5
<注意>第37回小説すばる新人賞 落選作品 を改稿したものです
天界にいたころ、くーちゃんは時間を気にしたことがありませんでした。
眠くなったら寝て、いたずらしたくなったら湖に向かう。
聞く人が聞けば羨ましい限りのぐうたら生活ですが、身も心も慣れ切ってしまうと、いざ動かねばならなくなったとき——ちょうど真冬のこたつから出られなくなるのと同じで——全身を「億劫さ」が侵してきます。その億劫さはちょっとした許可証のようなものを持っていて、動き出した身体に「雑に終わらせればいいじゃない」と、早々に仕事を終わらせる許可を出してくれます。
祖父江さんは、くーちゃんの身体が寒さに馴染んできた頃を見計らって、再びゲストハウスでの仕事を言い渡すようになりました。くーちゃんが従わないと、例の二択(学校に行くかお勤めに行くか)を突きつけます。
人間とかかわりたくなければ、祖父江さんに従うしかない。しかし祖父江さんに従うということは、ゲストハウスの客とかかわるということで……逃げ場がありません。おかげで、簡単な会計処理くらいなら、電卓を使ってできるようになっていました。
一日があっというまに終わる。
しかもその時間は辛く、祖父江さんの言いなりで、面白くない。
そんなとき、くーちゃんはまたしても、とっておきの方法を編み出しました。
例えば、廊下の拭き掃除をお願いされたとき。くーちゃんは廊下の中央を走り抜けるように掃除して、廊下の隅や階段は「終わりました」と報告しました。
例えば、利用者と鉢合わせたとき。元気に挨拶をしましょう、と言われていますが、くーちゃんは目線も合わせず、無視しました。
例えば、来客の対応をお願いされたとき。くーちゃんはその場で「はい」と答えるけれど、実際に利用者が来ると、「臨時休業です」と言って、利用者を追い出しました。そうすれば、人間はたちまち困った顔をして、ゲストハウスを出ていきます。天界にいなくても人間にいたずらができる。元来いたずら好きの天使は、地上での過酷な縛りのなか、新たな遊びを思いついたのです。
そんな生活が二週間ほど続いたある日。
日ごと春が近づいているにも関わらず、気温は下がる一方です。空には毎日、灰色の雲がかかり、一時は溶けていた雪も、再び降り積もって、石畳を隠してしまいました。
もはや、いつも着ている白い衣だけでは寒さに耐えられません。ナルちゃんと出かけた日以来、くーちゃんは彼女のジャケットを借りっぱなしにしていました。それでも寒さが防げないため、セナからもらったマフラーを常備するようになりました。
さて、今日は週末の土曜日。
くーちゃんはあまりの寒さに震えながら、急いでリビングに向かいます。今週は一度も、ゲストハウスに来客がありませんでした。いたずらをするのは楽しいですが、ときには休憩も必要です。暖かいリビングで、くーちゃんはひとり、ゆったりと過ごすつもりでいました。
「どうしましょう……」
祖父江さんが困った声で言います。
リビングの端には、大きなデスクトップパソコンが備えられています。利用客も自由に使えるものです。いまは祖父江さんが使っていて、パソコンの画面には、あるインターネットサイトが開かれていました。
祖父江さんは腕を組んで、頭を左右に振っています。
あまりに困った様子だったので、くーちゃんは祖父江さんの肩越しに、パソコンの画面をのぞきました。
祖父江さんが見ていたのは、宿泊施設のレビューサイトでした。施設を利用した客が、感想を書き込むところのようです。サイトを通じて、宿泊施設への予約も行えるらしく、ゲストハウス星山も予約できるようになっています。
「見てください」
祖父江さんが、ゲストハウス星山の感想ページを指さします。利用者の書き込みが見られる他、宿泊した感覚を☆一つ~☆五つで評価することもできるようです。ゲストハウス星山の評価は、☆三つ。
☆の隣には、(32)とあります。
祖父江さんが言います。
「先週まで、この☆が四つありました。それが、今日見たら、三つになってて」
「それがなに?」
「星が多いほど、その施設に泊まってよかったって、利用者さんが思っているということです。星が減ったということは、その逆で……」
「ここの評価が下がってる?」
「そういうことです」
祖父江さんは腕を組み、また別のページを開きます。「利用者の声」と題して、実際に泊まった感覚が、文章になっています。
そのうちのひとつ。
『住み込みの子どもが不愛想で、うちの子どもが泣かされました。管理人さんは優しいし、価格も良心的、立地も良いのに、残念。家族利用は控えた方がいいと思います』
住み込みの子どもとは、十中八九、くーちゃんのことでしょう。見ず知らずの人間に不愛想と揶揄されるのは鼻持ちなりません。が、この文言に心当たりがあります。それはきっと、以前くーちゃんがゲストハウスを飛び出したときにぶつかった男の子、その両親が書いたものでしょう。
いますぐこの書き込みをした人間に天罰を与えに行きたい。
でも、自分がやってしまった失態を注意されているのは面目ない。
祖父江さんがマウスホイールを動かします。画面を流れる感想は、どれも、くーちゃんへの苦言ばかりでした。短い文面もいくつか見られます。
『もう行きません』
『がっかりです』
『くーちゃんなんて愛称、似合わない』
「それは関係ないでしょ!」
くーちゃんが好きでつけた名前じゃないのに……
祖父江さんは困り顔で、
「どうしましょう……」
と、頬に手を添えます。
「あまり良い状況ではありません。ここの評価がそのまま、新規の利用者さんにとっての指標になりますし」
祖父江さんはいくつか新しいページを開いて、別の評価サイトや旅行代理店のページを見ます。そこにある評価は、おおむね☆四つを維持しているようでした。
くーちゃんが言います。
「他のサイトに変化がないなら、予約が減るなんてことないでしょ」
「そうとも言えません」
祖父江さんは厳しい顔をします。
「最近の利用者さんは、たいてい、いくつもの評価サイトや代理店の情報を参考にして、予約をします。評価サイトごとに、こうも評価がぶれていると、さすがに不審に思うでしょう。それにみなさん、そういう情報は積極的に、SNSで広めますから」
「別にいいじゃない。利用者が減れば、あたし、人間と関わらなくていいし」
「くーちゃんはそうでしょうけど」
「第一、ここ、経済のルールには従ってるけど、採算を取る気はないんでしょ?」
ゲストハウスを継続利用しているのは、管理者である祖父江さんをはじめとして、ナルちゃん、タロウくん、くーちゃん、そしてヒバリの五人です。ヒバリ以外は、人間ではなく天使ですから、人間のようにお金のかかる生活にはならないはず。採算を取る気があるのなら、継続利用者であるヒバリから、月一万円しか支払ってもらっていない(しかも半月以上滞納している)のは、おかしな話です。
祖父江さんがうなずきます。
「このゲストハウスは、わたしが地上を観察するための仮住まいのようなところです。当初は、採算を取るつもりがなかったので、利用者が多かろうと少なかろうと、たいして問題にはしていませんでした」
ですが、と、祖父江さんは眉をひそめ、
「くーちゃん、天使の力を使って、地上の寒さがわかるようになりましたよね。くーちゃんだけじゃなく、ナルちゃんやタロウくんも、同じようにしている、というのもわかりますか? タロウくんはまだ余力があるみたいですけど、ナルちゃんに関しては、すでに天使の力を使い切っています」
祖父江さんが息をつき、
「みんな、毎日、自分の部屋で暖房を使っています。それに、くーちゃん、夜寝るときに、電気を点けっぱなしにしていますよね。ちゃんと切るよう、言ったはずです」
くーちゃんが押し黙ります。
祖父江さんはそれを肯定と見て、
「共用スペースには、空調と床暖房が使われています。くーちゃんはまだ大丈夫ですが、ナルちゃんはいろんなことで身体が汚れます。お風呂に入ったり、服を洗濯したりしたり……その都度、水が使われ、給湯器が使われ、総じて、電気とガスが使われています。人間の社会で暮らす以上、光熱費、というものが、ほぼ必須なんです。これまでは、ナルちゃんとタロウくんの稼ぎも合わせて、なんとかやりくりしていました。でも、くーちゃんが来て、いつもより人間の技術に頼るようになりました。一層、ゲストハウスを維持するためのお金が必要になっています。少ないですが、国への税金も納めています。ゲストハウス自体の稼ぎが必要なんです」
つまり、利用者の数が減るのは、死活問題なのです——ゲストハウスにしても、くーちゃんにしても。
くーちゃんは言います。
「ヒバリが滞納している分を、さっさと回収すればいいじゃない。月一万円じゃなくて、十万円くらいもらっても、ばちは当たらないでしょ」
「いいえ」
祖父江さんがきっぱりと言います。
「ヒバリさんはあれで適正価格です。彼女は特別です。あれ以上、彼女を追い詰める真似をしてはいけません」
くーちゃんは二の句を継げませんでした。河原で行き倒れていたところを助けたくらいです。祖父江さんにはきっと、ヒバリに思い入れがあるのでしょう。
その日は結局、新しい利用者が来ることなく、夜になってしまいました。
途中、電話が鳴って、祖父江さんが対応しました。
対応を終えた祖父江さんは、
「明日の団体様が、キャンセルになりました」
と、残念そうに目じりを下げていました。その団体が、はたして例の評価サイトを通じて、ゲストハウス星山に宿泊予約を取ったのかは、定かではありません。
くーちゃんはひとり、退屈で、自室のベッドに寝転がっていました。
掃除をする必要も、人間を前にやきもきすることもありません。
くーちゃんはぼうっと、カーテンの隙間から漏れる日差しが床を照らし、少しずつ角度を変えていくのを眺めていました。それに飽きたら、ヒバリからもらった十円玉を取り、指で弾いたり、手の中で転がしたりしました……が、それにもすぐ飽きてしまいます。
人間の相手をしなくていいのは、とても気楽です。
しかしどうにも、その気楽さの裏に、祖父江さんの困り顔がちらついて、離れません。
気づけば、くーちゃんは洗濯室に向かっていました。
バケツに水を汲み、ぞうきんを絞り、黙々と廊下を拭いていきます。
ガラス戸には夜の暗さが広がり、鏡のように、くーちゃんを映しています。暗いガラスに映る自分に向かって、なにしてんの、と思いながらも、くーちゃんは止まりませんでした。
そのうち、タロウくんが帰ってきました。タロウくんが歩くたび、右手に持たれたコンビニのビニール袋が、がさがさと音を立てます。その音がくーちゃんの前で止まります。
「なにしてんの」
タロウくんがはじめて、くーちゃんに声をかけました。
「見てわからない?」
「口悪ぃな、おまえ」
「あんたもでしょ」
「……祖父江さんにやらされてんの?」
「さあ、どうかしら」
くーちゃん自身、いまの自分の行動がよくわかっていないので、あいまいな返事しかできません。
タロウくんは階段の縁に腰掛けて、同情するように鼻を鳴らします。
「監視役の言うことなんて、聞かなくていいぞ」
「だれのこと?」
「祖父江さん」
タロウくんが言います。
「祖父江さんは、大天使様に遣わされて、地上に落ちた天使を監視するために、ここにいるんだ」
ナルちゃんとはまた違う視点です。
「おまえ、このゲストハウスのこと、どう聞いてる?」
「人間を泊めるところでしょ」
「能天気だな。あのな、ここは、天使の監獄なんだよ」
監獄——罪人をとらえ、隔離するための場所——その言葉の重い響きに、廊下じゅうの空気が行き場を失くしたように、静まり返ります。くーちゃんが顔を上げると、タロウくんはうつむいて、右手のビニール袋を力なく揺らしていました。
「天界に置いておけなくなった天使を、地上に縛りつける、それだけのために、このゲストハウスはある。人間を格安で泊めるとかなんとか、そういうのはぜんぶ隠れ蓑だ。耳心地のいい言葉を使って、おれたちをだましてる」
「でも、大天使様は、答えを見つければ天界に帰してくれるって……」
「おいおい、あんなの真に受けるな。あのアマが答えのない問いを出したって、ナルちゃんに聞いただろ」
「それは推測でしょ、真実じゃない」
「じゃあ真実を教えてやる——おれたちは天界に帰れない」
くーちゃんは言い返せませんでした。ナルちゃんと話してから、その可能性があるというのが、ずっと心に残っていました。
これ以上話せない、と思ったのでしょう、タロウくんが立ち上がります。
「まあ、気楽にやれよ。おれたちは、未来永劫、地上の民なんだ。お偉いさまの言いなりになってばかりじゃ、息が詰まる」
タロウくんは階段を上り始めます。
くーちゃんは気になって、タロウくんの背中に問いました。
「あんたは、どんな問いを出されたの」
階段の半ばで、タロウくんは立ち止まり、顔だけ振り向きます。
そして一言、
「働くとは、どういうことか——そんなもん、クソほども興味がねえ」
タロウくんは、一段飛ばしに、階段を上っていきました。
閲覧ありがとうございます!
次回もよろしくお願いしますm(__)m
内容が気に入れば、どうぞ、SNS等で広めてください。
*順次投稿していきます。




