第134話 奈々って呼んでも、いいんだね
あの日以来、七瀬さんのSNSと配信を、こまめにチェックしている。
近況が更新される。生配信が終わる。そうすると私は、七瀬さんとのチャットを開く。
『昨日の生配信、お疲れ様でした! 今日の衣装、すごく似合ってて可愛かったです。トークの時の笑顔に癒やされました』
『SNSの自撮り見ました。今日のロケ、風が強くて寒そうだったので、風邪引かないように気をつけてくださいね!』
『今日のお昼のラジオ聴きました! 好きなスイーツの話、この前のケーキのことかなって思って、ちょっと嬉しくなりました』
送ったメッセージは、しばらくすれば既読になる。
読んでくれた。そう思って画面を閉じても、返信が来ていないか、また開いてしまう。
けれど七瀬さんからの返信は、なし。見事なまでの既読スルー。
「……私、完全に厄介オタクだよね」
画面を埋めているのは、私が送ったメッセージ。七瀬さんから届いたのは、ケーキを頼まれた日の短いメッセージだけ。
……これ、私を意識させる前に、私の方が七瀬さんを意識しちゃって、反応を待ってない?
それでも、ただのファンではなく私を意識してもらうには、話しかけるしかない。
スマホを机へ置いて、ギターを構える。
今は二曲目の『君だけにスマイル』を練習中。一曲目で覚えたことを使えるから、前より早く弾けるようになっている。
『今日、十六室のみんなと二曲目の練習をしました! 一曲目より早く弾けるようになったんですよ。早く七瀬さんの歌に合わせて弾いてみたいです』
私は、また一方的な報告を送信した。
どうせ今回も既読で終わる。画面を閉じようとした、その時、スマホが短く震えた。
「えっ」
けれど表示されたのは、個人チャットじゃなく、バンドのグループチャット。
『七月十五日の放課後、空いたよ! みんな十六室で練習できる?』
七瀬さんの提案に、五月、零、久遠先輩の返事が続く。私ももちろん空いていると返事をし、七月十五日の全体練習が決まった。
個人チャットへの返信じゃない。わかってる。
なのに、七瀬さんと会って演奏ができると思うと、それだけで嬉しくなった。
***
七月十五日、放課後。
マイクの前に立った七瀬さんは、今日も私たち全員へ笑顔を向ける。
「みんな、今日もよろしくね! 二曲目も合わせられるって聞いて、楽しみにしてたんだ」
「こっちも楽しみにしてました! 奈々ちゃん、今日もよろしくお願いしまーす!」
「五月、テンション上がりすぎ」
「いやいや、本人を前にして平常運転は無理じゃん?」
今日は、メッセージに書いた通り、前より早く弾けるところを七瀬さんに聞いてほしかった。
五月がスティックを四つ鳴らして、一曲目の『恋するリボン』。
一度目は、誰かが間違えても止めない。最後まで通す。
七瀬さんの声を聞いてサビへ入る。コードを外しても、五月と久遠先輩と零の音を聞いてそのまま、最後まで弾き切った。
「前よりかなりまとまってない? サビ、もう一回だけやろうよ」
「そうね。サビがもっと決まるようにしたいわね」
「はい」
「じゃあ、サビ前からね。いくよー!」
五月の合図で、今度はサビ前だけ。ずれた場所を全員で確認したら、もう一度、最初から合わせる。
「すごい! 前より歌いやすくなってるよ。みんな、練習してくれたんだね!」
いつものアイドルの笑顔で、七瀬さんは私たち全員を褒める。
全員への言葉だって、わかってる。でも次は、私のギターを聞いて、私に言ってほしいと思ってしまった。
休憩の後は二曲目。一番の終わりまで通して、入りがばらけた場所を繰り返し練習した。
一人なら弾けた場所でも、七瀬さんの声が入ると、自分の音を見失いそうになる。
十回以上は繰り返して練習をしただろうか。何回目かの演奏が終わったところで、五月が時計を見た。
「あー! もう時間だー! ごめん、今日この後、軽音部に顔出すって言ってたんだ。私はここで帰るねー」
……若干、棒読み。
そう、今回も私たちは最初から、十六室で私と七瀬さんを二人きりにする作戦を立てていた。
「五月ちゃん、お疲れ様! 今日はありがとう」
「またね、奈々ちゃん!」
五月はドラムの周りを片付け、こっちを何度も見ながら鞄を持って十六室を出ていく。
それを見届けて、今度は零がキーボードの電源を落とす。
「私も、コンクールの練習しないと。家に帰ってピアノの練習するからここらへんで」
「零ちゃんもありがとう。また次、合わせようね!」
零もこっちをちらっと見て、鞄を持って出ていった。
最後に残った久遠先輩の方を見ると、ベースをケースへ戻していた。
「私もこの後やらなければいけないことがあるのよね。ここで失礼するわ。真白、鍵お願いね」
「九条院先輩、次もよろしくお願いします!」
久遠先輩は、私をじっと見たまま立ち上がる。絶対にうまくやれ、と目で言っている。
扉が閉まるまで、七瀬さんは笑顔で手を振っていた。
やがて廊下から足音が聞こえなくなり、七瀬さんがマイクから離れる。
今回も、作戦通りの二人きり。
私はギターをスタンドへ立て、七瀬さんの言葉を待った。
「あんた、ギター良くなったじゃん」
「本当ですか?」
「まだ下手くそだけど、最初に比べたら、聞けるようになった」
初めて、七瀬さんにギターを褒められた。
最初は下手すぎると笑われた私のギターを、今は変わったと認めてくれた。
聞けるようになった。その言葉を頭の中でもう一度繰り返したら、私は七瀬さんの正面へ回り、思わず抱きついてしまった。
「あんた何してっ」
七瀬さんの声で、私はすぐに腕を放した。
「あ、ごめんなさい。つい……」
七瀬さんは、思っていたより柔らかくて、いい匂いがした。
……いや、謝った直後に何を確認してるんだ、私は。
「というか、メッセージしつこい」
「えっ」
「毎回毎回、配信が終わったら長文。SNSを更新したら長文。ラジオに出ても長文。何なの、あれ」
「でも、七瀬さんがすごいから」
「真白は本当にアホ。普通に考えてアイドルと個通できたからってあんなにメッセージ送らないでしょ」
……今、なんて?
痛いファンだとか、嫌われるとか、そんな話は全部、頭から飛んだ。
ずっと名前で呼ばなかった七瀬さんが、真白って、呼んだ。
こっちが止まっている間も、七瀬さんの説教は続く。
「痛いファン、嫌われると思ってないの?」
「ごめんなさい……。っていうか、さ」
謝っているのに、聞き間違いだったのか確かめずにはいられない。
「今、真白って」
「なんか悪い?」
腕を組んだ七瀬さんが、まっすぐ私を見ている。
悪いどころか、もう一度、同じ声で呼ばれたい。
だったら、もう一度呼んでと頼む代わりに、こっちも名前を呼び返してみることにした。
「じゃあ、奈々」
「……本当に生意気」
「奈々!」
「何」
「奈々を呼んだだけ」
「本当にしつこいのよ!」
嫌なら無視すればいいのに、奈々は二度とも返事をくれた。
だから、怒られたそばから、私は奈々、奈々、と意味もなく呼び続けた。




