事故じゃないキス
土曜日の十四時前、桜木町のカフェ・ステラリアには、ラピピの看板が出ていた。
入口の横には、コラボメニューと限定グッズの写真が並んでいる。
カフェの中は、同じラピピ目当てのお客さんで埋まっていた。
先生は座席に案内される前から、物販コーナーをチラチラ見ていた。教師じゃなくて、プライベートの顔だ。
「やったー! 限定ラピピのアクリルスタンド、無事にゲットできたよ〜! 佐倉さん、今日はいっしょに来てくれて本当にありがとうね!」
「ふふ、先生すごく嬉しそうですね。私も楽しかったです」
カフェを出る頃には、先生の手提げ袋の中で限定グッズがきれいに収まっていた。
アクリルスタンド、アクリルコースター、缶バッジ、ステッカー。
先生は店先で、袋の中身をもう一度覗き込んだ。
私はその横で、先生が確認を終えるのを待った。
「よし! じゃあ、先生が車で家まで送っていくね。駐車場、行こう」
「……あの、先生」
駐車場へ向かおうとしている先生が、振り返る。
夕方の駅前は人通りが途切れず、カフェの前にも次の予約枠の人たちが並んでいた。
ここで言うべきか、一瞬だけ迷った。
でも、次の土曜日を待っているわけにはいかない。
「ん? どうしたの?」
「私、もうちょっとだけ、先生と一緒にいたいなぁ……なんて。ダメですか?」
「えっ!? あ、えっと……! そ、それなら、先生の家に来る……? 買ってきたラピピのグッズも並べたいし、お茶くらいなら出せる、よ?」
「はい。行きたいです」
***
先生の部屋は、前に来た時よりラピピが増えていた。
棚の上には既存のラピピが並び、ソファーの横にはもちおたちがいる。
テーブルの端には、前回使ったラピピのコースターが置かれていた。
部屋の隅には段ボールが何箱も積まれ、開けかけの箱からはぬいぐるみの耳が出ている。
「えへへ〜、やっぱりこの限定アクスタのラピピ、ニヤッてしてる笑顔がたまらないよね〜。こっちの棚に飾って……と」
先生は棚の前に膝をつき、買ってきたアクリルスタンドを箱から出した。
私はすぐに視線を段ボールへ戻した。
「こっちの段ボールの山はなんですか?」
「あ、あはは……。えっとね、最近スマホでできるクレーンゲームのアプリにハマっちゃってて……。その、送られてきた景品なの」
「なるほど。オンラインのクレーンゲームですか」
「うぅ……もう二十三にもなって、こんな子供っぽい趣味だなんて呆れちゃうよね。先生、ほんとダメな大人だぁ……」
「別にいいと思いますよ。クレーンゲーム、面白いですし。熱中してついやりすぎちゃう気持ち、わかります」
先生の手が止まる。
私はその箱の横にしゃがみ、開けかけのぬいぐるみをそっと中へ戻す。
「佐倉さんは優しいね。よーし、じゃあ先生、美味しいお茶淹れてくるね! ちょっと待ってて……あっ!?」
「え、先生!?」
先生が立ち上がった瞬間、足が段ボールの角に引っかかった。
箱がずれて、棚の前に置かれていたクッションが倒れる。先生は棚のグッズをかばおうとして、体勢を崩した。
私は反射的に手を伸ばす。
けれど受け止めきれず、背中からベッドに倒れた。
先生の体が、その上に重なる。
息を吸う前に、唇が触れた。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
ほんの一瞬だった。
唇はすぐ離れた。
事故だ。そう言い切れる。
先生の手はベッドの上につき、私を押し倒した体制になっていた。
けれど、先生の顔が目の前にあって、私の上で固まっている。
「先生今の……」
「ご、ごめんね佐倉さん! いまどくから!」
先生が慌てて起き上がろうとする。
私は、先生の背中へ腕を回した。
先生の髪が、私の頬に触れる。
ここで離したら、先生は謝って、この出来事を無かったことにする。
「……ダメです」
「え……?」
「私、このままがいいです」
「さ、佐倉さん……? せ、先生、重いよ……?」
先生は動けないまま、私を見ていた。
私は、先生をベッドに引き留めたまま、名前を呼ぶ。
「終先生」
「ひゃっ……んっ……!?」
私は先生の背中に腕を回し、ベッドへ引き留めた。
驚いて声を出した先生の唇を、今度は私から塞ぐ。
さっきの事故じゃない。
私の意思でするキスだった。
先生の体から力が抜ける。けれど、私を押しはしなかった。
唇を離すと、先生は目を開けたまま、何も言わない。
「前に、私が先生の彼女になりたいぐらいって言ったの、本当なんですよ?」
「え、ええぇっ!? そ、それって……で、でも私たち、先生と生徒で、それに女同士……っ」
顧問と部員が、こんなことをしていいはずがない。
それを分かっていて、私は先生の部屋にいる。
「返事は今じゃなくていいです」
先生が何か言いかける。
私はそれを聞く前に、体を起こした。
「でも、私が先生が好きっていうこと、覚えておいてくださいね」
先生からは、いつもの「先生だから」が、出てこなかった。
「じゃあ、今日はそろそろ帰ります」
「え、でもお茶…」
「これ以上長居したら、先生を困らせちゃいそうですから。今日はありがとうございました。お邪魔しました」
私は立ち上がり、棚の前に落ちていたラピピの袋を拾ってテーブルに置いた。
玄関へ向かう途中、段ボールの角を避ける。
先生も立ち上がったけれど、私を止める言葉は出てこなかった。
靴を履いて、ドアの前で振り返る。
「えっと、じゃあまた学園で……」
「う、うん。また月曜日……」
私は、どうすればいいのかわからない顔をしている先生を後にして、玄関を出た。
玄関の鍵が閉まる音を、私は階段の途中で聞いた。




