私、女なんですけど!?
目を開けると、知らない天井だった。
私は布団の中にいた。
自分の部屋じゃない。
カーテンの色も、机の位置も、全く違う。
でも、誰かが毎日使っている部屋だった。
机の上にペン立てがある。鞄が椅子にかかっている。ベッドの横にスマホが置いてある。
壁に制服がかかっている。この制服、どこかで見たような……
私はゆっくり体を起こして、頭を押さえた。
痛い。
そうだ、兄ちゃんの部屋で頭を打ったんだっけ?
「……というか、どこ、ここ」
声がかすれた。
私は布団をはねのけ、床に足を下ろした。
机の上にあったスマホを手に取る。
ロック画面には、日付が映っている。四月九日。
昨日は確か十二月十日だったはず。四ヶ月が経っている?
私は机の角に頭をぶつけた。それだけで昏睡状態になったのか?
しかし、ここは病院ではない。
「おはようイルカ!」
「うるさい!」
反射で声が出た。
枕元に、イルカのぬいぐるみが浮いていた。
青い体。白い腹。黒い丸目。上へ反った口。
「何かお困りですか?」とか聞いてきそうな顔だった。
私は枕をつかんだ。
「ななな、何!?何これ!?何で浮いてるの?」
「私はイルカイル。君をサポートする攻略ナビゲーターイルカ!」
「来ないで。喋らないで。というか、ここはどこ!?」
「ここは君の部屋イルカ」
「私の部屋じゃない」
「今日から君の部屋イルカ」
私は枕を胸の前に構えた。
イルカイルは空中で一回転して、何事もない顔で続ける。
「ようこそ、ヘキサデシマル・ラヴァーズ ~0からFまでの恋の定義~の世界へ!」
最近聞いたことのあるタイトルだった。
私は壁にかかった制服を見た。
そうだこの制服は、兄ちゃんが語ってたゲームのデザインと同じものだ。
兄ちゃんのパソコンに映っていたゲーム。
兄ちゃんが前に、夕飯で嬉しそうに説明していたゲーム。
「君はこのたび、ヘキサデシマル・ラヴァーズの世界に転生したイルカ!」
「転生……」
兄ちゃんが言っていた。
異世界転生。
死んだかと思ったら別世界。
前世の記憶。
ファンタジーやゲームの世界。
聞き流していた単語が、最悪の形で役に立っている。
私は枕を握る指に力を込めた。
「待って。私、死んだの?」
「厳密な説明は後回しイルカ」
「後回しにしていい話じゃないでしょ。兄ちゃんは? お母さんたちは? 私の体は?」
「元の世界へ帰りたいなら、ラブエナジーを貯める必要があるイルカ」
イルカイルがひれを振ると、空中にガラス瓶みたいなものが表示された。
細長い瓶。
中は空っぽ。
瓶の口にはハート型の栓。
私はそれを見て、頭の痛いところをもう一度押さえた。
「ラブエナジーって何」
「ヒロインの心が未来へ進む時に発生する、とっても大事なエネルギーイルカ!」
「説明がふわっとしてる」
「瓶を満タンにすれば、次の日には元の世界に帰れるイルカ!」
「はあ!?」
声が裏返った。
瓶。
攻略。
ラブエナジー。
それが現実………?
「攻略って、どういうこと?」
言いながら、自分で答えに気づいたが、口には出さなかった。
すると、イルカが元気よく説明を始める。
「ヒロインと仲良くなって、告白するイルカよ!」
「わ、私、女なんですけど!?」
目の前にいるのは、浮いている変なイルカ。
誰かと仲良くなって、告白する。
帰るために。
私は、兄ちゃんが好きなそういうゲームをくだらないと思っていたのに。
「むりむりむり。絶対無理」
「でも、ラブエナジーを溜めないと元の世界には帰れなイルカ……」
イルカイルは瓶の横でひれを止めた。
「本当に、他に方法はないの」
「今のところ、これが最短イルカ」
「最短ってことは、別の方法もあるんじゃないの」
「それは今は言えなイルカ〜!」
「最悪」
元の世界。
大切な家族。
大好きな友達。
まだ何も決まっていない将来。
帰らないといけない理由が、ちゃんと向こうにある。
そこへ帰る手段が、本当にこれしかないのだとしたら。
だとしても、女の子を攻略?私が?
でもでもでも………
「分かった……まず何をすればいいの」
イルカイルはすぐに明るくなった。
空中に、プロフィール画面が出る。
一人の女の子の立ち絵。
銀色のセミロング。重めの前髪の下から、薄い灰青色の目がこちらを見ている。
可愛いというより、近づいたら即座に切り払われそうな立ち絵だった。
名前欄。
三上 雪乃。
「まずおすすめは三上雪乃イルカ!」
私は立ち絵を見た瞬間、兄ちゃんの部屋の棚を思い出した。
銀色の髪をした女の子のアクスタ。
兄ちゃんが「やっぱツンデレが王道!」みたいなことを言っていた気がする。
「……あー、なんか兄ちゃんがこの子のアクスタ持ってた」
「人気ヒロインイルカ。そしてこの子は、現在君への好感度が死ぬほど高いイルカ!」
プロフィール欄には、数字と項目が並んでいた。
学年、十六夜学園二年。誕生日、二月十七日。血液型、A型。身長、158cm。体重、48kg。スリーサイズ、B82/W55/H83。
「……なんで体重とスリーサイズまで出るの」
「攻略に必要な情報イルカ!」
「どう考えても必要じゃない!」
好きなもの、昼休みの読書、甘いカフェオレ。
苦手なもの、集団行動、馴れ馴れしい相手。
紹介文には、教室では単独行動が基本。返事は辛辣、態度はそっけない。誰にも媚びない毒舌ヒロイン、とある。
私は眉間を押さえた。
「いや、好感度高い人の説明じゃないんだけど。苦手なもの、馴れ馴れしい相手って書いてあるんだけど」
「ツンデレということイルカね!」
「そういう記号で女の子の態度を処理するの、すごいゲームって感じ」
「ギャルゲー世界イルカらね」
私はもう一度、瓶を見る。
空っぽの瓶。
帰るための瓶。
その中身を、これから誰かの気持ちで満たすらしい。
気持ち悪い。
でも、帰りたい。
「今日から君には、この世界で十六夜学園の二年生として通ってもらうイルカ!」
「私、大学生なんだけど」
「作中に登場する人物名、団体名等は架空のものであり、実在のものとはいっさい関係がありません。またすべての登場人物の年齢は18歳以上です。イルカ!」
まるで決められていたような文言をスラスラとイルカは口にした。
「ていうか、兄ちゃんのゲームって男主人公だったよね? なんで私は女のままなの?女なのに攻略できるの?」
「愛に性別は関係なイルカ! この世界でも百合は大人気、需要が爆発してるジャンルイルカよ〜!」
愛に性別は関係ないという部分には同意するが、私は女の子を恋愛対象としてみたことがなかった。
「安心するイルカ。君の籍も、家も、友人関係も、この世界には用意されているイルカ!」
「家?」
「この世界での君は、佐倉家の長女・佐倉真白イルカ。この街の人たちは、君を昔からここにいた佐倉真白として覚えているイルカ」
「佐倉? 私、神崎だったんだけど!?」
イルカイルは空中でぱたぱたと泳いだ。
「説明は以上イルカ!他に何か気になることはあるイルカ?」
「うーん、お前を消す方法、かな」
「というわけで、攻略がんばイルカ〜!」
そう言い終わると、イルカイルはぱっと消えた。
「丸投げじゃん」
その時、部屋の外から階段を上がる足音がした。
とん、とん、とん。
ドアの前で止まる。
私は枕を持ったまま固まった。
ドアがノックもなく開く。
「お姉ちゃーん、起きてる? 遅刻するよー」
知らない女の子が入ってきた。
制服姿の女の子だった。ゲームの世界だからか、見た目が可愛い。どうみても美少女だ。
「……誰?」
「え?」
女の子が止まった。
私も止まった。
「お姉ちゃん、寝ぼけてる?」
「自己紹介、お願いしてもいい?」
「え、出海は出海だよ?こわ。頭ぶつけた?」
頭ならぶつけた。
ただし、別の世界で。
「分かった出海ちゃんね」
「ちゃんって……本当にどうしたお姉ちゃん」
「私、あなたのこと呼び捨てだったみたいだね。で、私との関係は?」
「いや、妹だけど……」
私は部屋の入口に立つ女の子を見る。
私を本当に姉として見ている顔をしていた。
この子にとって、私はずっとここにいた佐倉真白らしい。
「お姉ちゃん、ほんとに大丈夫?」
「……大丈夫」
出海はベッドのそばまで来た。
知らない相手なのに、向こうは家族の顔をしている。
「とりあえず着替えなよ。唯花ちゃん来てるよー」
「唯花ちゃん」
「幼なじみの唯花ちゃん。そこまで忘れてたら本当に病院だよ」
幼なじみ。
また、新しい登場人物が増えた。
「下で待ってるからね。急いでー」
ドアが閉まった。
私は誰もいない部屋で、ため息をついた。
この世界の人たちは、私を昔からここにいた佐倉真白として扱う。
説明を受けても、理解が追いつかない。
ベッドから降りて、壁にかかった制服を取る。
スカートのホックが一度うまく留まらなくて、私は舌打ちした。
制服に着替えた自分を鏡で見る。
「私、大学生なのに……」
鏡に映っているのは間違い無く私だ。
でも、知らない学校の制服を着た私だった。




