真白と、えっち、したい
「行ってきまーす!」
一階から出海の元気な声が聞こえた。
階段の下で母さんが「気をつけてね」と返す。
それから、父さんと母さんが仕事へ向かう足音が続いた。
玄関のドアが閉まる。
鍵が回る音まで聞こえて、家の中から生活音が減った。
私の部屋には、私と零だけが残った。
私は制服を脱いで部屋着に戻り、畳んだ制服をベッドの端へ置く。
零は床に敷いた布団の上に座ったまま、体育座りをしていた。
私は机の前に置いたクッションを引き寄せ、零の向かいに座った。
部屋の時計の秒針がやたら聞こえる。
「えっと」
自分から休むと決めたくせに、何をすればいいのか分からない。
零も何も言わない。
「今日、何する?」
「なんでもいい」
「お菓子、食べる? 食べたいものある?」
「なんでもいい」
「どこか出かける?」
「それでもいい」
即答だった。
即答なのに、何も決まらない。
私はベッドの下に置いてある菓子箱を引っ張り出し、蓋を開けた。
チョコ、ポテトチップス、個包装のクッキー。
「じゃあ、これ。チョコ」
「食べる」
「ポテチは?」
「食べる」
「クッキーは?」
「食べる」
「全部じゃん」
「真白が出したから」
零はチョコを受け取り包みを開け、チョコを口に入れた。
「どう?」
「甘い」
「好き?」
「分からない」
「嫌い?」
「嫌いじゃない」
「じゃあ二個目いる?」
「いる」
今、いるって言った。
「飲み物は? お茶、ジュース、水」
「水」
「水ね」
私は階段を降り、キッチンの冷蔵庫にあるペットボトルからコップへ水を注ぐ。
自分の部屋に戻り、零の前へ置いた。
零は両手で紙コップを持ち、ひと口飲んだ。
そのまま、コップをじっと見ている。
「零のやりたいことは、ないの?」
「………」
返事が止まった。
さっきまでの「なんでもいい」より、こっちの方がずっといい。
何かを考えている顔だ。
私は口を挟まず、菓子箱の蓋を閉じた。
「一つだけ、ある」
「じゃあ、それやろうよ! なになに?」
零はコップをローテーブルに置き、私を見る。
「……真白と、えっち、したい」
私はチョコを渡すつもりで伸ばしていた手を、そのまま止めた。
「待て待て待て!」
私はクッションを抱えたまま後ろへ下がった。
ポテトチップスの袋が床へ落ちる。
「なんでそんなことを!?」
「やりたいことを聞かれたから」
「聞いたけど! 聞いたけど!」
「真白、私のことそういう目で見てるんでしょ?」
「いやいやいや! それはその、色々と事情がありまして!」
言いながら、自分で最悪だと思った。
初対面で最低なことを言ったのは私だ。
零はそれを覚えている。
そして今、零は命令としてではなく、自分のやりたいこととして口にした。
「前、真白、えっちしたいって言ってきた」
「いや、それはそうなんだけど」
「真白が望むなら、じゃない」
零が自分の胸に手を当てる。
「私が望むから」
私の目を見つめて、言葉を続けた。
「真白とえっち、したい」
零が上着を脱ぎ始める。
私の声が跳ね上がる。
「え? えええ? ちょっと待って! 何してるの!?」
零は動きを止めない。
下着を外しながら、真っ直ぐに答えた。
「あの時は意味がわからなかったけど……今は真白に触れたい」
一歩、近づいてくる。
私は後ずさりながら両手を前に突き出した。
「待って、段階というものが……!」
零が私の手を掴んだ。
優しく、けれど確実に自分の胸元へ導く。
零が自ら私の首に腕を回した。
唇が重なる。
私は一瞬固まったが、零の体温と震える息を感じて、キスを受け止めた。
零が耳元で囁く。
「触って」
私の手を自分の服の内側へ導く。指先が素肌に触れた瞬間——手のひらに、跳ねる感触が伝わった。
私は動きを止めた。指先に、熱がある。
零の顔を見つめた。何か言おうとして、言葉が出てこなかった。
この子は本当にわかっているのか。初めての体を、こんなに簡単に差し出してしまっていいのか。
零は何も言わなかった。ただ静かに顔を上げて、自分から唇を重ねてきた。
キスは最初より少し熱を帯びていて、零の舌が私の唇を優しく、けれど確実に押し開いた。
私の思考が一瞬、溶ける。
唇に零の熱がある。震える息が、私の息と混ざる。どちらがどちらかわからなくなっていく。
零の細い腕が、私の背中に回る。引き寄せられるまま、私は身を任せた。
迷いが、零の体温に溶かされていく。
零が私の首筋に顔を埋めたまま、消え入りそうな声で名前を呼んだ。
「真白……」
さっきは止めた手を、今度はそのまま滑らせる。触れるたびに零の体が跳ねて、甘い息がこぼれた。
気づけば、ベッドに二人で倒れ込んでいた。
どこからがキスでどこからが息なのか、もうわからなくなっていた。
零の肩に唇を這わせる。
首に腕が絡まる。ぎゅっとしがみついてくる力が、震えていた。
「大丈夫?」
私が耳元で、そっと聞きながら、零の首筋にキスをする。
「ん……っ」
零が息を詰まらせ、私の腕に縋りついた。
私が零の部屋着の裾から手を入れ、掌を背中に這わせる。
肌が熱い。触れるたびに、零の息が乱れる。
「あ……っ」
溢れた声に、私は一度、手を浮かせた。
怖がらせないように、零の肩へ、ゆっくりと口づけをしていく。
強張っていた零の体から、少しずつ力が抜けていった。
熱い吐息が、私の肌にかかる。
私は手を、零の太ももへと滑らせた。
内ももをそっとなぞると、零の膝が、ためらうように閉じかけた。
「……っ」
零が息を呑み、体を強張らせた
キスを深くする。
零の舌を優しく絡めると、少し間があって——それから、舌が委ねられてくる感触があった。
「んん……っ」
零が、私の肩に爪を立てた。
私は零の耳元で、そっと尋ねた。
「零、気持ちいい?」
零が頰を赤らめ、たどたどしく答えた。
「……うん、気持ちいい」
その一言で、胸の奥が、ぎゅっとした。
もっと、この子を満たしたい。
私はもう一度、零の唇を塞いだ。
重ねるたびに、零の息が甘くほどけて、その体が、私にすべてを委ねてきた。
***
どれくらい、そうしていただろう。
気づけば、私たちは乱れた布団の中で、抱き合ったまま動かずにいた。
零は私の胸に顔を埋めたまま、荒い息を整えている。
私はその髪を、ゆっくりと撫でた。
腕の中で、零がまだ震えているのがわかった。
私は零を抱きしめたまま、その額に優しくキスをした。
零の震えが収まって、荒かった息が、少しずつ穏やかになっていく。
やがて部屋から音が引いて、残ったのは——私の腕の中の、零の体温だけだった。




