見えない指に、辿られて
次の日の放課後、十六室に入るなり、私は久遠先輩にソファへ座らされた。
「明日、小テストがあるらしいわね」
久遠先輩は私の鞄を勝手に開け、ノートと参考書をローテーブルに置いた。
ついでに筆箱まで取り出し、シャープペンを一本選んで、私の指の前に置く。
「どうしてそれを?」
「英語の先生から聞いたわ。二年と三年の先生は一緒なのよ。真白がどうしているか気になったの」
ローテーブルの上に、私のノート、参考書、単語帳が並ぶ。
久遠先輩は参考書を私の前に置いたあと、膝と膝が触れる位置まで座り直した。
「ここから出すそうよ」
「先生の情報、そこまで聞けるんですか」
「ふふ、聞ける範囲を聞いただけよ。さあ、始めて」
久遠先輩はページの英文を指した。
私はシャープペンを持ち、ノートに和訳を書く。
この範囲は、もう何回も見た。
ループのたびに授業は戻る。
小テストは同じものが繰り返される。
先生の雑談も、板書の順番も、間違えた生徒の名前も、だんだん覚えてしまう。
「できました……これくらい、余裕です」
久遠先輩はノートを引き寄せ、赤ペンを持った。
一行目から三行目まで、どこにもバツをつけない。
久遠先輩は、ノートの余白に丸をつけた。
「次」
次も解いた。
その次も、文法問題も、並べ替えも、単語の穴埋めも。
久遠先輩が問題を指すたび、私はノートへ答えを書き込む。
五問目を解いたところで、久遠先輩の手が止まった。
「……ふふ、見事ね。こんなにスラスラ解けるなんて、意外と勉強できるのね」
褒められた。
久遠先輩は、私の顔を覗き込んでいる。
顔を上げたら、久遠先輩の唇が目に入った。
「な、なんですか……急に、そんなに見つめないでください」
「褒めているだけよ。偉い子には、ご褒美をあげなくちゃね」
「なんで私のことばかり見るんですか……? ノート、見てくださいよ」
「だって、ノートより真白の反応が面白いんだもの。……ほら、また目が泳いでる」
私はとっさに、ノートへ視線を逃がした。
でも、じっと見られているのが分かってしまい、つい顔を上げて久遠先輩を見てしまう。
久遠先輩はそんな私を見て、笑った。
「……顔が赤いわね。熱でもあるんじゃない? 無理しちゃ駄目よ」
「えっ、違っ、これは——熱なんかじゃなくて……!」
言い終える前に、久遠先輩の額が私の額に触れた。
反射で背中がソファに寄りかかる。
久遠先輩の手が私の首筋へ移り、次に手首を取り、脈を測る。
「……熱だけじゃないわね。脈もかなり乱れている。どうしたの?」
「そ、それは久遠先輩が……」
私は、ノートへ視線を落とした。
でも、久遠先輩の気配から、逃げられない。
「私が、なに? 最後まで言ってみて」
「顔が、近いです」
「そう? 私はただ熱を測っているだけなのに。……それとも」
久遠先輩の声が、耳元に近づいた。
「真白は、私に何を期待しているの?」
返事をする前に、唇を塞がれた。
参考書のページが肘で押され、紙がめくれる。
シャープペンが床の上に落ちて転がった。
私はそれを拾おうとして、久遠先輩に手首を取られる。
そのままソファへ倒され、背中にクッションが沈んだ。
「ちょ、久遠先輩、勉強中……」
「ダメ? ……さっき、全問正解だったご褒美なのに」
「そういう問題じゃなくて……っ、んっ……」
抗議は、もう一度のキスで切られた。
上から久遠先輩に押さえつけられ、服の裾がソファの端から落ちる。
私は顔をそらそうとした。
久遠先輩は、上着のポケットへ手を入れる。
黒い布っぽい何かが出てきた。
「……え? 久遠先輩、なんでそんなものポケットに……っ」
久遠先輩の手に、シルクのアイマスクがあった。
学園に持ってくるようなものではない。
「ふふ、真白の可愛いところが見たいから」
最初から私をこうするつもりで準備してたんだ。
「待っ、久遠先輩、これは」
久遠先輩の人差し指が私の唇に触れた。
私は反論できなくなってしまう。
久遠先輩の指が目元に触れ、視界が真っ暗になった。
「これで見えなくなったわね。いい子だから、暴れないで」
久遠先輩の声だけが残る。
ソファの革が擦れる音。
久遠先輩の髪が頬に触れる感触。
「……今、私がどんな顔をしてあなたを見下ろしているか、想像できる? ねえ、答えて」
「……分からないです」
衣擦れがした。
久遠先輩の指が、上着の肩口にかかる。
ゆっくりと、左右に引き下ろされた。
生地が腕を滑り落ちる感触が、肌に残る。
次に、ブラウスのボタンに指がかかった。
一つ外れる。
また一つ。
ボタンが外れるたびに、冷たい空気が肌に触れてくる。
布が肌を離れる音が、静かな部屋に小さく響いた。
冷たい空気が露わになったお腹に久遠先輩の指が触れ、私は小さく息を詰まらせた。
「ん……」
久遠先輩はさらに、袖に指を滑り込ませて私の腕を抜いていく。
片方の腕が自由になるたび、布が私の肌を滑り落ちる感触が、ぞわぞわと背中を這い上がった。
もう片方の袖も、時間をかけて丁寧に脱がされていく。
最後に背中側に回った指がホックに触れ、かちりと小さな金属音が鳴った。
ストラップが肩から滑り落ちた。
冷たい空気が、一気に肌に触れてくる。
久遠先輩の指が髪をかき上げ、うなじをなぞる。
たったそれだけで、私の体は勝手に小さく跳ねてしまう。
次に、指先が耳の裏を滑る。
触れているのか、触れていないのかわからないほどの微かな感触に、耳の奥が熱くなった。
私は、暗闇の中で自分の鼓動がやけに大きく聞こえるのを感じていた。
「ん……っ」
久遠先輩の指が、暗闇の中で私の肌をゆっくりと辿っていく。
目隠しで何も見えないぶん、触れられた場所だけが、はっきりと熱くなる。
首筋から鎖骨へ、それから、もっと際どいところへ。
「どこを触られているかわかる?」
久遠先輩の声が、意地悪く低く響く。
答えられないでいると、思いがけない場所を撫でられて、私はビクンと体を跳ねさせた。
見えないから、次にどこを攻められるのか分からない。
その怖さと、与えられる熱が混ざって、頭の中がどんどん溶けていく。
「もっと、声を聞かせて」
もう、甘い声を抑えることもできなかった。
やがて久遠先輩の唇が、私の一番恥ずかしいところに触れた。
焦らすように、淡く。もどかしくて腰が浮くたびに、それを見抜いて、少しずつ追い詰めてくる。
暗闇の中で、自分の体が、自分のものでなくなっていく。
逃げ場なんてどこにもなくて、私はただ追い上げられていく。
もう無理、と思うより早く、目の前が真っ白に弾けた。
体が、自分の意思とは関係なく大きく跳ねる。
一度では終わらせてもらえず、何度も同じ場所まで連れ戻されて――そのたびに、私は暗闇の中でめちゃくちゃに乱された。
気づいた時には、頭の中まで真っ白に溶けて、指一本、動かせなくなっていた。
長い余韻に包まれていると、ようやく久遠先輩の指がアイマスクに触れた。
サテンの布がゆっくりと外され、光が一気に目に戻ってくる。
視界が戻った瞬間、自分が泣いていることに気づいた。
いつから泣いていたのか、わからなかった。
まぶしさと同時に、久遠先輩の顔がぼんやりと視界に入った。
——ずっと、この顔を見たかった気がした。
久遠先輩の指が優しく私の頰を撫で、涙でぐちゃぐちゃになった肌を丁寧に拭ってくれる。
その温かさに、私はただ震える息を吐きながら久遠先輩を見つめていた。
「今日はすごく可愛かったわ……明日も別の方法で遊びましょう」
その言葉に、私はただ熱い頬を久遠先輩の胸に埋め、荒い息を繰り返しながら小さく頷くことしかできなかった。
久遠先輩の指が、まだ頬に触れている。
涙を拭う手つきまで、慣れていた。
この人は今まで、何人の女の子をこうやって抱きしめてきたんだろう。
私も、その中の一人として数えられるだけなんだろうか。
考えたくないのに、久遠先輩の指が頬に残っている間ずっと、そのことばかり考えていた。




