忘れさせてくれる子
あれから何度も五月と遊んだ。
五月と遊んでいる間は、私がやらなければいけないことを忘れられた。
放課後にゲーセンへ寄って、五月が音ゲーの筐体に百円玉を入れる。
私は横で荷物を持たされ、五月が遊び終わるのを待った。
別の日には、コンビニでアイスを買って公園のベンチで食べた。
五月はカップアイスのスプーンを落とし、私のスプーンを当然のように奪ってきた。
そういう放課後の隙間に、彼氏の話が混ざるようになった。
五月のために、駅前の店で唐揚げとポテトを両方買って半分ずつにしてくれたとか。
雨の日に傘を寄せてくれたせいで、彼氏の肩だけ濡れていたとか。
私はそのたびに、相槌を打った。
五月は私を友達だと思っている。
私も、そういうつもりで隣にいた。
そうして一ヶ月が経とうとしていたある夜、私は自室の机に向かい、数学の課題を広げていた。
シャープペンシルの芯が、一定のテンポでノートの上を滑っていく。
流石に三周目ともなると、既視感のある問題はスラスラと解けるようになってきた。
どうせしばらくすれば時間が巻き戻り、全てリセットされる。
本来なら課題などしなくてもいいはずなのに、なぜか机に向かってしまう。
学園生としての真っ当な生活リズムを強制することが、この世界の意志なのだろう。
ふと、ベッドの上でポンと破裂音が鳴った。
振り返ると、ホログラムのイルカイルが尾びれを振って宙に浮いている。
「最近、五月と仲いいイルカね!」
「急に出てこないでよ。まあ、ただの友達だし。でも……二周目とは違った一面がいっぱい見えたかも」
カラオケで押しつけられたタンバリン。
変な色のドリンクを、五月が笑いながら私の前に置いたこと。
ポテトの箱を真ん中に寄せて、何も聞かずに半分こにしてきたこと。
「いい感じイルカ! じゃあ、このまま五月を攻略するイルカ!」
「……へ?」
「今度のターゲットは、五十嵐五月イルカ!!」
「はあ!? 五月が、攻略対象!」
「そうイルカ! このまま恋人関係に持っていくイルカよ〜!」
イルカイルが胸びれをパタパタと動かす。
私は手にしていたシャープペンシルを、乱暴に机の上へ叩きつけた。
「ふざけないで。五月はただの友達だよ。それに、今彼氏ができたばっかりで悩んでる最中なのに」
「だからこそ付け入る隙があるイルカ! エロゲの基本イルカ!」
「というか、友達として関わっている同性の子を、恋人関係まで持っていけるわけないでしょ!?」
「それが不安イルカか〜! 大丈夫イルカ! えっちすればラブエナジーは溜まるイルカよ?」
「どういうタイミングでそれができる!?」
「零の時は素直に『えっちしよ』って言ったらできたイルカね!」
「友達にそんなこと言えるかーっ!!」
「でも、何も行動しなければ、いつまで経ってもこの世界から抜け出せないイルカよ?」
イルカイルの正論に、私は言葉を失う。
ここには、真白という役を与えられた私を気遣ってくれる、偽りの家族がいる。
リビングから聞こえる出海の笑い声や、この世界の両親の温かい声。
決して嫌いではない。むしろ、その居心地の良さに流されかけている自分がいる。
でも、やっぱり私が本当に一緒にいたいのは、元の世界にいた家族と友達だ。
自室にゲームやグッズを散らかしてばかりいる、どうしようもない兄の顔が浮かぶ。
早く帰って、文句の一つでも言ってやりたい。
「……五月を、利用したくない」
ぽつりとこぼした私の言葉に、イルカイルは何も答えない。
五月は、不器用ながらも必死に『彼女の正解』を探している真っ只中だ。
その悩みを攻略のフラグとして消費するなど、到底受け入れられない。
けれど、瓶を満たさなければ、元の世界には帰れない。
「……分かってる」
「イルカ?」
「五月が私を友達だと思って相談してくれてることも、そこに踏み込んだら最低なことも」
五月のプリクラの笑顔。
ポテトをつまみながら、彼氏とのキスを報告してきた声。
あれを聞いた時、私は友達の顔をして頷いた。
吐き気がする。
でも、帰りたい。
「それでも、やる」
口にした瞬間、自分の声が嫌になった。
イルカイルは宙で尾びれを止めた。
「攻略する気になってくれたイルカ〜!」
イルカイルが胸びれをぱたぱた打ち合わせた。
拍手のつもりらしい。
ただ、ホログラムの尾びれだけが腹立たしく揺れている。
「五月が悩んでたら、聞く。踏み込む。必要なら、都合のいい言葉も言う」
「真白」
「帰るために」
机の上のスマホが震えた。
画面に、五十嵐五月の名前が表示される。
『日曜日、真白の家行っていい?』
私はすぐには返事を打てなかった。
「いいタイミングイルカね」
「黙って」
私はスマホを手に取り、返信欄を開いた。
指が画面の上で止まる。
断れば、五月は別の誰かに話すかもしれない。
大和さんと、もう一度二人で向き合うかもしれない。
それなら、それでいいはずだ。
私が踏み込まなければ、五月はただの友達のままでいられる。
でも、それでは瓶は満ちない。
私は帰れない。
『いいよ』
送信すると、すぐに既読がついた。
『ありがと! じゃあ日曜行くね』
私は教科書を閉じた。
まだ教科書の問題は解かれていない。
答えまでは出ていない。
「私はこれから、五月を利用する」
スマホの画面には、五月の明るい文面が残っている。
私はそれを消さないまま、机に置いた。
ごめん、五月。
私には、帰りたい場所がある。




