お父さんに、会いに行く
駅弁の蓋を開けると、あさりと生姜の匂いがふわっと広がった。
土曜日の朝。
私たちは新幹線に乗っていた。
昨日の電話で、零のお父さんはすぐに会うと言ってくれた。
零の声は途中で何度も止まったけれど、お父さんは最後まで急かさなかった。
それを見て、私はちょっと安心した。
いや、まだ安心するには早い。
まずは会って話すところからだ。
「真白の、それなに?」
「深川あさりごはん弁当」
私は膝の上に置いた弁当を零に見せた。
あさりと生姜の混ざったご飯の上に、煮物と卵焼きが並んでいる。
零は隣で、紙箱の側面を読んでいた。
「零のは?」
「牛肉まんなか弁当」
「その名前で選んだの?」
「お肉が食べたかったから」
零は割り箸を割り、牛肉のしぐれ煮をご飯ごとすくった。
口に入れて、何度か噛む。
「おいしい」
「よかった」
零が自分で選んだ駅弁を、自分でおいしいと言う。
それだけのことなのに、なんだか見ていてにやけそうになる。
私はあさりご飯を口に運んだ。
「一口ちょうだい」
「はい」
零は迷わず、自分の弁当から牛肉を箸で取って差し出してくる。
私は零の方に寄って、それを口に入れた。
「ん、おいしい。味濃いめでご飯進むやつ」
「真白のも」
「はいはい」
私はあさりご飯を箸でまとめ、零の口元へ持っていく。
零は素直に口を開けた。
「生姜おいしい」
「でしょ」
横の座席も前の座席も空いていて、通路を通る人もほとんどいない。
窓の外では、山が流れていく。
弁当を食べ終えると、零は割り箸を袋に戻し、空になった箱の蓋を閉じた。
それから、迷わず肩を寄せてきた。
「零?」
「うん」
「うん、じゃなくて」
零の指が、私の手の甲に触れる。
そこから指の間へ入り込んで、恋人繋ぎになる。
「手、繋ぎたい」
「もう繋いでるじゃん」
「うん」
零は満足そうに頷いて、さらに顔を近づけてきた。
いや。待て。
その角度は知ってる。
「ストップ」
私は空いた方の手で、零の口元の前に掌を立てた。
零の唇が、私の掌の手前で止まる。
「ここ新幹線」
「空いてるよ?」
「空いてても新幹線」
「誰も見てない」
「そういう問題じゃない」
零は私の掌を見てから、むっとした顔で言った。
「真白のけち」
「けちで結構です」
そう言いながらも、繋いだ手は離せなかった。
零はそれを分かっているのか、私の肩にこつんと頭を預けてくる。
もう。
こういうところが、前と違う。
新幹線がホームに滑り込むと、零は繋いでいた手に力を込めた。
改札を抜ける前に、零がスマホでメッセージを確認する。
お父さんから、ホームで待っているという連絡が来ていたようだった。
「零。お父さん、ホームにいるって」
「うん」
「大丈夫?」
「……うん」
私は何も言わず、零と並んでホームへ降りる。
ホームの柱のそばに、スーツ姿の男性が立っていた。
零と同じ淡い色の目をしている。
こちらに気づくと、男性は一度だけ頭を下げた。
「零」
「お父様」
零の声が、昨日の電話より硬い。
お父さんは零の顔を見て、それから私を見る。
「真白さん、で合っていますか」
「はい。佐倉真白です」
「零から聞きました。来てくれてありがとう」
「いえ、あの、私が勝手に首を突っ込んでるだけなので」
「場所を移そう。駅の中に、落ち着いて話せる店がある」
私たちは駅ビルの中にある喫茶店へ入った。
奥の席に案内され、お父さんがコーヒーを二つと、零のために紅茶を頼む。
零はメニューを閉じ、私の隣に座ったまま膝の上で手を重ねていた。
「零。電話で話してくれたことを、もう一度聞かせてほしい」
お父さんは、責める声ではなかった。
でも、零の肩に力が入る。
私はテーブルの下で、零の手に触れた。
零は私の指を握り返し、それから顔を上げる。
「お母様に、転校させると言われました」
「……そうか」
「コンクールで、課題曲を途中でやめたから」
「その話は、聞いている」
お父さんはコーヒーカップに手を伸ばしかけて、やめた。
「お母さんが厳しいことは、知っていた。だが、離れて暮らす私には……音楽の家のことだから、で済ませてしまっていた」
「はい」
「零が家を出るところまで追い詰められているとは、思いもしなかった。……ちゃんと見ていなくて、すまない」
零は紅茶のカップを見た。
店員さんが置いていった角砂糖の袋に、指を触れないまま置いている。
「私は、ピアノはやめたくない」
零の声が、そこで一度止まった。
「でも、今のまま、お母様に言われるがままピアノを続けるのは嫌」
零は言い切った。
そのあとで、私の手を握る力が強くなる。
「学校も、今のままがいい」
「十六夜学園に残りたい?」
「うん」
「ピアノも続けたい?」
「続けたい。お母さんの言う通りに弾くだけじゃなくて、私の曲も、弾きたい」
お父さんはそこで、ようやくコーヒーカップを持ち上げた。
ひと口飲んで、ソーサーへ戻す。
「分かった。お父さんもお母さんと話す」
「……お父様」
「零も一緒に話そう。三人で」
零はすぐには返事をしなかった。
私の手を握ったまま、テーブルの上に置かれた紅茶を見ている。
湯気はもう薄くなっていた。
「怖い」
「うん」
お父さんが頷いた。
「それでも、零が自分で言った方がいい。お父さんは横にいる」
零は決意をするようにお父さんを見た。
「言う」
その一言で、話は決まった。
日曜日の夜、零は家に戻る。
お父さんも戻って、お母さんと三人で話す。
私はその場には行かない。
そこは、零の家の話だから。
帰りの新幹線で、零は窓側に座った。
発車してすぐ、私の手を取る。
何の確認もなく指を絡めてくるから、私はもう突っ込むタイミングを逃した。
「零」
「なに?」
「怖い?」
「うん」
零は窓の外ではなく、繋いだ手を見ていた。
私は駅で買ったペットボトルのお茶をホルダーへ差し込み、空いた方の手で零の指を包む。
「大丈夫だよ」
「うん」
「お父さん、ちゃんと聞いてくれてた」
「うん」
「零も、ちゃんと言えてた」
零は頷いてから、私の肩に頭を預けた。
「真白」
「ん?」
「帰ったら、また手、繋いで」
「今も繋いでるじゃん」
「明日も」
私は返事に詰まった。
日曜日の夜、零は家に帰る。
それは必要なことだ。
でも、こうして隣へ座って、手を繋いでいられる時間が終わるのは、寂しい。
「……うん。明日も」
そう答えると、零は繋いだ指に力を込めた。
新幹線は、私たちを来た場所へ連れて帰っていく。




