の不機嫌が直に伝わってくるが、今の私にはそれよりも瓶の現状が不可解だった。
十六室に通うようになり、久遠先輩からの要求には全て応えてきた。
それなのに、ラブエナジーは一向に増えていない。
どうしてだろう?
「それ、体だけの関係ってことじゃないのか?」
沈黙を破ったのは、雪乃だった。
彼女は服の裾から手を離し、険しい顔で私を睨む。
「ただ真白の体を利用して遊んでるだけじゃないか」
「そんなことないよ。久遠先輩は、すごく優しくて……」
「優しいふりなら誰だってできる。そんな女と会うのはやめろ。真白が傷つくだけだ」
「雪乃が口出しすることじゃなイルカ。真白は会わないわけにはいかなイルカね」
雪乃の忠告を、イルカイルが即座に否定する。
「嫌な思いをしてまで、そんな人と付き合う必要ないだろ!」
「あるイルカ。攻略しないと、この世界は救われなイルカ」
イルカイルの冷酷な宣告が耳を打つ。
久遠先輩に言われるまま十六室へ通って、触れられて、抱きしめられて。
私はそれを攻略だと思っていた。
でも、久遠先輩のことを知ろうとしたことはあっただろうか。
休日の過ごし方も、好きな場所も、放課後が終わった後何をしているかも。
――――私は何も知らない。
***
翌日の放課後。
私はいつも通り、十六室のソファに座らされていた。
久遠先輩は私の前髪を指で分け、目の下を見た。
「寝不足?」
「ちょっとだけ」
「なら、今日は横になっていなさい」
ソファの端に座り直した久遠先輩が、私の頭を自分の膝へ誘導する。
ローテーブルには、いつの間にか細い耳かきが置かれていた。
「え、何するんですか」
「耳掃除。動いたら危ないわ」
ひんやりとした耳かきの先端が、ゆっくりと入ってきた。
私の鼓膜に、かすかな摩擦音が響く。
指先が私の顔の輪郭を撫で、髪を梳きながら、久遠先輩は丁寧に手入れを進める。
されるがままになっていると、やがて耳かきがテーブルに置かれ、久遠先輩の手が私の制服の襟元へと滑り込んできた。
指先が鎖骨をなぞり、いつもの情事の気配が部屋に満ちる。
昨日の雪乃の言葉が脳裏をよぎった。
『ただ真白の体を利用して遊んでるだけじゃないか』
私は久遠先輩の腕に手を添え、ゆっくりと身を起こした。
「どうしたの? 嫌だった?」
「いえ……あの、久遠先輩。お願いがあるんです」
「お願い? いいわよ。何かしら」
久遠先輩は余裕のある微笑みを浮かべる。
私は意を決して口を開いた。
「今度のお休み、私とデートしてください」
「……デート?」
「はい。いつも放課後に、この零式会でしか会ってないので……休日も久遠先輩と一緒に過ごしたいです」
私がそれを伝えると、久遠先輩は目を丸くした。
わずかな沈黙の後、ふっと口元を綻ばせる。
「いいわよ。どこに行きたいか、考えておきなさい」
「やった……!」
私はソファの上で、久遠先輩の方へ向き直った。
「……そんな顔、するのね」
「約束ですよ」
私は久遠先輩の手を取った。
久遠先輩は返事をしない。
代わりに、握られた手をほどいて、私を抱きしめた。
「久遠先輩?」
「……少し、このままでいて」
久遠先輩は、しばらくそのままでいた。
耳元で甘いことを言うわけでもなく、ただ抱きしめている。
それが、今までで一番、反応に困った。




