第131話 下手くそな私と、わがままな君
合わせ練習が何度か終わったところで、五月がスティックを置いた。
「私ちょっとこの辺で帰ります!実は家庭の事情があって〜……」
家庭の事情、ということにしたらしい。五月は私を見て、すぐ零へ視線を向けた。
「私も帰ってピアノの練習をしないと」
零もキーボードの電源を落とした。
「私も明日小テストだから勉強しないといけないのよね」
久遠先輩はベースをケースへ戻しながら、スマホのホーム画面を見て時間を確認した。
「二人でもうちょっと合わせたらどうかな? まだ十七時来てないし!」
五月が明るく言う。
昨日決めた作戦通り、三人が先に帰り、私は七瀬さんと二人で連絡先を交換する。
作戦は分かっているのに、いざ、七瀬さんを目の前にすると、できるかどうか不安になる。
「そ、そうだね! 七瀬さん、十八時ぐらいまで時間あるかな?」
「もちろん大丈夫! 今日はこのために時間を空けたから」
七瀬さんは、マイクスタンドの前でいつもの笑顔を作った。
「じゃあお疲れ様」
零が短く言い、鞄を肩に掛ける。
「後片付けはしなくても大丈夫よ。そのままにしておいて朝に片付けるから」
「ありがとうございます久遠先輩」
私は制服のポケットの上から、昨日預かった十六室の鍵を確かめた。
「じゃあまた次の練習で!」
「またね奈々ちゃん!」
「次の予定はまたチャットするね!」
五月が最後まで手を振り、零と久遠先輩も廊下へ出る。
ドアが閉まって練習室には、マイクスタンドとキーボード、ドラムセットとアンプ、それからギターを抱えた私が残された。
七瀬さんは、ソファーに座った。
「疲れたぁ〜」
その声には、さっきまでの明るいアイドルっぽさがなかった。
「えっと、じゃあ練習を」
「は? するわけないでしょ。あんたみたいな下手くそなギターと」
「へ、下手!?」
分かっていた。いや、分かっていたけれど。
「さすが藤堂零、優等生なピアノしか弾けないと思ってたけど、私のバックバンドのキーボードより上手いわ。アレンジが最高」
七瀬さんはソファーへ背を預け、久遠先輩が使っていたベースへ目を向けた。
「あと、九条院先輩だっけ? 零式会会長で成績優秀で美人で有名だけど、音楽もできるんだね。しかも上手いし。さすが零式会会長なだけあるね」
最後に、五月のドラムを顎で示す。
「それから、名前なんだっけ?あのドラムの子、奈々ちゃんって馴れ馴れしいけど、まあ許せるラインのドラム。普通科の生徒にしてはやるじゃんって感じ」
三人への評価が終わった。私はギターを抱えたまま、次に自分が何を言われるのかドキドキしてしまった。
「で、あんた、なんだっけ名前?」
「佐倉真白、です」
「下手すぎ。それでよく私とバンドやろうだなんて思ったね。馬鹿なの?」
「す、すみません……」
謝るしかなかった。
昼公演の配信を見た時に感じたことを、本人が目の前で言葉にしている。私の下手くそな音が七瀬さんの歌に混ざる。それが、どれだけ申し訳ないことなのか。
「ていうか、喉乾いた〜お茶。この部屋、そこに冷蔵庫あるじゃん。お茶ないの?」
私はギターをスタンドへ戻し、練習室の端の冷蔵庫を開けた。
中には何もない。横の棚には電気ポットと、茶葉のパックが置いてある。
「えっと、冷蔵庫は何も入ってないんですけど、温かいお茶か紅茶なら出せます」
「はあ?疲れて汗かいてるのにあったかいものなんて飲めるわけないでしょ? お茶、買ってきて」
七瀬さんが顎でドアを示す。
これは、私の奢りということだろうか。
「わ、分かりました。買ってきます!」
急いで私は十六室を出た。
自販機までの廊下で、さっきの七瀬さんのことを思い返す。
三人の前では、あんな態度ではなかった。
私の前では、なぜ? やはり、私のギターがあまりにも下手くそだったからだろうか。
麦茶を買って戻ると、七瀬さんはソファーから手を伸ばし、私の手からペットボトルを抜き取った。
「ええ、麦茶? 私ウーロン茶が良かった」
「すみません……」
先に言ってほしかった。
口に出したら、次はウーロン茶を買いに行くことになるだろうと思ったので、何も言わないでおいた。
七瀬さんがキャップを開けて飲み始めたところで、スマホが鳴った。七瀬さんは画面を見て、ソファーの背に体を預ける。
「はあ、マネージャー迎えにくるの十九時かあ」
私もスマホを見る。時刻は十七時だった。
「あと二時間ここで過ごさないといけないとか最悪」
「学園には学食もあるし、喫茶店も大学部の方に行けばあるからそこで時間を潰せば……」
「本当にあんた馬鹿ね。私がそんなとこ行ったらファンの子達が来て相手しなきゃ行けなくなるのは明白でしょ!?」
「アイドルって変装とかするんじゃ」
「するけど、だるいじゃん。せっかくこうして時間余ってるんだからゆっくり休みたいの」
「じゃあ、私がここから……」
出ていきますね、と言いかけた。
でも、ここでなんとしてでも距離を縮めないと、何も始まらない。
それに、鍵は私のポケットにある。
久遠先輩から預かった鍵で、ちゃんと十六室に鍵をかけないといけない。
「ここから出ていってゆっくりさせてあげたい気持ちはやまやまなんですが、私、久遠先輩から鍵を預かっているんですよね」
「……ちっ」
舌打ちされた。
雪乃にはよく暴言を吐かれているけど、そういえば舌打ちはされたことないかも……。
いや、あったような?
しかし、ここで退くわけにはいかない。思い切って、連絡先を交換できないか聞いてみるしかないだろう。
「あの、これからもバンドの練習のためにも連絡取り合いたいので連絡先、交換しませんか?」
「するわけないだろ、お前みたいなのと」
「ですよね〜」
分かっていたけど、即答の切れ味がよすぎる。
「あーお腹すいた。なんか買ってきて」
「分かりました。何がいいですか?」
「牛丼」
七瀬奈々と牛丼。意外な組み合わせだ。
牛丼ってどこで売っているだろうか。学食にあった気がする。
私はわずかな記憶を頼りに、十六室を出て学食へ向かった。
学食には牛丼があり、お腹が減っていたので自分用にフライドポテトも買った。
戻ると、七瀬さんは袋を見た瞬間に眉を寄せた。
「えー!学食の牛丼〜? すみ屋の牛丼がよかったのに!」
先に言ってくれよ!
私はそれも飲み込んで、牛丼をローテーブルへ置いた。
「まあいいや。いただきます。」
七瀬さんは割り箸を割り、牛丼を食べ始めた。
私は向かいの椅子に座り、紙袋からフライドポテトを取り出す。何本か食べたところで、七瀬さんの視線がポテトに止まった。
「それ、美味しそう」
「あ、食べますか?」
私は反射でポテトを一本つまみ、七瀬さんの口元へ持っていった。
七瀬さんは何も言わずに口を開け、そのまま食べた。
しまった、いつもの癖で食べさせてしまった。
雪乃や零や久遠先輩へのいつもの振る舞いを、初対面のアイドルへ向けてしまった。
「ご馳走様」
「ご馳走様でした」
空になった容器を見て、会計を思い出した。
これも、私の奢りなのか。
「あ〜疲れた〜肩が凝る〜」
「揉みましょうか?」
「……じゃあやって」
七瀬さんはソファーの上で座り直し、私に背中を向けた。
私は手を洗ってから後ろへ回り、肩を揉み始めた。
「本当に疲れてるんですね」
「当たり前でしょ。毎日練習、定期的にライブ、その準備とリハーサル。取材もあるし、Ftubeの収録にテレビ出演。はあ、明日は収録かあ。憂鬱だなあ」
「なんでですか?」
「バズるからって言われるがままにやってるけど、正直面白くないんだよね。流行りの曲のダンスとか。覚えるのだるいし、好きじゃない曲聴くの苦痛だし」
初対面に近い相手へ、ここまで愚痴を言う。
それは雑に扱われているだけなのか、それとも、雑に扱えるくらいに警戒されていないのか。
分からないまま、私は指の位置を少し変えて肩を揉み続けた。
しばらく七瀬さんの後ろ姿を見ていると、前髪に埃がついているのに気がついた。
「あ、前髪に埃ついてますよ」
「え? 本当!? やだー! 今日放課後掃除当番だったからだ。最悪……ずっとほこりつけながら歌ってたってこと!?」
「ちゃんと掃除当番するんですね」
「七瀬奈々は掃除は誰かに押し付けるなんてことSNSに書かれたくないからね」
そう言いながら、七瀬さんは前髪を指で触ったが、全然埃の位置に手が届かず、埃は取れないままだった。
「埃とるのでこっち向いてください」
七瀬さんが顔だけこちらへ向ける。
私は、前髪の先についた白い埃を指で摘まんだ。テレビや配信の画面で見たアイドルの顔――。
「七瀬さんって、近くで見ると本当に可愛いですね」
「あ、当たり前でしょ! アイドルなんだから」
「埃取れましたよ」
「……」
「……」
言ってから、私は自分の口を疑った。
何を自然に褒めているんだ。攻略のため、とはいえ、今のはあまりに率直すぎる感想だった。
他に言い方があったんじゃないだろうか。
七瀬さんは私を見て、顎で自分の肩を示した。
「なんでしょうか?」
「肩」
「はい分かりました」
肩揉みに戻れ、ということだった。
私はもう一度後ろへ回り、肩を揉み始める。しばらく、私は黙って肩を揉んだ。
このままでは、買い出し係と肩揉み係で終わる。
そういうわけにはいかないので、思い切って、私は七瀬さんに話しかけることにした。
「私のギター、具体的にどこら辺が下手くそでしたか?」
「は? そんなの自分で考えてよ」
「ですよね〜」
また終わった。
そう思ったところで、麦茶を一口飲んだ七瀬さんがペットボトルを置いた。
「あんた、コードしか見てないんじゃないの?」
「コードしかとは?」
「上手い人の演奏、ちゃんと参考にしたことある? ってこと」
そう言われて、私はギターを練習している時の自分を思い浮かべた。
この一週間、私はコードを間違えないことばかり考えていた。
誰かの演奏を見て、真似をしようとはしていない。
「したことないです……でも確かにその通りですよね。帰ったら見てみます。助言ありがとうございます」
「……ふん」
罵倒だけなら、そんなことは言わない。
七瀬さんは、私の下手なギターを聞いた上で、助言してくれたのだ。
ソファーの横に置かれたスマホが鳴り、七瀬さんは画面を確認して立ち上がる。
「じゃあ私行くから」
「分かりました。次の練習もよろしくお願いします。じゃあ私は鍵を閉めてから帰るんで……」
七瀬さんは動かず、ソファーの横に置いた鞄を指差した。
鞄を持て、ということだ。
私は黙って鞄を持ち、電気を消して鍵を閉める。
裏門には黒い車が停まっていて、開いた後部座席の横でマネージャーらしい人が頭を下げた。
私は七瀬さんへ鞄を渡した。
「それじゃあまた。連絡待ってます」
「はいはい」
七瀬さんは車に乗り込むと、車は門を出て、角を曲がった。
なんてわがままな女の子なんだ、それでも愚痴と助言を、私にしてくれた。
誰もいない車道へ向かって、私は言った。
「次は、佐倉真白って覚えてもらいますからね」




