表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/29

あと一回

 布団を整えようとして、私は端を持ち上げた。

 ベッドのシーツにはさっきまでしていた行為の乱れがそのまま残っている。

 枕に顔を埋めると、雪乃のシャンプーの甘い残り香が鼻腔をくすぐった。

 さっき、私は確かに雪乃と肌を重ねたのだ。

 布団を直したところで、私の目の前で青い光が爆発した。


「初々しいプレイだったイルカ!」

「わあっ!? ……って、見てたの!?」


 突如として天井の角から降ってきたイルカイルを、私はベッドの上のクッションを掴んで力任せに投げつけた。

 クッションはホログラムをすり抜け、壁に当たって力なく床に落ちる。

 イルカイルは私の行動を無視して、空中で尾ビレをパタパタと動かした。


「これでラブエナジーは満タンになったよね!?」

「ジャーンイルカ!」


 イルカイルがヒレを振ると、空中に光るガラス瓶が投影された。

 瓶を満たす液体のラインは、最上部の手前でぴたりと止まっている。


「ラブエナジーは五分の四。後もう一息イルカね」

「えっちしたら終わりって言ったじゃん!!」

「十八禁ゲームって、えっちシーンは一つだけじゃなイルカ! まあ、物によるけど、二~三シーン、多い時は四~六回とかあるイルカね」

「そういうゲームの仕様みたいに言うな!!」


 雪乃は本気だった。

 あれをイベント数みたいに数えるな。

 そう怒鳴りたかったのに、私は次の言葉を飲み込んだ。

 だって私自身が、瓶の目盛りを確認している。


「……ってことは、私これから雪乃と何回も……」


 私は両手で頭を抱え、ベッドシーツへと突っ伏した。

 昨夜の雪乃の熱、あの切ない声や、見たこともない表情がまぶたの裏にフラッシュバックする。

 いやいやいや。

 私は別に、雪乃とそういうことをしたかったわけじゃない。

 なのに、なんでこんなに意識してるの。


「まあでも、この溜まり方を見る限り、後一回えっちすれば満タンになる計算イルカ」

「本当に!?」

「本当イルカ! というわけで、がんばイルカ!」

「ねえ、イルカイル。瓶が満タンになって、私が元の世界に帰ったら……雪乃は、どうなるの?」

「…………」

「ちょっと、なんで黙るの」

「それは、今は言えなイルカ。とにかく、あと一回イルカ!」


 イルカイルはそう言い残し、光の粒子となって霧散した。

 そして部屋に、再び秒針の音だけが戻ってきた。


「あと一回……」


 私はベッドの上に仰向けに寝転がり、白い天井を見つめた。

 雪乃の様子が、どうしても脳裏から離れてくれない。

 私を求めて必死に伸ばされた両手、熱を帯びた唇、速度を増す呼吸、そして私を見つめていた潤んだ瞳。

 雪乃に対する私の気持ちは、一体どこに向かっているのだろう。

 帰るためだと割り切ろうとしていたはずなのに、境界線が完全にぼやけて、心臓の鼓動が変なリズムを刻んでいる。


 しかし、後一回、あの行為をこなせば、私は元の世界へ帰れるのだ。

 両親がいて、友達がいて、オタク語りばかりするバカな兄ちゃんがいる、あの日常へと。

 帰る。ようやく、帰れる。

 けれど、それは雪乃との決別を連れてくる。

 この瓶が満タンになった瞬間、私はこの世界から消え、雪乃の隣からいなくなるのだ。

 雪乃はまた、一人になってしまうのだろうか。


 ここはゲームの世界だ。

 データで作られた仮想の登場人物に、どれだけ感情移入したところで何になるというのか。

 そう自分自身に言い聞かせ、冷めた理屈で考えを押し込めようとする。

 だが、私の腕の中で泣いた雪乃の声が、理屈を押し返してくる。

 私の名前を呼んだ声も、私に縋ってきた腕の力も、シーツの乱れと一緒に部屋に残っていた。

 私は布団を整えるのをやめ、ぐしゃぐしゃのベッドにもう一度倒れ込んだ。

 その時、枕元でスマホが震えた。

 画面に、雪乃の名前が浮かんでいる。

 メッセージは、たった一行だった。


『明日、私を見てニヤニヤしたら殺すからな』


 さっきまであんなに近くにいたのに、文字にすると、いつもの雪乃に戻っていた。

 恋人になったはずなのに、送られてくるのは「好き」でも「会いたい」でもなくて、殺害予告だ。

 でも、わざわざこれを送ってくるのは、明日まともに顔を合わせる自信がないからだ。

 その不器用な照れ隠しが、今はただ、愛おしかった。

 最初は、ちゃんと返そうとした。

 「私も会いたい」とか、「今日、嫌じゃなかった」とか。

 打ちかけては、全部消した。

 これ以上本当のことを伝えても、私はどうせ、いなくなる。

 結局送ったのは、いつもの軽口だけだった。


『善処します』


 既読はすぐについた。

 でも、返事はなかなか来ない。

 しばらくして、ようやく一言だけ届く。


『おやすみ』


 いつもの「うるさい」も「低能」もない、たった一言の「おやすみ」。

 恋人になっても、私たちはまだ、こんなに不器用だ。

 私はスマホを胸の上に伏せて、天井をしばらく見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ