机の下で、恋人繋ぎ
次の日の日曜日。
玄関のドアを開けると、雪乃がスニーカーの紐を結び直していた。
立ち上がり、こちらを振り返る。
「じゃあ、明日」
「うん、また明日ね。気をつけて帰って」
パタンと扉を閉めて鍵をかけ、自分の部屋に戻る。
ベッドに倒れ込んだ瞬間に、視界の隅で光が弾けた。
「やったイルカ~~!」
「わあっ!? びっくりした……!」
天井の角から、いつものようにイルカイルが現れ、ダンスをする。
「ついにキスまで辿りついたイルカね!」
「そうだよ、キスしたよ! ラブエナジー、これで満タンだよね?」
「これを見るイルカ!」
イルカイルがヒレを振ると、空中に光るガラス瓶が表示された。
しかし、瓶の液体は半分までしか満たされていない。
「なんでキスしたのに半分しか溜まってないの!?」
「とりあえず愛を深めるイルカ」
「はあ!? 愛を深めるって、具体的にどうすればいいの!?」
「恋人がすることに決まってイルカ! がんばイルカ!」
イルカイルはそれだけ言い残し、光の粒子となって消えた。
***
月曜日からの学校生活は、これまでとは劇的に変化した。
二限目の現代国語の時間。
雪乃が教科書を忘れたことに気づいた私は、自分の机を雪乃の机にぴったりと寄せた。
机の上に一冊の教科書を開き、二人で同じページを追う。
黒板では、藤代先生が小説の一節を板書していた。
「ええと……ここの『何も言わなかった』っていう一文ね。登場人物は、本当は言いたいことがあるのに、あえて黙っているんです。こういう余白に、気持ちって出るんですよ」
終先生が、チョークでその一文をぐるりと囲んだ。
「ここ、テストに出すかも……出します、たぶん。気持ちが直接書いてない部分こそ、ちゃんと読んでくださいね」
「ついちゃ〜ん、それ毎回言うけど、結局テストに出ないやつでしょ〜」
「だ、出します! 今度こそ出しますからね……っ」
からかわれた終先生は、慌てて黒板をぱしぱしと叩いた。チョークの粉が舞って、本人がけほっとむせる。
クラスの何人かが、くすくす笑った。
雪乃はそんな教室の空気にも我関せずで、ノートにペンを走らせていたが、やがて机の下で私のスカートを引いた。
「手」
「え?」
「手」
雪乃が、机の下へ視線を落とす。
そこでようやく、私の右手を寄こせと言っているのだと分かった。
「これじゃ私、ノート取れないんだけど!?」
「後で私のを写して」
「横暴!」
文句を言う前に、雪乃が私の右手を取った。
机の下で、雪乃の指が私の指の間に入ってくる。
指の一本一本が噛み合う形になって、もう簡単には抜けない。
机の上では何事もない顔で黒板を見ているのに、机の下では恋人繋ぎのまま私を逃がさない。
終先生がチョークを動かして、次の段落へ進んでいく。
私はノートを諦めて、雪乃の横顔と黒板を交互に見るしかなかった。
四限の終わりを告げるチャイムが鳴る頃には、教室中が弁当箱の音でざわつき始めていた。
雪乃は何事もなかったようにノートを閉じ、私の方を見ないまま鞄を持つ。
私たちはいつもの空き教室へ向かった。
普段の向かい合わせの席ではなく、雪乃は私の隣にカバンを置き、隣の椅子に腰を下ろした。
お弁当を食べ終えた後、雪乃は私の肩へと頭を預けてきた。
「雪乃?」
「……うるさい。動かないで」
そのまま、雪乃が私の方へ顔を向ける。
言葉はなかった。
私たちはどちらからともなく、唇を重ねた。
***
放課後の帰り道も、私たちは人目を避けて路地裏に入った瞬間に手を繋ぎ、そのまま私の家まで並んで歩いた。
一緒に課題を終わらせた後も、雪乃は帰ろうとしない。
キスをするたび、最初は家に帰るためだと自分に言い聞かせた。
でも、雪乃が私の名前を呼ぶたびに、私まで嬉しくなってしまう。
恋人として過ごしている。
すっかり日が暮れてから、私は雪乃を見送った。
玄関の鍵を閉めるなり、私はイルカイルを呼び出した。
「いや〜ラブラブイルカね〜!」
「そう、今日は結構イチャイチャしたはずだけど!?」
「これを見るイルカ!」
再び空中に現れたガラス瓶。
目盛りを確認するが、中身は半分からほんのわずかに増えただけだ。わずかに目盛りを更新しただけと言ってもいい。
「付き合う前と同じ増え方しかしないじゃん! なんで!?」
「そりゃそうイルカ。ここは十八禁ゲームの世界イルカ」
「え……?」
「えっちをしないと溜まらなイルカ~!」
「え、えっち……!?」
笑えなかった。
キスも、手を繋いだことも、雪乃は全部本気だった。
その先まで求めるなら、私はまた雪乃の本気の気持ちを利用することになる。
分かっている。
分かっているのに、帰りたいという気持ちは消えない。
元の世界での知識はあるが、私自身にはそんな経験は一切ない。
しかも、女の子同士って、どうやるんだ!?
「……分かった。やるけど、どうやって誘えばいいの!?」
「そういう雰囲気を作るイルカ!」
「何さ雰囲気って! わからないよ! 私そういう経験ないのに!」
「じゃあ、素直にえっちしよっていうのはどうイルカ?」
「たしかに! その方が伝わる……ってちがうちがうちがう! イルカの思考に支配されてどうする!」
「がんばイルカ!」
叫ぶ私を置き去りにして、イルカイルは再び消え去った。




