えっち、しない?
次の土曜日。
雪乃が再び私の部屋にやってきた。
二人の机には課題のテキストが並び、私たちは数学の課題を解き進める。
シャープペンシルの音だけが部屋に響き、夕方にはすべての課題が終わった。
「終わった……」
「…………」
雪乃はテキストを閉じると、私の方へと向き直った。
そのまま私の首元へと両腕を回し、身体を密着させて甘えてくる。
額が触れそうになった次の瞬間、唇が奪われた。
重ねられた唇から、熱い息が漏れる。
私は何度も雪乃とキスを交わしたが、頭の中ではイルカイルの言葉がぐるぐると渦巻いていた。
『素直にえっちしよっていうのはどうイルカ?』
私は今から、雪乃の好意を利用する言葉を言おうとしている。
分かっているのに、止まれない。
「あのさ、雪乃……えーっとぉ、その……あの、ね?」
どうすればその段階へ進むのか、何をどう言えばいいのか、パニックに陥った私の脳内は完全にフリーズした。
耐えきれなくなった私は、雪乃の体を押し戻し、頭を抱えてベッドの上に蹲った。
「あーーー!!!」
「っ!? 何してるんだ、真白!?」
雪乃が慌てて私の背中に触れる。
「あ、ごめん、ちょっと取り乱しちゃった」
私は顔を上げ、無理やり笑った。
さっきの甘々な雰囲気、なくなっちゃったじゃん。
私のバカバカ。
雪乃はしばらく私を見ていたが、やがて私の手首を掴んだ。
「さっきから真白、何か言いたげだな」
「え?」
「言いたいことあるならはっきり言え。私に隠し事か?」
「えっと、それは……その……」
言い出せない。
言いたくない。
でも、言わなければ帰れない。
脳内でイルカイルの声が再び響いた。
『えっちしよっていうイルカ!』
帰るためだ。
元の世界に帰るためには、ここで踏み出すしかない。
「雪乃、その、えっと……だからね……」
「だから、何だ」
「えっち、しない?」
部屋が静まり返る。
雪乃の動きが止まった。
頬が一瞬で真っ赤に染まる。
「え……」
「だめ、かなぁ?」
雪乃は一度だけ私から視線を外した。
けれど、すぐに戻ってきた。
「……だめじゃない」
「え? それって」
「……これ以上、言わせるな」
「じゃあ……」
私の言葉が終わるより先に、雪乃の顔が迫ってきた。
唇が乱暴に押し当てられ、これまでとは違う、熱く深いキスが交わされる。
お互いの舌が絡み合い、息が何度も乱れた。
ようやく唇が離れたとき、雪乃は潤んだ瞳で私を見つめ、消え入りそうな声で囁いた。
「これでいいんだろ、真白」
「う、うん、たぶん……」
私は雪乃の肩に手を回し、自分からその唇を塞ぎにいった。
さらに熱を帯びた深いキスが重なり合い、舌が絡まるたびに頭の中が真っ白になる。
雪乃が一瞬、力を抜いた。
彼女は私の背中に腕を回して、ぎゅっと力を込める。
でもその指先は少し震えていて、どこか頼りない。
「……ん……」
雪乃が小さく息を漏らしながら、私の首筋に顔を埋めてきた。
私は雪乃の腰に手を這わせたけど、どこまで触れていいかわからなくて、ただ布の上からぎゅっと掴むだけだった。
雪乃が私の耳元で、掠れた短い声で言った。
「……次、何すればいいんだ。言え、真白」
言葉を途中で飲み込んで、雪乃はまた唇を重ねてくる。
彼女は自分で自分の制服のボタンに手をかけた。
一つ。二つ。
指が震えていて、ボタンがなかなか外れない。
雪乃は手を止め、うつむいたまま、ぽつりとこぼした。
「本当に私でいいのか……? 可愛くないし、暴言ばっかりで……双葉さんみたいに綺麗じゃないのに」
「……」
私の手が、止まりそうになった。
私は双葉さんと付き合っていた『佐倉真白』じゃない。
元の世界に帰るために、今この子の好意を利用して、最低なことをしようとしている。
でも、ここで引き返すわけにはいかない。それに……。
「雪乃がいいの。雪乃じゃなきゃ、だめだよ」
口から出た言葉は、半分は自分を納得させるための嘘で、でも半分は、本当に目の前で震えるこの子を抱きしめたいという本音だった。
私は雪乃の頬を両手で包み込み、そのまま強く、確かめるようにキスで言葉を塞いだ。
「……っ、真白……」
雪乃は残りのボタンを一気に外していく。
布がずれ、白い肩が露わになる。
雪乃は自分のブラウスを肩から滑らせ、ベッドの上に落とした。
私はその様子を息を飲んで見つめていた。
雪乃がちらりと私を見る
「……真白も、脱いで」
私は慌てて自分の制服のボタンに手をかけた。
震える指で一つ、また一つと外していく。
雪乃と同じように肩が露わになり、布が落ちる。
二人の上半身が、初めて直接肌を晒した状態で向かい合った。
指先が初めて雪乃の素肌に触れた瞬間、雪乃が息を止めた。
「……っ」
雪乃が小さく声を詰まらせ、私の胸に顔を押しつける。
耳まで真っ赤になって、息が荒くなる。
「……真白……」
短い声で名前を呼んだきり、雪乃は言葉を飲み込んだ。
私は雪乃の背中にそっと手を這わせ、滑らかな肌を優しく撫でる。
女の子の肌って、こんなに柔らかいんだ……。
ただの攻略として割り切ろうとしていたはずなのに、触れたところから伝わる熱と、耳元で聞こえる雪乃の切なげな声に、私の心臓がこれでもかというほどドキドキしている。
雪乃は私の腰に手を回してきた。
彼女は私の首筋に唇を押し当て、ぎこちなくキスをする。
「……あ……」
雪乃の声が漏れる。
二人の肌が触れ合う場所が熱を帯びていく。
ぎこちない動きで体を重ねていく。
キスがまた深くなった。
部屋に響くのは、二人の唇の音と、抑えられなかった吐息だけだった。
雪乃が私の髪を指で梳きながら、潤んだ目で私をちらりと見た。
なにかいいたげな顔をしている。
「どうしたの、雪乃?」
「…………好き」
「えっと…………」
「……早く言え、バカ真白」
「わ、私も、だよ?」
そのまま、再び唇を重ねる。
唇が離れたあとも、雪乃の手は私の背中から離れない。
私は一度だけ息を整え、雪乃の頬に触れた。
「……私、こういうの、本当によく分からなくて」
「私だって、分からないぞ」
「あはは。……だよね」
「笑うな。……二人で、どうにかするしかないだろ」
二人で、どうにかするしかない。
その言い方で、はっきり分かった。雪乃も、こういうことは初めてなんだ。
毒舌で武装していても、さっきから指はずっと震えていた。
強がっていたのは、私だけじゃなかった。
雪乃は顔を真っ赤にしたまま、視線を逸らした。
私は雪乃をベッドの真ん中へと導き、仰向けに寝かせた。
キスをしながら、残りの服へ手をかける。
「スカート、脱がせていい?」
「……うん」
布がずり落ち、夕日の光が雪乃の素肌を淡く照らす。
背中に触れてブラのホックを外した。布が落ちた瞬間、雪乃の肩が跳ねた。
雪乃は腕で胸を隠そうとした。私はその手をそっと外し、頬にキスを落とす。
「……見るな」
「見てる。……雪乃が綺麗だから」
「……っ、嘘つくな、低能」
そして、雪乃の手から力が抜けた。
私はもう一度、雪乃の唇をふさいだ。
角度を変えて、何度も。浅く触れては、また深く重ねる。
キスのあいだも、私の手は雪乃の肌をたどり続けた。
触れるたびに雪乃の息が乱れて、キスの隙間から、私の名前が切れ切れにこぼれる。
ぎこちなくて、何度もぶつかって、それでも私たちは離れなかった。
元の世界の知識なんて、ほとんど役に立たない。
ただ、目の前の雪乃の反応だけを探りながら、私は手探りで進めていった。
雪乃の舌が、おずおずと私の舌に絡んでくる。
息が続かなくなるまで、私たちは深く口づけ合った。
カーテン越しの夕日が、火照った二人の肌を朱く染めていく。
***
どれくらい、経っただろう。
息を整えながら、私たちはしばらく、布団の中で抱き合ったまま動かなかった。
雪乃は私の胸に顔を埋めて、まだ小刻みに肩を上下させている。
私はその髪を撫でて、顔を覗き込んだ。
「雪乃、痛くなかった?」
「……平気。今さら気にするな」
「あはは、ごめん」
「……謝るな。二人とも初めてなんだから、おあいこだろ」
言葉はきついのに、私の背中に回った腕は、さっきより離れようとしなかった。
ただの攻略のはずだった。
なのに、腕の中で息をする雪乃の温もりが、どうしようもなく愛おしい。
しばらくして、雪乃がゆっくり身体を起こした。
そのまま顔を上げず、ベッドの端に座る。
拾い上げたブラウスを着始め、ボタンを付け始めた。
カーテンの向こうで、夕日がゆっくり落ちていく。
玄関まで送ると、雪乃は振り返らず、靴紐を結び直した。
「……また、学校で」
扉の向こうへ消えたあと、私はベッドに戻った。
シーツにはさっきまでの乱れがそのまま残っている。
私は、さっきまで雪乃がいた場所に手を置いた。
まだ、温い。
……次に学校で会ったとき、私はどんな顔で「おはよう」って言えばいいんだろう。




