第128話 何をしてほしいか、言ってみて
土曜日の昼過ぎ、私は五月と練習室にいた。
今日からは二曲目、『君だけにスマイル』に入る。譜面台のスマホには、歌い出しで使う四つの押さえ方が、G、Cadd9、D、Emの順で表示されていた。
「この曲、テンポ速いね」
「そう。『恋するリボン』より速いし、後半には難しいコードもある。今日は歌い出しだけ、遅くして合わせよっか」
「お願いします」
五月のカウントに合わせ、最初の形で弦を鳴らす。次は薬指と小指を同じ場所に残し、ほかの二本だけを動かせばいい。三つ目の形を作る時に指が遅れたが、右手は止めず、最後の音を鳴らした。
「――お、途中遅れたのに止まらなかったじゃん」
「そう?」
「一週間前の真白なら、あそこで絶対手止めてたよ」
五月はスティックを構え直し、同じ速さで最初から叩いた。
数回合わせたけれど、濁った音がなるもののスムーズに指を動かして音を出すことができた。
「思ったよりできるかも! それに、五月のドラムに合わせるのは、もう怖くなくなった」
「へえ」
五月はドラムの椅子から立たず、スティックを両手で回した。
「一週間前は、私が叩くと真白の音、聞こえなくなるとか言ってたのにね」
「言った。あの時は本当に分かんなかった」
「今は?」
「今は、五月の音を聞きながら弾ける」
五月がテンポを上げて、続きへ進む。前半と後半で使う形はほとんど同じで、後半の最後だけ、違うコードだった。途中に音を二度外したが、何度か合わせると五月が強く叩いた音に合わせられた。
「よし、そこ通った」
「やった」
「じゃあ、Aメロだけ通してみよっか」
五月のドラムに合わせ、コード譜通りに音を順に鳴らす。
弦がうまく鳴らなくても押さえ直さず、次へ進んだ。Aメロの最後で、五月と一緒に手を止めた。
「――止まらなかった」
「すごいじゃん。二曲目の初日で、もうAメロ通せた」
「五月が教えてくれたから」
「まあ、それはそう」
五月は得意そうに笑って、練習室の壁に貼られた予約表を見た。
「あ、やば。もう時間ぎりぎりじゃん」
「次、誰か入ってるの?」
「うん。二年の別のバンド」
私たちはケーブルを外し、ドラムの周りとギターを片づけた。ケースを背負い、練習室のドアへ向かう。
ドアを開けようとした時、後ろから五月に手首を掴まれた。
「五月?」
「……ねえ、真白」
五月は掴んだ手首を離さず、私の前へ回り込んだ。
「ポイント使ったらさ……いいんだよね?」
「何が……」
「これ」
五月が私の頬へ手を添え、顔を寄せた。
唇が触れて、すぐに離れる。短いキスだった。
「……」
「五月?」
五月は答えず、もう一度顔を寄せた。
今度は離れず、唇が深く重なる。
「んっ……」
五月の手が私の後頭部へ回る。
唇が開き、舌が触れてくる。私も口を開き、五月の舌を受け止めた。
「ん、ぅ……」
背負ったギターケースの重みが肩にかかったまま、私は五月の背中へ腕を回した。
五月の腰が私の身体へ押しつけられ、廊下から誰かの足音が聞こえても、五月は唇を離さなかった。
「ぁ……」
ようやく唇が離れ、五月は額を私の肩へ押しつけた。
息が乱れている。
「五月、次の人来ちゃうよ」
「分かってる。分かってるけど」
五月は顔を上げ、私の目をまっすぐ見た。
「ねえ、この後、真白の家、行ってもいい? まだ、一緒にいたい」
「……うん」
私が頷くと、五月はやっと手首を離した。
練習室のドアを開けると、廊下の向こうから二年の先輩たちが歩いてくるのが見えた。
***
学校を出たあと、五月は駅前のコンビニへ寄り、下着と歯ブラシを買った。
「泊まりたいなら最初から言ってくれたらよかったのに」
「そんなこと言えないよ」
「なんで?」
「恥ずかしくて……」
五月は鞄を肩に掛け、私から顔を背けた。
そうか。五月を攻略した時は、私から誘ってばかりだった。雪乃も零も久遠先輩も自分から来るから、こんなふうに誘われるのを待っている子は新鮮だった。
家へ着いて玄関を開けると、出海が自分の部屋からリビングへ向かうところだった。私の後ろにいる五月を見て、その場で足を止める。
「おかえり〜って、えっと、五月ちゃん?」
「出海ちゃんこんばんは」
「今日、五月泊めてもいいかな?」
「今度は五月ちゃんか……いち、に、さん、四人目?」
「いや実は、今バンド組んでて!五月はドラム担当で、今も軽音部の部室で教えてもらってたんだよね。それで、もうちょっと練習付き合って欲しいというか! そういう感じ! ね!?」
「はいはい。壁薄いんだから声には気をつけてね」
出海はニヤニヤしながら、リビングへ入っていった。
家族との夕飯と入浴を済ませ、五月は買った下着と私のTシャツ、短パンへ着替えた。
二人で自室へ戻ると、五月はベッドの端に座った。私も隣へ座ったが、どちらも口を開けない。
五月は壁際に置いたギターケースへ目を向けた。
「じゃ、じゃあ練習する?」
「練習は、もうしない。だって、今日は五月が私のために使ってくれた時間だもん。他のこともできたのに、昼間は練習付き合ってくれてありがとうね」
「私は、真白と過ごせればなんでもいいから……」
お互いに目が合った途端、二人とも反対側を向いてしまった。
壁の時計は八時半を指していた。
「ね、寝る?」
「まだ、八時半だけど」
「あはは、ちょっと早いね」
五月は私の方を向いた。そして私の顔をまっすぐに見て、口を開けた。
「その、えっと。真白、私、金曜日に伝えたけど。真白のことが好き。真白の事情も分かってる。だから、答えは出さなくていい。でも、私の気持ちはちゃんと分かってて欲しいってこと」
前の五月が私を好きだったことと、今ここにいる五月が私を好きだと言ってくれたことは、同じではない。
答えを出さなくていいと言わせたまま、その気持ちに甘えるのも違う。それでも、五月の言葉を聞かなかったことにはできない。
「うん、分かった」
「ありがとう」
五月は私のTシャツの裾を掴んだ。
「その、事情は分かってるってさっき言ったけどさ。今日は、いいよね? 私が真白に触れても、いいんだよね?」
私は逃げずに五月の手を見た。裾を掴む指には力が入っているのに、こちらへ引こうとはしない。
「えっと、その……キス、してもいい?」
「いいよ」
五月が顔を寄せ、私の唇へ自分の唇を触れさせた。
すぐに離れた五月は、頬も耳も赤くして私を見ている。
「五月、可愛い」
「なっ! 何いきなり!?」
「いや、可愛いから」
前の周回では、私が五月を誘ってばかりだった。
練習だと言い訳をしていた五月が、今は私の返事を待っている。私たちは同時に顔を寄せ、唇を重ねたまま腕を回した。
私が腰を抱くと五月は唇を開き、触れた舌先が深く絡む。
「んっ、真白ぉ……」
「五月……」
名前を呼んでも、五月は離れなかった。唇の端から漏れた息を挟んで、また舌を重ねてくる。
やがて五月が私の肩へ額をつけた。
「あの、さ、私、真白とその……。キス以上のこと、したい、かも」
「キス以上のことって?」
「それはっ」
五月は私の肩を押して顔を上げた。ここまで赤くなった五月を見たら、もう少し聞きたくなる。
「言ってくれないと、分からないなあ」
からかった私の胸を、五月の拳が一度叩いた。
「もうっ! 真白のばか!」
私は五月の頬に触れ、開いた唇へキスをした。
舌を差し入れると、五月の抗議は口の中で途切れた。首へ回った腕に引かれ、私は五月を抱いたままベッドへ横たえる。
「教えて、五月」
「だから、真白と、したい。えっちな、こと」
私は五月を抱いたまま布団へ沈み、何度も唇を重ねた。互いの服が乱れても、五月の腕は私の首から離れない。
やがて私は五月の両膝を曲げ、身体の横へ開いた。閉じようとする太ももへ手を添え、その姿勢を保たせる。
「脚、そんなに開かないで……恥ずかしいよ」
五月は顔を手で覆ったが、私が身体を起こそうとすると、空いた手で服を掴んだ。
私は太ももを押さえたまま顔を寄せ、五月が待っている場所へ触れる直前で止まる。身をよじって求められても、すぐには応えなかった。
「まだダメ」
求められては触れ、五月の呼吸が乱れると離れる。それを繰り返すうちに、五月は私の名前を呼びながら、腕をこちらへ伸ばした。
今度は、五月が求めるたびに止めずに応えた。五月の身体が私の腕の中で震え、伸ばされた両腕が首へ絡む。
私は五月を抱きしめ、震えが静まるまで何度もキスを返した。
しばらくして、私は布団を肩へかけると、五月は私の胸元へ顔を埋め、両手で顔を隠した。
「……真白、こういう時だけ、すごい意地悪」
「ごめん。でも、五月が可愛くて」
私は五月を抱き寄せ、赤いままの頬へ触れた。五月は私の手へ頬を預け、背中へ腕を回す。
「……しばらく真白の顔、見られない」
「じゃあ、明日の朝までこのまま?」
「それは見る」
「うん」
五月は、私の指へ自分の指を絡めた。
私は繋いだ手を布団の中へ入れ、もう片方の手で五月の髪と背中を撫でた。




