好きって、証明して
土曜日の昼前。
部屋を片付けていると、スマホが震えた。
『今日、行っていいか?』
雪乃からだった。
昨日のコンビニで、私は明日話すと約束した。
言ったけど、どう説明するかなんて一つも決まっていない。
ゴミ箱の袋ををくくり、返信欄を開いた。
『うん。家でいい?』
返事はすぐに来た。
『いい』
どう説明をするかに頭を悩ませていたらあっという間に時間が経ってしまった。
部屋のドアをノックする音がした。
出海に案内された雪乃が、私の部屋へ入ってくる。
「座って」
「……ああ」
ローテーブルを挟んで向かい合う。
「それで」
雪乃が先に口を開いた。
「説明しろ」
「説明、する。するんだけど」
私一人では無理だ。
ループの仕組みも、ラブエナジーも、イルカイルの存在も、私の口から言えば「何を言っているんだこいつ?」となるだろう。
とりあえずイルカイルを見せて、全てあいつの口から話してもらうのが早いだろう。
「イルカイル」
部屋の中には、返事の代わりにエアコンの動く音だけが残った。
机の横にも、ベッドの上にも、青色の光は浮かばない。
「イルカイル?」
雪乃が眉を寄せる。
「何、それ」
「えっと、説明役というか、喋るイルカというか」
「喋るイルカ?」
私は机の横に向かって声を張った。
「イルカイル! いるんでしょ! 出てこい!!!」
数秒遅れて、部屋の空間がぱちんと弾けた。
白い光が集まり、宙に青色のイルカが浮かぶ。
イルカイルは胸びれをだらんと下げ、最初から面倒くさそうな顔をしていた。
「ハァ〜ア、雪乃は思い出しちゃったイルカね」
雪乃が椅子から腰を浮かせた。
「何だこれ?」
「イルカイル」
「ぬいぐるみが喋ってる」
「多次元時空観測用自律投影端末イルカ! ぬいぐるみ扱いは失礼イルカ!」
「何だよこれ。説明しろ」
雪乃の声が硬くなる。
イルカイルは私と雪乃を交互に見た。
「本当は主人公の前以外では姿を現すと怒られるイルカ」
「怒られるって、誰に?」
「それは言えなイルカ」
「ふざけてるのか?」
「ふざけてないイルカ。制限イルカ」
雪乃がローテーブルに手をついた。
「早く説明しろ」
「分かったから落ち着くイルカ」
私がそう言うと、イルカイルは尾びれを一度振った。
「仕方なイルカね〜。じゃあ説明するイルカよ」
イルカイルの前に、半透明の画面が開いた。
そこには四月九日の日付と、円を描く矢印が表示されている。
「この世界はループしてイルカ」
「やっぱりな」
雪乃の返事は早かった。
驚きではなく、確認だった。
「詳しいことは言えなイルカなんだけど、四月九日から一年経つと、ループし続けるようになってしまったイルカ」
「一年!?」
「そうイルカ。でも、大体の人間は記憶がリセットされて四月九日に戻ってしまうイルカ」
雪乃は画面を見ていた。
私は雪乃の顔を見ていた。
昨日まで、私は雪乃が覚えているなんて考えていなかった。
「そして、この世界を救うべく立ち上がった主人公。それが、佐倉真白イルカ!」
「主人公……?」
雪乃が私を見る。
「そうイルカ! 真白は主人公として、十六人の女の子を攻略する任務があるイルカ!」
「攻略ってなんだ?」
雪乃が繰り返す。
その一言で、部屋の温度が下がった。
「女の子の心を満たして、この瓶にラブエナジーを溜めるイルカ」
イルカイルが胸びれを振ると、空中に細い瓶が並んだ。
そのうち二本は、桃色の液体で満たされている。
「ラブエナジーが全て溜まったら、この世界はループから解放されるイルカ」
「それで」
雪乃が言った。
「攻略するために選ばれた女が、私だった」
「そうイルカね」
私は何も言えなかった。
そのために雪乃に近づいた。
雪乃の拒絶に踏み込んだ。
好きだと言った。
抱きしめた。
キスをして、抱いた。
雪乃の記憶には、それが残っている。
そして今、イルカイルはそれを攻略と呼んだ。
「つまり」
雪乃は私を見た。
「真白は、それが目的で私に近づいた、ということなのか?」
否定したかった。
違うと言いたかった。
でも、違わない。
最初の最初、私は雪乃を攻略対象として見ていた。
好感度を上げて、瓶を満たして、元の世界に帰るために。
「……ごめん、雪乃」
それしか出なかった。
「私は利用されたんだな」
雪乃は、怒らなかった。
怒られない分、逃げ場がない。
「真白を責めないで欲しイルカ。真白は世界のために頑張ってイルカ」
「黙って、イルカイル」
私が言うと、イルカイルは口を閉じた。
雪乃になんて言えばいいのか分からない。
ごめん。
違う。
帰りたかった。
「……それでも、私は降りない」
「え?」
雪乃が立ち上がった。
ローテーブルを回り込み、私の前まで来る。
「私はずっと真白が好きだった」
雪乃の手が、私の肩に触れる。
「今の真白が私を好きじゃなくても」
「雪乃」
「真白に好きって言われたことまで、なかったことにさせる気はない」
近づいてくる。
私は椅子に座ったまま、動けなかった。
「今、真白が私を好きじゃなくても」
雪乃が私の前に膝をつく。
「私が真白を好きでいるのは、私の勝手だろ」
返事をする前に、雪乃にキスされた。
昨日のコンビニのキスより、ずっと深い。
確認ではなく、感情を押し込まれるようなキスだった。
許された。
許されてしまった。
私は本当に、それでいいのだろうか。
「まあ、恋愛は個人の自由イルカ」
イルカイルの声が、最悪のタイミングで割り込んだ。
雪乃が唇を離し、イルカイルを見る。
「でも、真白の邪魔はしないで欲しイルカ」
「邪魔?」
「そうイルカ。真白は現在二本分の瓶のラブエナジーを溜めたイルカ。残りはあと十四本。この世界を救うためには、あと十四回ラブエナジーを満タンにする必要があるイルカ」
私は椅子から立ち上がった。
「イルカイル、そこまで言わなくていい」
「大事なことイルカ。だから、真白の行動を邪魔するようなことはしないで欲しイルカ」
雪乃の視線が、私に戻る。
「ラブエナジーを溜めるということは、つまり」
雪乃はそこで言葉を切った。
イルカイルが、余計な明るさで胸びれを上げる。
「女の子とえっちするってことイルカね〜!」
「ちょっとイルカイル!」
イルカイルの前に、新しい瓶が表示された。
桃色の液体が、半分より少し上まで溜まっている。
「今回、攻略している子の瓶はこれぐらい溜まってイルカ! あと一回ぐらいえっちすれば攻略完了イルカね」
雪乃がその瓶を見てしまった。
「他の女と」
雪乃の声が落ちる。
「そういうこと、したんだな」
「いや、それは、ね? そうなんだけど、ね? さっきいった通り、理由が……」
言い訳の途中で、雪乃に胸を押された。
背中がベッドに沈み込む。
雪乃が上から私を見下ろしていた。
「んっ……!」
言葉を紡ぐ暇もなく、雪乃の唇が荒々しく私の唇を塞いだ。
確かめるためでも、甘えるためでもない。奪い返すためのキスだった。
私が息を吸おうとわずかに口を開いた隙を突き、雪乃の舌が強引に侵入してくる。
甘い唾液の味が混ざり合い、口内のあらゆる粘膜を執拗になぞり、絡めとられる。
私が苦しさに顔を背けようとしても、雪乃は私の顎を強く掴んで逃がさない。
唇が離れたのは、ほんの一瞬だけ。
息を継ぐ間も与えず、二度、三度と、角度を変えて深く貪られる。
キスの湿った生々しい水音が、静かな部屋にいやらしく響き渡る。
雪乃の吐息が熱い。私の口の中のすべてを自分の色に塗り替えようとするかのようだ。
「……はぁっ……ん、ゆき……の……っ」
ようやく唇が離れると、私は酸欠で荒い息を吐きながら、涙目で雪乃を見上げた。
雪乃の唇は濡れて艶を帯び、その瞳には嫉妬の炎が揺らめいている。
「……キス、上手くなったな真白」
唇を手の甲で拭った雪乃が、酷く悔しそうに私を見下ろす。
「ムカつく」
「雪乃」
「他の女と、こんなことして」
雪乃は私の腰の上に跨がったまま、制服の上着に手をかけた。
ボタンが外され、布が肩から落ちる。
白い肌と下着が、私の目の前に晒された。
「私のこと好きって言うなら」
雪乃の指が、私の手を取る。
その手を、自分の胸元へ近づけた。
「証明して」
触れればいい。
雪乃はそれを望んでいる。
昨日からずっと、私を問い詰めて、キスして、覚えていると言って泣いて、ここまで来た。
それなのに、私の手は途中で止まった。
今ここで雪乃に触れることが、雪乃のためなのか。
許されたい私のためなのか。
判断が追いつかない。
雪乃の顔が歪んだ。
「触らないのか?」
「違う、雪乃」
「やっぱり私のこと……」
その先を言わせたくなかった。
私は体を起こし、雪乃の言葉をキスで塞いだ。
雪乃の肩が跳ねる。
私はそのまま雪乃の背中へ腕を回し、体勢を入れ替えた。
今度は私が雪乃をベッドへ押し倒す。
「違う」
唇を離して、もう一度言った。
「今、私はちゃんと雪乃を見てる」
雪乃は返事をしなかった。
代わりに、私の首へ腕を回してくる。
私は雪乃の額に触れるくらいの距離で、もう一度キスをした。
それが正しいのかは分からない。
許されていいのかも分からない。
イルカイルが何か言いかけて、すぐに消えた。
私は雪乃の両手首を、片手で頭の上に押さえつけた。
部屋の中は静かで、二人の息だけが聞こえる。
指の間から、雪乃の脈が、わずかに伝わってくる。
耳元に唇を寄せた。
「雪乃のこと、好きだよ」
もう一度、息を吹きかけるように囁く。
そのたびに、雪乃の首筋が小さく反応するのが、腕に伝わった。
首筋に舌を這わせる。
鎖骨のくぼみから、ゆっくりと下へ唇を這わせた。
熱い感触が、舌先に残る。
もう片方の手で、スカートの裾をたくし上げる。
太ももの内側を、掌で優しく撫でる。
爪で軽く引っ掻くと、脚がわずかに跳ねた。
「ん……っ」
雪乃の声が、すぐ近くで掠れている。
その声の震えと、肌の熱が、重なって感じられた。
私は、耳元で、もう一度囁いた。
「好きだよ」
言葉にするたびに、本当になっていく気がした。
指先が、太ももの内側を辿る。
雪乃の体は、どこを触れば声が変わるか——もう全部、知っていた。
息が、徐々に乱れていくのが、耳のすぐそばで聞こえた。
昨日まで、私は雪乃を「終わったこと」にしていた。
でも雪乃は、全部覚えていた。覚えたまま、まだ私を好きでいてくれた。
その想いから、今度こそ、逃げたくなかった。
私は雪乃の名前を呼びながら、その熱の中へ深く沈んでいく。
カーテン越しの昼の光に、重なり合う二つの影が、ゆっくりと溶けていく。
「好きだよ」と、何度も囁く。
今度の「好き」は、嘘でも、打算でもなかった。
――そして、雪乃の名前を呼ぶ声と、その息づかいだけが、部屋に残った。




