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くーちゃんの風邪はこじれることなく、二日後にはすっかり良くなっていました。
祖父江さんは大事を取って、「もう一日休むように」と、くーちゃんを暖かい部屋に寝かせました。その間にも、ヒバリがもやし炒めを作って持ってきたり、ナルちゃんがチューハイを持ってきたり、病人がいるという割に、人の出入りは多くありました。
その日の正午過ぎ、セナとソラがお見舞いに来てくれました。学校帰りのようで、ふたりともランドセルを背負っています。
「風邪、だいじょうぶ?」
くーちゃんはあいまいにうなずくしかありません。セナの大きな銀縁メガネが、部屋の明かりで光るたび、くーちゃんのやってしまったことが思い出されて、臆病風に吹かれたように、喉の奥に声が引っ込んでしまいます。視線をそらした先に、ランドセルがありました。
セナはくーちゃんの視線を追って、
「明日、卒業式なんだ」
と言います。
「午前中だけ授業があって、卒業式の準備が終わったら、もう帰っていいって」
「そんなのでいいの?」
くーちゃんはいまできる精いっぱいの皮肉を込めて、
「あんた、医者かなにかになるんだったら、もっと勉強しなさい」
「うん、頑張る」
セナは機嫌を悪くするどころかうれしそうに言います。反対にソラの機嫌が悪くなります。くーちゃんには、セナの感情が好意ではなく、尊敬とか、憧れとか、そういったものだと、なんとなくわかっています。が、ソラにそれがわかるかは怪しいところで、いまだにくーちゃんを恋敵かなにかだと思っているようです。
なんとしても話題をそらしたいのでしょう、ソラがぶすっと言います。
「ダイチくんが気にしてた。話を聞いたときは、わたしもびっくりしたけど……ほんと、なんで川に落ちたの?」
くーちゃんは、どう説明したものか悩みます。あのときのくーちゃんは正気ではありませんでした。なんであんなことをしたのか、あのときの想いを記憶の海から丸ごと掬い上げることは難しそうです。
「ペンダント、探したくて」
と、そう言い訳します。
くーちゃんはヒバリがペンダントを失くしたことを、大まかに説明しました。さすがに、その根本の原因が自分にあるとは言えませんでしたが、セナとソラはなんとなく状況を理解したようです。
「あきれた」
とは、ソラの言葉です。
「川に落ちたらどうなるとか、考えなかったの?」
「あたし天使よ、地上の川がどうかなんて、知ったことじゃないわ」
「だとしても、川に落ちたペンダントなんて探せないって、わかるでしょ。ヒバリさんがペンダントを失くしたのが、十年前。その十年で、台風だって来たし、大雨で洪水になったこともある。流されてるに決まってる」
「……流されたら、どこに行くの?」
ソラはうーんと頭を悩ませて、
「海じゃない?」
と、自信なさげに答えます。
海——くーちゃんも存在は知っています——天界の湖もずいぶん大きいですが、地上の海も負けず劣らず広大です。大雨洪水だけでなく、地上では地震が起こったりして、目に見えない地形が変わってしまうこともあり得ます。そうなってしまえば、ヒバリのペンダントの行方を追うなんて不可能でしょう。
どうすることもできない、と、くーちゃんとソラは黙り込んでしまいます。
セナも同じように黙っていましたが、思案顔で首をかしげます。
「くーちゃんなら、探せるんじゃない?」
「なんで?」
「だって、くーちゃん、天使でしょ。ソラが誘拐されたときみたいに、天使の力を使えば、ペンダントがどこにあるか、わかると思う」
セナは知らないのです——天使の力に回数制限があることを。
くーちゃんが首を振ります。
「天使の力は、もう使えない」
「天使じゃなくなった、てこと?」
「天使なのは天使よ。ただ、ああいった力が使えなくなった、ってだけ」
それだけ、といえば、それだけです。ですが、くーちゃんはいまになって、もっと大事に力を使えばよかったと、思いました。ヒバリも言っていたように、ぜんぶ失くしたあとでなければ、それが大事だったと気づけないのかもしれません。
セナは「そっか」と、残念そうにうつむきます。
すると今度は、ソラが思いついたように顔を上げます。
「他にいないの?」
「なにが」
「天使」
ソラが言います。
「くーちゃんしか、天使はいないの?」
「いや、他にも——」
そう、天使はくーちゃんひとりではありません。
くーちゃんは瞬く間に、これからやるべきことにたどり着きます。
セナとソラは「そろそろ帰る」と、腰を上げます。ふたりが出ていく寸前、くーちゃんはふたりを呼び止めました。ただ、どうにも素直になれなくて、そっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに言います。
「ありがと」
セナもソラも、まさかくーちゃんからそんな言葉が出てくるとは思っていなかったのでしょう。そろって驚いた顔をしていましたが、「どういたしまして」と、手を振ってくれました。




