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<注意>第37回小説すばる新人賞 落選作品 を改稿したものです
さて、くーちゃんはついに、天使の力を使い切ってしまいました。
最初の二回(天界への帰り道を探そうとしたときと、横着をして掃除を終わらせようとしたとき)で、おそらく、水中で呼吸ができなりました。三回目、水と岩の竜を作り出したときには、暑さ寒さを感じるようになりました。そして四回目、ソラの居場所を探すときには、痛みを感じるようになりました。
それからほどなく、誘拐犯に地獄を見せるために、五回目の力を使いました。
くーちゃんの身体は、どうなってしまったのでしょう。
翌日。
くーちゃんはいつもよりさらに遅く、朝の十時に目を覚ましました。帰ってきたのが深夜だったせいでもありますが、冬の冷気が肌に突き刺さるように痛くて、すぐに起き上がれませんでした——それ自体は四回目の力を使ったせいでしょう——いつまでも寝ているわけにもいかず、くーちゃんはのそりと起き上がって、リビングに向かいました。
「くーちゃん」
祖父江さんが呼び止めます。祖父江さんは、くーちゃんの頭に鼻を近づけてから、嫌な顔ひとつせず、くーちゃんの手を取り、脱衣所に連れていきました。眠気と寒さのせいで、くーちゃんは抵抗する気も起きません。瞬く間に服を脱がされ、浴室に入りました。
「なにするの」
「シャンプーです」
祖父江さんは温かいお湯を出して、くーちゃんの身体を洗います。汗と泥がへばりついた髪の毛に、シャンプーを落とし、優しい手つきで頭皮を撫でていきます。一度、お湯で泡が流されます。くーちゃんの身体から、汗と泥が流れ落ち、排水溝へと吸い込まれていきます。
「……そういうことね」
くーちゃんの身体は、もはや、なにがあっても汚れない、清純なものではなくなってしまったようです。
くーちゃんは新しい下着と服を着ました。姿見を見て、鏡に映っているのが天使だなんて、くーちゃんでも思えません。いまの自分が天使だと信じられるのは、お腹が空かないという、ただ一点のみでした。
取り乱すことはありませんでしたが、たそがれたい気分ではありました。
くーちゃんは散歩に出ようと、玄関を出ます。
「おはよ……」
玄関口に、ソラが立っていました。
「なにか用?」
「そんなとこ」
ソラの視線に促されて、くーちゃんはソラの後ろをついていきました。
ソラは前を向いたまま、つっけんどんに言います。
「昨日はありがと」
「どういたしまして」
いくつか路地を越えて、ふたりは小さな公園にやってきました。どこにでもありそうな公園です。滑り台があって、動物型のベンチがあって、砂場があります。木も葉もない、なだらかなところです。
ソラは象型のベンチに腰掛けて、くーちゃんに隣を促します。
「わたし、セナのこと、好き」
「そうみたいね」
「それで、あんたに取られるって、思った」
「そんなことまで素直に言う必要ないんじゃない」
「だめ」
ソラはうつむいて、有無を言わさない調子で言います。
「ちゃんと言うって決めたから」
それなら、くーちゃんが口を挟むべきではありません。
ソラが言います。
「それで、あなたの悪口を、評価サイトに書き込んだ。あのときは、悪いことしてるって、思えなかった。でも、あんなことするんじゃなかったって、いまならわかる」
ごめんなさい、と、ソラは頭を下げました。
ひと月前のくーちゃんなら、思いつく限りに罵倒したかもしれません。ですが、いまのくーちゃんは、ソラを責めたりしません。それはもう過ぎたこと。いま謝っているのなら、受け入れるべきだと思いました。
「あの子、セナは怒ってないって言ってたでしょ。あたしも同じ。もう怒ってない」
ソラはほっと息をついて、顔を上げました。
それから、どちらかというと、これから話すことが本題だったようです。
「でも、セナのこと、渡したくない」
「あんた、あたしのこと、泥棒猫かなにかかと勘違いしてない?」
ソラの目は「違うの?」と言っています。
くーちゃんはため息をつきます。
「あたし、天使なの。人間と結ばれるわけないじゃない」
人間の創作物には、そういった作品もあるようですが、本物の天使にはそんなことできません。根本的に種族が違いますから、天使であるくーちゃんに、人間同士がするような恋愛関係を望むことはできないのです。
ソラはあっけにとられたような顔をしています。
「じゃあ、ほんとに、あなた、天使なんだ。セナが、かわいい女の子を天使って言ってるんじゃなくて」
人間は勝手に勘違いをして、勘違いした相手を憎むことがある……やっぱり愚かだなあ、と、くーちゃんは思います。
なあんだ、と、ソラはソラで、拍子抜けした声を上げます。
「わたし、喧嘩するつもりで来たのに。ドラマでやってるみたいな。男の子を取り合って殴り合う、みたいな」
とんでもないことを考えていたようです。
「だから、そういうことをするのに、わたしのホームグラウンドに連れてきた方が、やりやすいかなって」
ホームグラウンド?
くーちゃんが疑問に思っていると、ソラのほうから打ち明けます。
「幼稚園のとき、わたし、大雨の日に、セナを遊びに誘ったの。その日も、わたし、おとうさんと喧嘩して、家を出たくて、でもひとりで出るのは怖くて、セナを連れ出したの」
かつての自分を想うように、ソラは言います。
「セナはわたしと仲が良くて、わたしの誘いは断らなかったから、いっしょに飛び出してくれた。雨の中で遊ぶっていうのが、どことなく楽しくて、わたしはセナを連れて、この公園に来た。そのとき……雷が落ちたの」
「雷?」
「うん。いまでも覚えてる。小学生に上がってから知ったけど、ふつう、雷に打たれたら、人間って死んじゃうらしいの。だから、あのとき、セナが雷に打たれても倒れなかったのが、いま思えば、不思議だったなって」
まあそれはいいの、と、ソラは息をついて、
「その雷のせいで、セナは目が悪くなった。目が悪くなって、いつも以上に引っ込み思案になって、小学校に上がってからは、大きな眼鏡をみんなにからかわれるようになった。だから、ぜんぶ、わたしのせいなの」
ソラは、隣にいる天使に懺悔するように、頭を下げました。
「あの日、わたしがセナを連れ出さなかったら、セナの目は悪くならなかった。だから、わたしがやってしまった分、セナのことを守らなくちゃって思ってた。でもぜんぜん、思ったようにいかなかったし、ダイチくんから守ることもできなかったし……そのうえ、とつぜんやってきた女の子に、セナが取られちゃうような気がして……なんか、わたし、勘違いばっかり」
ひとしきり話して、すっきりしたようです。ソラは顔を上げて、立ち上がります。すっきりした横顔は、冬の青空によく映えて見えます。
対して、くーちゃんは思案顔でうつむいていました。
ソラはとても重要なことを話してくれました。ただ、なにが重要なことだったのか、くーちゃんにはわかりません——わかりそうで、わからない——その引っかかりで、やたら胸がむかむかとします。
いったいどこに、その答えがあるでしょう。
少なくとも、天界にはありません。
探すとすれば、ここ——天界より小さく、天界より暗い——地上で探すしかありません。
天界から見下ろすのではなく、自分の手足で……
——第2話 了——
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