私のキスはチョコ味
放課後の教室で帰り支度をしていると、廊下側のドアが開いた。
雪乃が入口に立っていた。
私の席を見て、それから私の机の上に出ていた鞄へ視線を移す。
私が声をかける前に、雪乃はドアから手を離し、自分の席へ向かった。
雪乃もどうやらこれから帰るらしい。
その直後、五月が私の机にファーストフード店のポテト無料券を一枚置いてきた。
「真白、食べに行かない?」
「今日は真っ直ぐ帰る。疲れてるから」
「えー、これ今日までなんだよ! もったいないじゃん! 一生のお願い!」
元の世界に帰るためには、早く攻略を進めなければならない。
そう分かっていながらも、私はこれ以上誰かと向き合うことを避けようとしていた。
雪乃の顔も、零の声も、まだ頭の中で整理できてない。
それなのに次の子を攻略だなんて…………。
だから今日は帰る。
帰って、部屋でベッドで横になって何も考えない。
そう決めたはずだった。
しかし、五月が両手を合わせて必死に食い下がってくるため、私は結局折れてファーストフード店へと足を運んでいた。
プラスチックのトレイを並べ、向かい合ってフライドポテトをつまむ。
五月はナゲットまで頼んでいた。ソースの容器へ深く突っ込みすぎて、指先を汚した。
私が無言で紙ナプキンを差し出すと、五月はそれを受け取りながら、テーブルに置いていたスマホの画面へ目を向けた。
大和という名前でメッセージの通知が来ている。
五月は画面を一度だけ確認し、返信せずにスマホを裏返した。
そして、ソースのついたナゲットを持ったまま、私をじっと見つめてくる。
言葉を発するタイミングを、測っているようだった。
「先週、さあ……キスしちゃったんだよね」
「……そう、なんだ」
「ファーストキスは、レモン味っていうけど、一緒に食べてたポテチの味だった」
「ふーん。惚気るじゃん」
適当に相槌を打ちながら、私の脳裏にふと雪乃と唇を重ねた記憶が蘇る。
雪乃の時は、直前にケーキを食べていたはずだ。
私がショートケーキで、雪乃はチョコケーキ。
「真白は何味だった?」
「うーん、私はチョ……」
「チョ?」
無意識に出かかった言葉を、私は慌てて飲み込んだ。
五月が身を乗り出してくる。
「ちょーっと経験ないからわかんないかな〜!」
「今何か言いかけたじゃん! 教えてよー!」
「いや、キスとか、したことないよ!?」
そう、キスはまだしていない。
このループでは。
「怪しい! 絶対経験ある人のそぶりだー!」
「それで、彼氏とはいい感じなんだ?」
無理やり話題を逸らすと、五月は追及を諦めてストローに口をつけた。
「まあ、いい感じ、なのかな?」
「なのかな、って何」
「いや、嫌じゃなかったんだよ。キスも」
「うん」
「でもさ、キスした後に、彼氏がすごい喜んでて」
「うん」
「それ見たら、あたしも嬉しい顔しなきゃって焦っちゃって」
「……しなきゃ?」
「だって、付き合ってるんだよ? 相手が喜んでるのに、私だけ冷めた顔してたら申し訳ないじゃん」
「申し訳ないから、嬉しい顔を作ったってこと?」
「うーん……作ってるっていうか、彼女の正解の反応を出さなきゃいけないって焦ったっていうか」
五月は視線を落とし、ストローの袋を指でクシャクシャに丸め始めた。
「私、恋愛とかよくわかんないからさ。どう振る舞うのが正解か、いっつも悩んじゃうんだよね」
「別に、正解なんて——」
私が言い終わる前に、五月が勢いよく顔を上げた。
「あ! そういえば真白に彼氏の写真見せてなかったよね」
「うん、見てない」
「この間プリ撮ったの」
五月がスマホを取り出し、画面をこちらへ向けてくる。
明るい髪色の、人当たりの良さを感じさせる男子生徒が写っていた。
しかし、私の目は彼氏よりも、隣に写る五月の顔へ引き付けられた。
五月は彼氏の肩に寄って、頬の横でピースを作っていた。
加工で瞳が光って、口元にはハートが落書きされている。
いつもの五月なら、変な顔をして台無しにしそうなのに。
画面の中の五月は、ちゃんと彼女みたいに笑っていた。
「結構イケメンじゃん彼氏」
「プリの補正かかってるけど、私の好みの顔ではある。かっこいい」
「はいはい、惚気ごちそうさま」
私がため息とともに告げると、五月はスマホをしまった。
気づけば私たちはポテトを食べ終わっていた。
「そろそろ帰りますか〜!」
「そうだね」
そう言ってトレーを片付け、ゴミ箱へ捨てた直後だった。
五月の制服のポケットで、スマホが短く震えた。
画面を確認した五月の顔から、すっと表情が消える。
「どうしたの」
「……彼氏から。今週の土曜日、デートしようって言われちゃった」
五月の声には、喜びよりも明確な戸惑いが混じっていた。
「いいじゃん」
「……うん。いいんだけどね」
五月は伏し目がちに呟き、スマホをポケットへ押し込んだ。
私たちは並んで店を出た。




