別れた、翌朝
土曜日の朝。
スマホのアラームを止める。通知欄には、天気予報と通販アプリのセール通知だけ。
大和からの連絡はない。当然だ。昨日、別れたんだから。
私――五十嵐五月は、彼氏と別れた翌朝を、自分でも意外なくらい静かに迎えていた。
泣かなかった。布団の中で、ぼんやり天井を見ていただけ。
大和の名前を探す指は、もう動かない。
その代わりに、と言っていいのか分からないけれど。
気づいたら私は、真白とのトーク画面を開いていた。
彼氏と別れた翌朝。いちばん最初に顔を見たくなったのが、真白だった。
『明日遊ぼうよ』
打って、送らずに眺める。
真白は、私のことどう思っているんだろう。
私は、真白のことどう思ってるんだろう。
「送れ」
自分に言って、送信ボタンを押した。
既読はつかない。
私はローテーブルを拭いた。
五分経っても、まだつかない。
洗面所へ行って顔を洗った。
戻ってきても、まだ。
冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注ぐ。
スマホを見る。
まだ。
「いつもならすぐ返事くれるのに……」
誰に言うでもなく呟いて、私は床に座った。
クッションを膝に乗せ、スマホをその上に置く。
画面が消えるたびに、すぐ指で点け直す。
考えるのをやめようと思ってクッションを持ったまま、ベッドに寝そべった時だった。
画面が光った。
『ごめん、明日はちょっと無理かも』
私はすぐに返信欄を開いた。
『何か用事あるの?』
送ってから、スマホをクッションに押しつけた。
クッションの上でスマホを見張る。
見張っても返事が早くなるわけじゃない。
分かっているのに、スマホを閉じることができない。
『ちょっと友達と他の予定入っちゃって』
「友達」
唯花なら、真白は唯花って書く。
友達って誰だろう?
私の知らない友達。
私の知らない真白の予定。
私はクッションに顔を埋めた。
「真白が好き」
言ってみた。
思ったより、部屋に響いた。
もう一回。
「真白が好き」
顔が熱い。
私は一つずつ確かめることにした。
これを誰かに送るわけじゃない。
誰かに見せるわけでもない。
逃げないために、自分で自分を呼び止める作業だ。
「分からないって言っても、笑わないところが好き」
課題を教えてもらった時、真白は私のことを馬鹿にしなかった。
どこで困っているのかを見て、説明してくれた。
「変な質問しても、ちゃんと困ってくれるところが好き」
カラオケでの真白は、本当に面白かった。
あの時の慌て方は、今思い出しても面白い。
そして、最後まで私の話を聞いてくれた。
「私がふざけると、ふざけ返してくれるところが好き」
『僕、大和』
思い出して、私はクッションに顔を押しつけた。
何度思い出しても大和っぽくない。
でも、あれを真顔でやった真白のことは、結構好きだ。
「自分のことは、ほとんど話してくれないところは……ちょっとずるい」
言いながら、気づいてしまう。
真白は、私のことはよく見ているくせに、自分の話はほとんどしない。
家族のことも、休みの日に何をしているのかも、私はまだ何も知らない。
知らないのに、こんなに気になる。
知りたいと思っている時点で、たぶん、もう答えは出ている。
「友達のつもりなのに、急に全然友達じゃなくなるところが好き」
言った瞬間、思い出したのは、真白の部屋のベッドだった。
課題を教わりに行っただけのはずが、気づけば私は、真白の腕の中にいた。
真白の手つきは、どこまでも優しかった。
怖がらせないように、急かさないように。甘やかしてくれる。
耳元で囁かれるたびに、頭の中までふにゃふにゃに溶けて、私はもう、抵抗なんてできなかった。
大事にされている、と思った。
大和には一度も感じなかったその温もりに、私は抗えなかった。
あの時間のことだけは、今も、うまく言葉にできずにいる。
でも、これって本当に「好き」でいいんだろうか。
真白は、あれを「練習」だと言った。彼氏とうまくやるための、ただの練習。
それに私は、昨日、大和と別れたばかりで。
一人が寂しくて、たまたま優しかった真白に、すがろうとしているだけかもしれない。
女の子を好きになったことなんて、今まで一度もなかったのに。
……それでも。
どれだけ言い訳を並べても、出てくる答えは、一個も変わらなかった。
私はクッションから顔を上げた。
「……好きじゃん」
さっきからずっと、それしか言っていない。
でも仕方がない。
そういう結論にしかならない。
――――真白が好き。
大和とは違う好き。
知らない誰かと会っていると思うだけで、モヤモヤしてしまう好き。
好きだと分かったところで、どうすればいいのかは分からない。
真白が私をどう思っているのか。これが「練習」の続きなのか、それとも違うのか。
考えても、分からないことばかりだ。
それでも、もう「友達」には戻れない。
ううん。たぶん、戻りたくないんだ。
私はスマホを胸の上に置き、天井を見た。
真白とのトーク画面は、まだ開いたままだった。




