ところで私、楽器が弾けません
昼休み、零に手を引かれて芸能科の教室まで来た。
七瀬奈々が登校しているのを教室の入口から確かめると、零は繋いだ手を離さず、そのまま中へ入っていく。私もついていくしかなかった。
教室の生徒たちが、怪訝な目でこちらをジロジロと見てくる。「普通科の奴らが何の用だ」といったヒソヒソ声も聞こえてきた。
そんな視線も気にせずに、零は堂々と七瀬奈々の前に立ち止まった。
「七瀬さん、お願いがあるの」
七瀬さんは零を見て、首を傾げる。
「あなたは……誰だっけ? でも、どこかで見たことあるような」
近くの生徒がこちらを見た。
「あれって、もしかして……」
「え? あの……」
零に対するこの反応は何だろう。私は隣に立ったまま、零の顔を見た。
「私、藤堂零。今日はお願いがあってきた」
零の苗字は霧島のはずじゃ……?
しかし、その言葉に周りの生徒たちがざわついた。
「藤堂? どういうこと?」
「え! 藤堂零!? あの、ピアノの!?」
周りのざわめきなんて気にせず、零は言葉を続ける。
「実は、学園祭でバンドをやろうと思っていて、よかったら七瀬さんにボーカルをお願いしたい」
そんなお願い、人気アイドルが聞き入れるはずが……。
「え!? いいよ! もちろん! ぜひぜひ!」
へ? どういうこと?
あっさりオッケーされてしまった。
零が頼めば聞いてくれると言っていたけれど、こんなにすぐ決まるなんて!?
「学園祭で七瀬がバンド!?」
「藤堂零がキーボードってことか!?」
すると、七瀬奈々が私の方に視線を向けた。
「それで、隣の人は……」
「メンバーの一人」
私がメンバー!? 楽器なんて弾けないのに!?
「そ、そうです! よろしくお願いします」
私は、慌てて取り繕った。
ええい、こうなってしまえばどうにでもなれ!
「じゃあ、今後の打ち合わせのためにも連絡先を交換してもらえたら助かる」
「ちょっと待って、スマホ出すね!」
七瀬奈々と零がスマホを出して、連絡先を交換した。私は直接交換できなかったけれど、零がグループチャットを作り、七瀬奈々と私を入れた。
***
放課後の十六室に戻ると、零は私の隣にぴたりと体を寄せ、私の肩にこつんと頭を乗せながらスマホを開いた。
画面には、昼休みに作ったグループチャットがある。
「七瀬奈々の連絡先、交換してもらえた」
七瀬奈々、藤堂零、佐倉真白、3人の名前が表示されている。
私は何もしなかったけど、話が進んでしまった。
「それは、すごいわね。私がお願いしても手に入らなかったのに」
久遠先輩はノートパソコンを閉じたまま、笑顔で零を見た。
けれど、その笑顔には明らかな苛立ちが見える。
「厳密には、連絡先交換できたのは零で、私はグループチャットに入っただけなんですが」
「これ、ポイントになる?」
「五百ポイントイルカ!」
「そんなに!?」
雪乃が大きな声を出して驚いた。
零は雪乃に構わず、私の指に自分の指を絡めてきた。
「じゃあ今週末は私が真白を予約」
「承認イルカ!」
勝手に私の週末の予定が決まってしまった。
「おい新参! どさくさに紛れて真白と手を絡めるな!」
「……真白は、私の」
「これはお手つきに入るんじゃないのか? クソイルカ!」
「うーん、お手つきはキスからイルカね。手を繋ぐのはセーフイルカ! というか三上雪乃も普段はしていることなのに、自分のことを棚に上げるのは良くなイルカね」
「海に帰って魚食ってろ! このクソイルカ!」
「……こほん。それで、問題はバンドメンバーね」
紡先輩が、話をバンドのメンバー集めに戻した。
「零が勝手に、私もメンバーだって紹介しちゃいました」
「そりゃあそうよ、真白がバンドメンバーにならないと七瀬奈々に近づけないじゃない」
「そうですよね……」
ふわりと甘い香りがしたかと思うと、背後から久遠先輩が私に覆い被さってきた。
私の首筋に頬を寄せ、耳元で囁く。
「ステージで汗を流す真白……私、特等席で見たいわ。ね?」
「真白と同じステージに立ちたい。……真白の隣は、私」
零が負けじと私を引き寄せ、右から零、後ろから久遠先輩に挟まれる形になる。
私は天井を見上げた。
「楽器はできるのか?」
「それが、全く」
そう、私は人生でほとんど楽器に触れたことがない。
授業でやった、鍵盤ハーモニカとリコーダーぐらいだろうか。
「学園祭まで時間がある。練習すればいい。練習、私が見る」
「真白の楽器を何にするかは置いておいて、まずは楽器ができる人を探した方がいいわね。集まったメンバーに合わせて、真白が練習する楽器を決めたらいいと思うわ」
紡先輩が指を折って、必要なパートを確認する。
ボーカルは奈々さん、キーボードは零、残りはギター、ベース、ドラム。
「雪乃は楽器できたり?」
「しないな。……でも、真白がどうしてもって言うなら、二人きりで防音室に籠って、朝まで練習に付き合ってやってもいいけど……っ」
雪乃はそう返事をして、腕を組んだ。
「久遠先輩は……」
「一応、ピアノはできるわよ」
「バカ女、話聞いてたのか? キーボードはこの図々しいクソ女が担当するんだろ?」
「あと、ギターもできるわね」
久遠先輩は、当然のように言い足した。
「じゃあ、久遠先輩がギター?」
「それにベースもできるしドラムもできるわ……真白が望むなら、十六室に鍵をかけて、私の指で一から優しく教えてあげるわよ?」
久遠先輩の指先が、私の鎖骨をなぞる。
この人は本当に、なんでも完璧にできるんだな。
「だから、残ったパートの分担は、真白と話し合って決めましょう」
「誰か、楽器ができる知り合いいないの?」
「クソチビは心当たりないのかよ? もしかして、友達いないのか?」
雪乃が鼻で笑ったところで、紡先輩が椅子の上で背筋を伸ばした。
「うるさいわね! あなたも友達いないくせに!」
雪乃は口を開けたまま止まってしまった。
今のは、きれいに図星だったようだ。
「あ!」
私はスマホを取り出した。
いるじゃないか、身近に楽器ができる人。
「そういえば、クラスメイトの五月が軽音部でドラムやってるって」
「五月? 攻略対象だった一人かしら?」
「記憶はないけど、友達なのでお願いしたら承諾してくれるかも」
「じゃあ、その交渉次第で次を決めましょう」
その日はお開きになり、私は十六室を出てすぐ五月にメッセージを送った。
するとすぐにスマホが震える。
『え!? あの七瀬奈々がボーカルでバンド!? 参加するする!』
続けて、以前組んでいたバンドが男女関係で空中分解したという話も送られてきた。前のループで聞いたのと同じ話だった。
「ギターとベースってどっちが簡単なんだろう」
不安を感じながら、私は五月に返事をしスマホを閉じた。




