ギターより、私を弾いて
「んん……?」
何かに身体を撫でられる感覚で、目が覚めた。
寝ぼけたまま視線を落とすと、パジャマの前が開いていて、零の手がそこにあった。
「……ぁ、ちょ! 零……っ!?」
「……真白、おはよう」
「おはよう、じゃないよ! なんで私のパジャマのボタン、全部開いてるのっ……」
朝の光がカーテンの端から入っている。
その光の中で、零は昨日と同じように、私の肌に指を滑らせた。
「ひゃあっ……!? ちょ、零、さわっ……」
「……やわらかい。真白のここ、私の手にぴったり。……すごく好き」
「そ、そういうこと聞いてるんじゃ――んんっ!?」
抗議の途中で、唇を塞がれた。
寝起きの頭では、押し返す手にうまく力が入らない。
パジャマの襟を戻そうとした指を、零の手が上から押さえる。
布団の中で身じろぎすると、さらにパジャマがはだけてしまった。
「…………んっ」
「んんっ……零、だめ……っ」
だめ、と言ったのに、零の手は止まらない。
口の中へ入り込んだ舌に返事を奪われる。
「ぁ……ん、ま、しろ……朝から、すごく敏感。……んっ、可愛い」
零の目が、とろりと私を見下ろしている。
そのままパジャマの下に指がかかり、布が腰からずれていった。
「ちょっと、ズボンまで何してるの!?」
「……何って。真白のこと、隅々まで触る。……週末の真白は、全部私のものだから」
「……だ、だめっ、こんな朝から……それに、出海が起き――」
「……真白の頭の中、私でいっぱいにしてあげる」
出海が起きる、と言い切る前に、またキスで塞がれた。
零の指と唇に追い込まれて、私は声を押し殺すのに失敗した。
***
ようやくベッドから起き上がれた時、スマホの画面は十時三十分になっていた。
階段を下りると、ダイニングでは出海が朝食の鮭を食べていた。
「おはよう、出海」
「……おはよう、お姉ちゃん」
「出海も、結構遅くまで寝てたんだね」
「……誰かさんが、夜中までずっと騒いでたからね」
「っ!?」
米をつごうとした手が、止まった。
聞こえてたんだ……。
出海は鮭をほぐしながら、こちらを見てくれない。
「しかも、朝からもお盛んなことで。壁、薄いんだからね」
「ご、ごめんなさい……っ」
「……真白の声、すごく可愛かった」
「零は黙っててえええええっ!」
私は零の分のご飯をよそって、テーブルに置いた。
零は私の隣の席に座って、肩を寄せてくる。
「ちょ、零。ご飯食べにくいよ」
「……ねえ、真白。あーんして」
「自分で食べられるでしょ?」
「……お願い」
「うっ……。……はいはい、わかったよ。ほら、あーん」
「……あーん。……ん、真白が食べさせてくれると、美味しい」
出海が茶碗を置き、私たちの前で長く息を吐く。
「……ごちそうさまでした。色んな意味で、お腹いっぱいだよ」
出海は食器を持って、台所へ行ってしまった。
私は鮭を口へ運びながら、今後出海とどう顔を合わせるかを考えた。
***
私と零は外で昼ごはんを食べたあと、近くのATMに立ち寄った。
画面に表示された貯金残高は、十万円ちょっとだった。
「優さん、勝手に下ろしてごめんなさい。ループしたら戻るんだけど、本当にごめんなさい。申し訳ないですが、全額使わせていただきます……っ!」
心の中で土下座してから、封筒に入れた一万円札の束を鞄の奥へしまう。
「十万円あれば、ギターって買えるかな」
「……買えるとは思う。でも、ギターだけ買えばいいわけじゃない気がする」
「え?」
「……エレキギターって、アンプに繋がないとダメなような。アンプに繋げる、ケーブルとか」
「あっ、そういえば昨日のスタジオでも、久遠先輩が機械にケーブルを繋いでたね。……とりあえず、店員さんに聞いてみよう」
零に手を引かれて、私は楽器屋の方へ向かった。
***
駅前の楽器屋に入ると、壁一面にギターが掛かっていた。
「あの、初めてバンドで使うエレキギターを買いたいんです。予算は十万円で、必要なものも一緒に揃えたいです」
「十万円あれば足りますよ。というか、全部使わなくて大丈夫です」
店員さんの返事を聞いて、カバンの紐を握る手が少しゆるんだ。
案内されたのは、星庭楽器の『Lumen ST-112』。値札は四万二千八百円。
「最初の一本なら、このくらいの価格帯でも十分です。持ちやすいですし、ネックも細めなので、手が小さい方でも押さえやすいと思いますよ」
店員さんから受け取って、私はおそるおそる膝に乗せた。
昨日のレンタルしたギターより、軽い気がする。
「……真白、似合う。かっこいい……」
「ちょっと零、店員さん見てるから離れて」
「……やだ」
零は背中側から抱きついて、私の手の上に自分の手を重ねる。
店員さんは見ないふりが上手だった。社会人ってすごい。
店員さんは、先に銀色の端子がついた手のひらほどの黒い機械を、ギターの下側へ挿した。
そこへヘッドホンを繋いで、私に渡してくれる。
「家で練習するなら、最初はこういうヘッドホンアンプでもいいです。夜でも弾けますし、曲を流しながら練習できます」
「普通のアンプは買わなくていいんですか?」
「スタジオにはアンプがあります。家で大きい音を出せないなら、最初はこっちの方が続けやすいですね。あと必要なのは、チューナーとピック、シールド、ストラップ。あと替えの弦かな。初心者なら、カポも持ってたほうが便利だと思います」
「は、はい……」
知らない単語が次々出てくる。
店員さんは、次々と必要だというアイテムをカウンターへ並べた。
その横には、肩へ掛ける帯と、袋に巻かれた替えの弦がある。
私はピックを受け取り、弦へ当てた。
「わっ……」
ピックで弦を撫でると、ヘッドホンの中でジャッと音が鳴った。
音楽について何も分からないけど、かっこいい。そう思ってしまった。
文化祭のステージで七瀬さんが歌う横に、自分が立つ絵が一瞬だけ見えた。
「……これにします!」
初心者セットを勧められるがままにレジへ持っていき、私は財布を出した。
練習して、学園祭までには完璧なギタリストになる。……完璧は無理でも、せめて七瀬さんの横で邪魔にならないくらいには。
***
帰り道、私は買ったばかりのギターケースを背負っていた。
「真白、がんばろうね」
「うん! よし、じゃあ今から家に帰って、早速練習を――」
零が私の手を引いた。
家へ向かう道ではなく、駅前のホテルが並ぶ通りへ。
「……だめ。今日は真白を独占する権利、私が買った」
「買ったって……確かにポイントの表現としては的確かもしれないけど……」
ギターを買った後、最初に向かう場所がそこなのは、どう考えてもおかしい。
赤やピンクの看板が見えてきた。
背中のギターケースが、今すぐ私を普通の楽器屋帰りの人に戻してほしいと訴えている。
「ねえっ、零!? こういうの、お母様に怒られるんじゃ……っ」
「……お母様は関係ない」
あんなに母親に逆らえなかった子が、こんな大胆に……。
私が変えてしまったのかもしれないけど、まさかこんな方向性に。
「というか、ピアノの練習しなくて大丈夫なの!?」
「……どうせまた、4月9日に戻るし。今練習しても、意味ないから」
「そ、それはそうだけど……っ」
「……だから。この世界が元に戻るまでは、真白の全部、私がもらう。……ずっと、いちゃいちゃする」
零が私の肩に手を置いて、ホテルの入口へ向きを変えさせる。
「ほら、真白。ここ、入ろう」
「えええええっ!? 待って、買ったばかりのギターを連れて入る初めての場所がラブホって、どうなの!?」
「……ギターより、私を弾いて。……中、入ろ?」
「んんっ……!」
入口の前で、零にキスされた。
優さん……大事な貯金で買ったギターと一緒にラブホに入ることになりました……。
本当に、ごめんなさい……。
私は心の中で二度目の土下座をしながら、零に手を引かれてホテルの中へ入った。




