練習、だからね
週末、五月は私の家へ遊びに来ていた。
自室のカーペットに座り込み、二人でバター醤油味のポテチをつまむ。
五月は自分のスマホを横向きにして、動画アプリの短いバラエティ動画を流した。
配信者がオーバーリアクションする度に五月は笑っていた。
私もそれにつられて笑う。
最初は他愛のない雑談だった。
学園の先生の話。
駅前のゲーセンの新しい音ゲーの話。
コンビニの限定アイスが出たという話。
けれど、動画が次の一本へ切り替わったあたりで、五月はポテチを一枚取ったまま動かなくなった。
バター醤油の粉がついた指を見て、ポテチをもう一枚取ろうとして、やめる。
結局、私の前にあったティッシュで指を拭いた。
「五月、なんかあった?」
「うーん、あったというか……」
「私でよければ、話聞くけど」
「じゃあ……」
五月はスマホの音量を一つ下げた。
それから袋から手を離し、私の目を真っ直ぐに見据えてきた。
「彼氏とさあ、喧嘩しちゃった。……ラブホ行ったんだけど、私が直前で怖くなっちゃって。ごめんって謝ったら、すごい雰囲気悪くなっちゃった」
「そう、なんだ」
「彼氏が悪いとかじゃないんだよ。急だった、ごめんって、ちゃんと言ってくれたし」
「うん」
「でも、私もごめんって言って、大和もごめんって言って、二人でごめんごめん言ってたら、何喋ればいいか分かんなくなった」
五月は膝の上のクッションを抱え直した。
部屋に動画の音声はもう響いていない。スマホの放つ無機質な光だけが、五月の輪郭を白く照らし出していた。
「……私、なんで直前になって逃げちゃったんだろう。彼氏のこと、嫌いじゃないのに。ラブホだって、覚悟して入ったのに」
「嫌いじゃないけど、好きじゃないってことなのかも?」
私がそう言った直後、急に顔を上げた。
「……分かった! 緊張しちゃったのかも!」
「初めては、緊張するよね」
「やっぱり真白、経験あるんじゃん!」
「いや、一般論として……」
私が慌てて取り繕うと、五月は再び深くため息をついた。
「なんかさ、キスが私、あんまり好きじゃないのかもな」
「……キスの何が嫌だったの?」
「彼氏に舌を入れられかけて、私、どうすればいいか分からなくて。それで怖くて、反射的に離れちゃった」
五月が自分の唇を指でなぞる。
「そしたら、雰囲気が最悪なことに! はあ〜、辛い! あーもう、分かんない!」
五月はクッションに顔を押し付け、ジタバタと足を動かした。
「何が分かんないの?」
「キスが苦手なのか、彼氏が苦手なのか、緊張したから逃げちゃったのか」
クッション越しの籠もった声が室内に響く。
私はポテチの袋を閉じながら、何か気の利いたことを言おうとして失敗した。
こういう時、友達として正しい言葉が何なのか分からない。
『もう一度話しなよ』『無理しなくていいよ』――綺麗事はいくつも浮かぶ。だが、どの言葉を選んでも、今の五月には届かないと直感した。
「じゃあ、私としてみる?」
「え?」
五月がクッションから顔を上げる。
「キス」
「あはは! 確かに、真白と練習するのありかも〜!」
冗談と受け取り、五月が明るい声で笑う。
ここで一緒に笑って、ポテチをもう一枚取ればよかった。
なのに、私は続けた。
「じゃあ、私が彼氏役? 名前なんだっけ?」
「大和」
「僕、大和!」
「大和はそんなこと言わないよ〜!」
五月はクッションを抱えたまま笑っている。
まだ、ただの悪ふざけだった。
私はローテーブルを部屋の端に寄せた。
「五月」
「な、なに。急にそんな顔しないでよ」
「ちゃんとこっち向いて」
「……ちょっと待って、本気……?」
私は五月の肩に手を添えた。
五月はクッションを抱えていた腕をほどき、カーペットに手をついた。
「え、なに。押し倒す練習までやるの?」
「大和はそういう感じじゃないの?」
「知らないよ、されたことないし」
五月は笑いながら、クッションを横へどかした。
そのまま、自分からカーペットに仰向けになる。
カーペットに仰向けになった五月は、まだ悪ふざけの延長だと信じて笑っている。
だから、私もそこで止まればよかった。
笑って、はい練習終わり、と言えばよかった。
けれど、床に散らばった髪と、無防備に晒された首筋。私の体重に押されて乱れる呼吸。
それらの事実を突きつけられた瞬間、私の中で『友達』という境界線が完全に瓦解した。
「へ? ま、真白?」
私が上から覗き込むと、五月はそこで初めて笑うのをやめた。
両手が私の胸元に当たる。
拒絶の意志はなく、ただ困惑だけがその震える指先から伝わってくる。
「嫌だったら、やめる」
「……嫌、ではないけど」
その返事を聞いてから、私は五月の唇へ、自分の唇を重ねた
「……っ……!」
もう一度唇を重ねる。
今度は、触れるだけでは終わらせなかった。
五月の唇を舌先でなぞると、戸惑うように息が漏れる。
開いた隙間へ舌を差し入れると、バター醤油の塩気より先に、五月の熱が舌に触れた。
先程までの戸惑いを断ち切るべく、私は五月の口内を執拗に探った。
五月の喉から、甘い声が漏れる。
「んっ……ぁ……まし、ろ……」
五月の舌が、不器用に私の舌へ絡みついてくる。
唾液の交じる水音が静かな部屋に響き渡り、五月の呼吸が次第に荒くなっていく。
私がさらに深く舌を絡めると、五月の手から力が抜け、カーペットの上へだらりと落ちた。
熱を帯びた息遣いが、私の耳元に届く。
私は五月の服の裾へ手を伸ばし、ブラウスのボタンを外し始めると五月は体を強ばらせる。
「ま、真白!? 待って、ちょっと……」
五月の声がわずかに上ずり、私の手首を掴んだ。力は入っていない。
「練習だからね」
短くそう言って、私はボタンをさらに外した。五月のブラウスがはだけ、熱を帯びた肌と白い下着が露わになる。
彼女が顔を赤くして視線を逸らそうとした瞬間、私の掌がその素肌に触れた。
「んっ……」
五月が微かな声を漏らした。
熱い肌の感触が掌にじんわりと伝わってきて、彼女の呼吸が一気に浅く速くなった。
「あ……っ」
私はそのままスカートの中に手を滑らせる。
「……んっ」
五月の喉から、声にならない声が漏れた。
その震えを、私は唇でそっと塞ぐ。
カーテン越しの昼の光が、重なる二人の輪郭を白く滲ませている。
五月の指が、すがるように私の背中へ回った。
もう、どちらの吐息なのかも分からない。
「練習だから」――そう言い訳した言葉は、とっくに溶けて消えていた。
私は五月の熱に、深く沈み込んでいく。
視界に五月だけを映して、私はそっと目を閉じた。




