保健室では、声を出しちゃだめ
中間テストが終わった日の放課後、オカルト研究部の部室には、ののみがいなかった。
大事なテストで赤点だったらしい。
昼休みに送られてきたメッセージには、泣いている宇宙人のスタンプと一緒に、再テストで今日は来られない、と書かれていた。
ののみがいない部室を、改めて見回すと、物が多くてぐちゃぐちゃだ。
机の上にはタロットカード、水晶玉、古い雑誌が積まれている。
棚の上には日本人形、合わせ鏡で使った鏡、ロウソク型ライト、謎の木箱。
オカルト研究部というより、ののみの私物倉庫だ。
「佐倉さん、四条さんは今日お休み?」
入り口から、終さんが顔を出した。
「はい。赤点で、再テスト対策だそうです」
「……そうなんだ」
「ののみがいないと、部室のオカルトグッズの多さが目立ちますよね」
「確かに……四条さん、いつの間にこんなに増やしたの……」
終さんは、部室を見回して、それから、こほんと咳払いをした。
「ねえ、佐倉さん。四条さんもいないことだし……せっかくだから、二人で少し片付けちゃおうか」
「いいですね。このままだと、ののみが再テストから戻ってきても、座る場所もないですし」
終さんは、袖をまくって棚の前に立った。
怖がりなくせに、顧問として片付けてくれるあたり、やっぱり先生は先生だ。
「ののみが勝手に持ち込んで増やしまくりましたからね。……あ、先生。今先生が持ってるその日本人形、夜になると髪が伸びるらしいですよ」
「ひゃああっ!? や、やめてよ真白ちゃん! そういうの本当に無理だからっ!」
終さんは日本人形を両手で持ったまま固まった。
私は笑いをこらえきれず、雑誌をまとめていた手を止めた。
「ふふっ、先生って本当に怖がりですよね。……怖がってる顔、すごく可愛いです」
「も、もう! 先生をからかわないでっ! これでも大人の……あっ」
振り返った拍子に、終さんの肘が棚にぶつかった。
棚の上へ立てかけてあった鏡が、がたりと傾く。
合わせ鏡で使った、古い木枠の鏡だ。
私は手に持っていた雑誌を机へ落とし、終さんの前へ腕を伸ばした。
「……先生、危ないっ!」
木枠が机の角に当たって、甲高い音とともに鏡面が砕けた。
破片が床へ散り、細い欠片が私の手の甲を切った。
「あ……っ」
「ま、真白ちゃん!? 血、血が出てるっ!」
「大丈夫ですよ、ちょっとかすっただけですから。とりあえずこの破片、危ないから片付けちゃいましょう」
私は手を引っ込め、傷口を確認した。
血は出ているけれど、深い傷ではない。
それより、床に散った破片の方が危ない。
そう思って床の破片に触れようとすると、終さんが私の手首を取って止めた。
「だめ、真白ちゃんはそれ以上触らないで。……はい、これで押さえてて」
終さんは、ポケットから出したティッシュを、私の手の甲の傷にそっと当てた。
それから、私の代わりに床へしゃがみ込む。
「破片は私が拾うから。四条さんが来て踏んだら、危ないもんね」
欠片を新聞紙で包み終えると、終さんは立ち上がって、私の手を取り直した。
「……よし。じゃあ、保健室に行こう。ばい菌が入ったら大変だもん」
ティッシュを押さえたまま、私は終さんに手を引かれて、部室の扉を閉めた。
***
保健室には誰もいなかった。
入り口のホワイトボードに、「付き添いで外出中。十七時に戻ります」と、書いてある。
終さんは私を椅子に座らせ、薬品棚から消毒液とガーゼ、絆創膏を取り出した。
こういう時の終さんは、先生っぽかった。
「……しみる?」
「少しだけ。でも、大丈夫です」
消毒液を含ませた綿が、傷口に触れる。
消毒液を拭いた後、終さんは絆創膏を貼ってくれた。
「……はい、これで手当ておしまい。もう、無茶して庇ったりしちゃだめだよ。佐倉さんに大きな怪我がなくて、本当によかった……」
「ありがとうございます、先生」
「いえいえ。……あっ」
終さんが顔を上げた。
手当てのために覗き込んでいた終さんと、視線が合う。
終さんの手は、まだ私の手を支えたままだった。
私が握り返しても、離さない。
近い距離のまま、終さんは目を閉じて、唇を、ほんの少しこちらへ傾けて――待っている。
私は、その唇に応えた。
「ん……っ」
私は空いた手で終さんの腰を引き寄せて、深く唇を重ねた。
触れて、角度を変えて、もう一度深く重ねる。
「……ぁ、ましろ、ちゃん……っ」
終さんの舌が、おずおずと触れてきて、すぐに引っ込もうとする。
私はそれを、逃がさなかった。
唇を離すと、終さんはとろんとした目で私を見上げている。
「……保健室って、ベッドがありますよね」
「えっ……? あ、えっと……ええ。ある、けど……だ、だめだよ。ここ、学校だし……誰か、来ちゃうかも……」
そう言いながら、私の袖から手を離さない。
私は終さんの頬に触れた。
ここは学校だ。だから駄目だ。
その正論を、私はキスで塞いだ。
「ん……っ、ぁっ……」
「……終さん。……我慢、できますか?」
「…………っ」
終さんは顔を真っ赤にした。
潤んだ瞳で私を見上げたまま、首を横に振る。
「……じゃあ、あっちに行きましょうか」
私は終さんの手を引いた。
保健室の奥にあるベッドへ。
私はカーテンレールに手を伸ばし、すっと閉めた。
「真白ちゃん……本当に、するの……?」
そう言いながら、終さんは抵抗しない。
私は終さんをベッドに押し倒し、上から覆いかぶさる。
キスを重ねながら、終さんのスカートの裾に手をかけた。
「んっ……ぁ、ましろ、ちゃん……っ」
太ももの内側を撫でると、終さんの膝が小さく震えた。
そのまま指先を、奥へと滑らせる。
触れた瞬間、終さんの腰がびくんと跳ねた。
「あ……っ、だめ……っ」
その反応を確かめるように、私は触れた。
──扉が、ノックされた。
「すみません、絆創膏ください」
女子の声。この時間は恐らくどこかの部活の子だろう。
終さんの身体が、一瞬で固まった。
「っ……!」
私は指を止めなかった。
止めるべきなのは分かっているけど、いつも「先生」でいようとするこの人が、私の指の下でそれを保っていられなくなる瞬間を、見たかった。
「ちょっ……真白ちゃん、だめ、聞こえちゃ……」
その声を、私はキスで塞いだ。
唇を重ねたまま、指の動きは止めない。
「──んっ……!」
終さんは唇を噛み、肩を震わせながら声を殺す。
出そうになるたび、私が空いた手で口元を押さえる。
こんなことをすれば、終さんが困るのは分かっているけれど、やめない。
私は、思っていたよりずっと欲張りで、たちが悪い。
「……っ!」
カーテンの外では、まだ生徒が絆創膏を探している。
ガタン、と薬品棚の引き出しが開く音。
「あ、あった」
生徒の足音が、扉の方へ遠ざかっていく。
やがて、扉が静かに閉まり、誰もいなくなった。
「……っ、はぁ……っ」
終さんが、小さく息を漏らした。
誰もいなくなった、という安堵の吐息だった。
けれど、私は指を止めなかった。
安堵で緩んだ身体を、私はもう一度追い詰めていく。
終さんは声を殺すことができないまま、私の名前だけを呼んだ。
「真白ちゃ……ん、もう……っ!」
今度の震えは、さっきより大きかった。
長い吐息とともに、終さんは力を失う。
天井を見上げたまま、動けなくなった終さんを見て、私はそっと手を離した。
終さんの身体が、まだひくひくと小さく震えている。
「……真白ちゃんの、ばか……」
涙目で、終さんが私を見上げた。
「学校で……しかも、生徒の前で……」
怒っているというより、力が抜けたあとの、素直な声。
「……でも、離さないで」
終さんは、ぎゅっと私を抱きしめた。
カーテンの向こうは、もう誰もいない。
終さんはしばらくの間、私から離れようとしなかった。




