熱に、流されて
放課後、私は零式十六会室と書かれた扉の前で、立ち止まっていた。
この部屋の扉は教室の引き戸ではない。黒い木目の開き戸で、取っ手は古い金色の金具だった。
プレートの下には、「十六室」と書いてある。
私はスマホを取り出し、イルカイルが残したプロフィール画面のスクリーンショットを確認する。
九条院久遠。
零式十六会会長。
会長先輩枠。
レズ。
イルカイルは言った。
私なら簡単に付き合える、と。
三人攻略した。
雪乃、零、五月。
元の世界に帰るまで、あと十三人。
「……行くしかない」
取っ手を掴んで、押す。
扉は静かに開いた。
中は、普通の教室ではなかった。
まず目に入ったのは、壁一面の書棚だった。
背表紙に年度が振られたファイル、文化祭の記録、体育祭の進行表、旧校舎備品台帳。
窓際には長い机。上には申請書の束、判子台。
部屋の中央には、ローテーブルを挟んで深い緑色のソファが向かい合わせに置かれていた。
学園自治組織の部屋にしては豪華な部屋だ。
「入室するなら、扉は最後まで閉めなさい」
奥の机から声がした。
私は慌てて扉を閉める。
金具がかちりと鳴った。
机の向こうに、九条院久遠がいた。
黒髪はプロフィール画面で見た通り、肩から背中へまっすぐ流れている。
黒いカチューシャで前髪が整えられ、横髪も乱れていない。
青紫色の目が、私を見定めるようにじっと見てくる。
そして、ペンのキャップを閉め、書類の端を机に揃えた。
「用件を」
九条院先輩はペンを手にしたまま、私が口を開くのを待っている。
「零式十六会に入りたいです」
九条院先輩は申請書を一枚引き寄せ、ペンのキャップを外した。
「理由は?」
どう答えればいい、なんて考えるだけ無駄だ。
イルカイルは言っていた——九条院先輩なら攻略するのは簡単だ、と。
だったら下手に飾るより、正直にぶつけたほうが早い。
私は鞄の肩紐から手を離し、九条院先輩の顔をまっすぐ見た。
「九条院先輩と付き合いたいからです」
九条院先輩はペンを置き、顔を上げる。
ふざけるなとか、零式十六会を何だと思っているとか。
私はそのどれかだと思った。
「いいわ」
拒絶も、説教も、来なかった。
あまりにあっさりしていて、断られるより戸惑う。
「は?」
反射で変な声が出た。
九条院先輩は申請書の空欄へ、さらさらと何かを書き込む。
「入会を認めます」
「え、あの、今ので?」
「理由は明確でした。私と付き合いたいのでしょう」
「そうですけど、いや、そうなんですけど」
「名前は?」
私は一度、口を閉じた。
神崎真白。
それが私の本当の名前。
違和感を持ちながらも名乗った。
「佐倉真白です」
九条院先輩は申請書に名前を書いた。
それから立ち上がる。
椅子が床を擦る音もしない。
机の横を回り、私の前まで来る。
「真白」
急に名前を呼ばれて、背中が椅子もないのに伸びた。
九条院先輩は私の顎に指を添える。
「今日から、あなたは私の恋人よ」
言い終わる前に、唇が重なった。
私は、返事をしそこねた。
九条院先輩の指はまだ私の顎に添えられていて、顔を背けることを許さなかった。
「ちょっと待ってください、九条院先輩!」
九条院先輩は私の顎から指を離し、頬にかかった私の髪をそっと払った。
「九条院先輩、はやめて。恋人になったのよ。久遠と呼びなさい」
「く、久遠……先輩」
先輩、まで言ってしまった。
久遠先輩はそれ以上は正さず、ただ満足そうに目を細めた。
そのまま、また顔が近づいてくる。
私はとっさに身を引いた。
「他のメンバーが来るんじゃ……」
「来ません」
「え?」
「零式十六会には、私しかいないわ」
机の上の申請書。
書棚のファイル。
全部、一人で仕事をしているのか。
「で、私の仕事は?」
そう聞くと、久遠先輩は首を傾げた。
「私の恋人でいること」
久遠先輩はソファを指した。
私は言われるまま腰を下ろす。
久遠先輩は私の隣に座り、私の鞄を取ってローテーブルの横へ置いた。
久遠先輩の指が、私の手首に触れる。
「嫌?」
元の世界へ帰るために、ここへ来た。
久遠先輩と付き合いたい、と言ったのは私だ。
「……嫌じゃ、ないです」
久遠先輩は頷いた。
「では…………」
久遠先輩は手首を放し、私の髪を耳の後ろへ流した。
「真白」
名前を呼ばれて、私は返事をしようとした。
けれど久遠先輩は返事を待たず、私の手を取って自分の肩へ導く。
扉の鍵が閉まっているのか、私は確認していない。
でも久遠先輩は、そんなことは気にしていないようだった。
「大丈夫。ここには誰も来ないわ」
その言葉に、安心していいのか、逃げ道をなくされたのか。
分からないまま、私は久遠先輩の肩に指をかけると、唇が重なった。
キスが徐々に深くなっていく。
熱い舌が口内に滑り込み、絡みつく感触に私は思わず息を詰まらせた。
久遠先輩が私の身体に手を這わせ、服の上から包み込むように動かす。
掌の熱が布越しに伝わり、私は小さく身をよじった。
「ん……っ」
久遠先輩に抵抗しようとした瞬間——気づけば、ソファへ優しく押し倒されていた。
背中が柔らかい生地に沈んだ。
久遠先輩の顔が、間近にある。
——――逃げられない、と思った。
熱い体温と、わずかに乱れた息が肌に直接触れてくる。
久遠先輩が私の服をはだけさせ、キスを続けた。
熱い指先が肌を辿る。思わず、体が強張った。
私は久遠先輩の肩を押さえようとしたが、力が入らなかった。
久遠先輩の手が、スカートの奥へ滑り込む。
指先が、太ももの内側を辿る。
触れられただけで、私は抵抗ができなくなった。
年上の余裕なのか、久遠先輩の指は、私がどこで震えるのかを最初から見抜いていた。
「待って……!」
逃げようとしても、もう片方の手にやんわりと押さえ込まれて、許してもらえない。
知らない熱が、とめどなく込み上げてくる。
「本当に……待っ……!」
待って、と言いたいのに、声は途中で溶けてしまう。
久遠先輩が耳元で、優しく囁いた。
「ここ、こうしたら変になっちゃうわよね」
その言葉と同時に、こらえていたものが、私の中で決壊した。
体の奥で動いた水脈が、最初はほんの滲みだったのに、やがて泉のように――自分でも止められない勢いで、溢れ出していく。
初めての感覚に、頭の中が真っ白になった。
自分の体が、こんなふうになるなんて、知らなかった。
「あーあ、汚しちゃったわね」
久遠先輩はそう笑って、それでも止めてくれない。
一度では終わらせてもらえなかった。
何度も、何度も同じ場所まで追い上げられて、そのたびに、私の体は勝手に応えてしまう。
「待って……もう無理……」
気づいた時にはもう、声も、力も、何も残っていなかった。




