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<注意>第37回小説すばる新人賞 落選作品 を改稿したものです
正午過ぎ、「おじゃまします」と、控えめな声が聞こえました。
くーちゃんが玄関に向かうと、セナが小さく手を振ってきます。今日はブラウン調のジャンパーに、厚手のジーンズと、暖かそうな格好をしています。お気に入りの赤いスニーカーも履いています。
そして、彼の後ろにいる女の子が、セナの言っていた友達でしょう。セナの紹介で、「大舟ソラ」と名乗ります。もこもこした白いジャケット、桃色のスカート、その下に厚手の黒いタイツを穿いています。短く切られた髪の毛は、色素が薄く、毛先がうねっています。細い眉毛の下には大きな目があり、ぱっちり開いていれば溌溂として見えたでしょうが、いまは周囲を観察するように——というより、くーちゃんを警戒するように——細めています。
くーちゃんはふたりをリビングに通します。セナは、ゲストハウスが珍しいようで、辺りをぐるぐる見回します。一方、ソラは最初こそ、セナと同じように辺りを見ていましたが、次第にくーちゃんに視線を戻しました。
「将棋、するの?」
セナがテーブルを指さします。テーブルの上には、将棋盤のほかに、オセロやトランプなど、テーブルゲームの類がいくつか置いてあります。
「しょうぎって、なに?」
「知らないの?」
「これ、ぜんぶ、祖父江さんが用意したから」
くーちゃんの来客なのに、なぜか、祖父江さんとナルちゃんが張りきっていました。
「せっかく遊びに来るのに、うちにはたいしたものがない」
と、ふたりして騒ぎながら、利用者用のテーブルゲームを引っ張り出して、あーでもないこーでもない、と言い合っていました。
「どうして服を買っておかなかったんでしょう……」
祖父江さんは、くーちゃんの服装を見て(いまだナルちゃんのジャケットを、スモックのように着ています)、嘆かわしそうに顔を覆いました。結局、くーちゃんには何の説明もないままです。
セナがたずねます。
「このまえのおねえさんは?」
「ナルちゃんは仕事」
「管理人さんは?」
「買い物。いろいろ買わないといけないんだって」
セナは、祖父江さんがいないとわかると、持っていたビニール袋をくーちゃんに渡しました。中には、袋菓子がたくさん詰まっています。
「遊びに行くなら持っていきなさいって、おかあさんが。天使がお菓子を食べるのか、わからなかったけど」
天使、という言葉に、ソラがむっと口をとがらせます。
くーちゃんが言います。
「おなか空かないから、食べ物は必要ない。けど、貢物っていうなら、ありがたくもらっておくわ」
くーちゃんはビニール袋をテーブルの脇に放って(それもまたソラの気に障ったようです)、ふたりにテーブルの席を勧めました。セナたちが来たらやることを、祖父江さんから教えてもらっていました。
「麦茶と紅茶と緑茶、どれがいい?」
と、くーちゃんはキッチンに向かいます。まるで人間に仕えているようで、いい気分はしませんが、こうするように言われたからには、やるしかありません。ふたりとも麦茶と答えました。電気ケトルでお湯を沸かして、急須に入れ、それでも自分でお茶を配るなんて真似までしようと思えなくて、くーちゃんは急須と湯呑みをお盆に乗せ、テーブルの真ん中に置きました。「好きなのを取って」と言うと、ふたりとも特に気にした様子もなく湯呑みを取り、セナが急須のお茶を入れました。
「これ、緑茶じゃない?」
セナが首をかしげます。たしかに、急須からは緑色の液体が出ています。入れる茶葉を間違えました。せっかく用意したものを作り直すのは面倒です。
くーちゃんは背もたれに寄りかかって、
「どっちでもいいでしょ、いいから飲みなさい」
セナはくーちゃんの性格をよく知っているので——むしろそう言われるのがちょっとうれしいといったようすで——「はーい」と素直に緑茶を飲みます。対して、ソラはくーちゃんの何もかもが気に入らないらしく、不機嫌そうに眉をひそめています。
それからしばらく、セナがくーちゃんに話しかける状況が続きました。学校や家であったこと、普段は何をして遊んでいるかなど、話題には事欠きません。おかげで、くーちゃんはセナの家族構成や、小学四年生の授業内容を把握することができました。セナは楽しそうです。くーちゃんも、楽しそうに話すセナを邪魔する気はありません。
「あれから、ダイチくんと遊ぶようになったんだ」
「いじめっ子と遊んでるの? あんた、正気?」
ソラが心底同意するように、うなずきます。
セナが言います。
「でも、もういじめっ子じゃないし」
「ああいうやつは、何度だって同じ過ちをするの。またいじめられたいの?」
ソラがこれでもかとうなずきます。
「いじめられたくないけど、クラスメイトだし、ぼくだって、仲良くしたいし」
セナと話していると、人間のことがよくわからなくなってきます。
やりたいと思ったことをやれない、なのに、やりたくないことは進んでやる。
いじめっ子にいじめられるのは嫌だけど、仲良くできるなら仲良くしたいと思い、いっしょに遊ぶこともある。セナを観察していれば、人間の心がどうなっているのか、解明できるのかもしれません。が、くーちゃんにそんな気はありません。人間の心がどうなっていようと、総じて愚かであるのに変わりはないのですから。
ふと、セナがもじもじと落ち着きなくしています。
くーちゃんが視線で促すと、セナは恥ずかしそうに、
「お手洗い、行っていい?」
「いちいち聞かなくてもいいわよ、そんなこと」
「場所、わからない」
まったく、手のかかる生き物です……くーちゃんは億劫に立ち上がり、セナをトイレに案内しました。
先に戻ってる、と伝えて、くーちゃんはひとり、リビングに戻ります。
ソラの視線は、くーちゃんたちがいなくなってからもずっと、ふたりが消えていった廊下のほうに向いていました。ソラは、ひとり戻ってきたくーちゃんを見るなり、むっと唇を尖らせます。
さすがのくーちゃんも、この女の子の気分があまり良くないというのはわかりました。ソラはここに来て、最初に名乗ったきり、うなずくことはあれど、一度も口を開いていません。湯呑みの緑茶は一滴も減らないまま、すっかり冷たくなっていました。
「なによ」
くーちゃんはつっけんどんに言います。
ソラとやりあうつもりはありません。しかし、セナと同じように接するのは難しい……くーちゃんにとって、セナは自分を天使と慕ってくれる善き男の子ですが、ソラは愚かな人間の女の子としか見ていません。
ソラは、こらえていた呼吸をやり直すように、深く息をつきます。
「わたし、セナと幼馴染なの」
「おさななじみ?」
「そんなことも知らないの」
ソラはあざけるように口角を上げます。
「わたし、セナと仲良しなんだから。あんたが来るずっと前から、わたしはセナと友達だったの。雨の中で遊んだこともあるし、幼稚園のころは、ふたりだけで川遊びしたこともある。あんたが知らないことも、たくさん知ってる。あんたが知らないことを、わたしはたくさん知ってるの」
くーちゃんは、このときやっと、ソラからどんな感情を向けられていたのか、はっきりとしました。ソラはずっと、くーちゃんに嫉妬していたのです——仲良しのセナが、くーちゃんと話し、ソラの知らない一面を見せている——それが憎くて仕方なかったのでしょう。
ソラにどんな感情を向けられようと、くーちゃんの知ったことではありません。ですが、人間ごときに敵意を向けられて、気分良くいろ、というのは、どだい無理な話です。
くーちゃんが言います。
「よくわからないけど、あんたは、あたしとよろしくする気がないってことでいい?」
ソラは無言で、くーちゃんをにらんでいました。
どうしてやろうか、と、くーちゃんの頭の中にいくつもの仕返しが浮かびかけたとき、折よくセナが戻ってきました。セナは元の席に着いて、剣呑としたふたりに、目を丸くします。
「どうしたの?」
ソラはつんっとそっぽを向いて、立ち上がりました。
「帰る」
セナは席に着いたまま、くーちゃんとソラを交互に見て、立ち上がりました。ソラをひとりで帰すのは気が引けたようです。「またね」と、セナはくーちゃんに手を振って、ソラを追いかけました。
リビングに、くーちゃんだけが、ひとりきり。力は使えず、振り上げかけた感情を収める場所がない。くーちゃんは落ち着きなく席に着き、むき出しの天井を見上げます。
「この世で一番愚かなのは、嫉妬深い女の子です」
ブー!
ぐわんぐわんと頭が揺れて、余計に落ち着かなくなりました。
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