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<注意>第37回小説すばる新人賞 落選作品 を改稿したものです

 天界にいたころ、くーちゃんは時間を気にしたことがありませんでした。

 眠くなったら寝て、いたずらしたくなったら湖に向かう。

 聞く人が聞けば羨ましい限りのぐうたら生活ですが、身も心も慣れ切ってしまうと、いざ動かねばならなくなったとき——ちょうど真冬のこたつから出られなくなるのと同じで——全身を「億劫さ」が侵してきます。その億劫さはちょっとした許可証のようなものを持っていて、動き出した身体に「雑に終わらせればいいじゃない」と、早々に仕事を終わらせる許可を出してくれます。


 祖父江さんは、くーちゃんの身体が寒さに馴染んできた頃を見計らって、再びゲストハウスでの仕事を言い渡すようになりました。くーちゃんが従わないと、例の二択(学校に行くかお勤めに行くか)を突きつけます。


 人間とかかわりたくなければ、祖父江さんに従うしかない。しかし祖父江さんに従うということは、ゲストハウスの客とかかわるということで……逃げ場がありません。おかげで、簡単な会計処理くらいなら、電卓を使ってできるようになっていました。


 一日があっというまに終わる。

 しかもその時間は辛く、祖父江さんの言いなりで、面白くない。

 そんなとき、くーちゃんはまたしても、とっておきの方法を編み出しました。


 例えば、廊下の拭き掃除をお願いされたとき。くーちゃんは廊下の中央を走り抜けるように掃除して、廊下の隅や階段は「終わりました」と報告しました。


 例えば、利用者と鉢合わせたとき。元気に挨拶をしましょう、と言われていますが、くーちゃんは目線も合わせず、無視しました。


 例えば、来客の対応をお願いされたとき。くーちゃんはその場で「はい」と答えるけれど、実際に利用者が来ると、「臨時休業です」と言って、利用者を追い出しました。そうすれば、人間はたちまち困った顔をして、ゲストハウスを出ていきます。天界にいなくても人間にいたずらができる。元来いたずら好きの天使は、地上での過酷な縛りのなか、新たな遊びを思いついたのです。



 そんな生活が二週間ほど続いたある日。

 日ごと春が近づいているにも関わらず、気温は下がる一方です。空には毎日、灰色の雲がかかり、一時は溶けていた雪も、再び降り積もって、石畳を隠してしまいました。


 もはや、いつも着ている白い衣だけでは寒さに耐えられません。ナルちゃんと出かけた日以来、くーちゃんは彼女のジャケットを借りっぱなしにしていました。それでも寒さが防げないため、セナからもらったマフラーを常備するようになりました。


 さて、今日は週末の土曜日。


 くーちゃんはあまりの寒さに震えながら、急いでリビングに向かいます。今週は一度も、ゲストハウスに来客がありませんでした。いたずらをするのは楽しいですが、ときには休憩も必要です。暖かいリビングで、くーちゃんはひとり、ゆったりと過ごすつもりでいました。


「どうしましょう……」


 祖父江さんが困った声で言います。


 リビングの端には、大きなデスクトップパソコンが備えられています。利用客も自由に使えるものです。いまは祖父江さんが使っていて、パソコンの画面には、あるインターネットサイトが開かれていました。


 祖父江さんは腕を組んで、頭を左右に振っています。


 あまりに困った様子だったので、くーちゃんは祖父江さんの肩越しに、パソコンの画面をのぞきました。


 祖父江さんが見ていたのは、宿泊施設のレビューサイトでした。施設を利用した客が、感想を書き込むところのようです。サイトを通じて、宿泊施設への予約も行えるらしく、ゲストハウス星山も予約できるようになっています。


「見てください」


 祖父江さんが、ゲストハウス星山の感想ページを指さします。利用者の書き込みが見られる他、宿泊した感覚を☆一つ~☆五つで評価することもできるようです。ゲストハウス星山の評価は、☆三つ。


 ☆の隣には、(32)とあります。


 祖父江さんが言います。

「先週まで、この☆が四つありました。それが、今日見たら、三つになってて」

「それがなに?」

「星が多いほど、その施設に泊まってよかったって、利用者さんが思っているということです。星が減ったということは、その逆で……」

「ここの評価が下がってる?」

「そういうことです」


 祖父江さんは腕を組み、また別のページを開きます。「利用者の声」と題して、実際に泊まった感覚が、文章になっています。


 そのうちのひとつ。


『住み込みの子どもが不愛想で、うちの子どもが泣かされました。管理人さんは優しいし、価格も良心的、立地も良いのに、残念。家族利用は控えた方がいいと思います』


 住み込みの子どもとは、十中八九、くーちゃんのことでしょう。見ず知らずの人間に不愛想と揶揄されるのは鼻持ちなりません。が、この文言に心当たりがあります。それはきっと、以前くーちゃんがゲストハウスを飛び出したときにぶつかった男の子、その両親が書いたものでしょう。


 いますぐこの書き込みをした人間に天罰を与えに行きたい。


 でも、自分がやってしまった失態を注意されているのは面目ない。


 祖父江さんがマウスホイールを動かします。画面を流れる感想は、どれも、くーちゃんへの苦言ばかりでした。短い文面もいくつか見られます。


『もう行きません』


『がっかりです』


『くーちゃんなんて愛称、似合わない』


「それは関係ないでしょ!」

 くーちゃんが好きでつけた名前じゃないのに……


 祖父江さんは困り顔で、

「どうしましょう……」

 と、頬に手を添えます。

「あまり良い状況ではありません。ここの評価がそのまま、新規の利用者さんにとっての指標になりますし」


 祖父江さんはいくつか新しいページを開いて、別の評価サイトや旅行代理店のページを見ます。そこにある評価は、おおむね☆四つを維持しているようでした。


 くーちゃんが言います。

「他のサイトに変化がないなら、予約が減るなんてことないでしょ」

「そうとも言えません」


 祖父江さんは厳しい顔をします。


「最近の利用者さんは、たいてい、いくつもの評価サイトや代理店の情報を参考にして、予約をします。評価サイトごとに、こうも評価がぶれていると、さすがに不審に思うでしょう。それにみなさん、そういう情報は積極的に、SNSで広めますから」

「別にいいじゃない。利用者が減れば、あたし、人間と関わらなくていいし」

「くーちゃんはそうでしょうけど」

「第一、ここ、経済のルールには従ってるけど、採算を取る気はないんでしょ?」


 ゲストハウスを継続利用しているのは、管理者である祖父江さんをはじめとして、ナルちゃん、タロウくん、くーちゃん、そしてヒバリの五人です。ヒバリ以外は、人間ではなく天使ですから、人間のようにお金のかかる生活にはならないはず。採算を取る気があるのなら、継続利用者であるヒバリから、月一万円しか支払ってもらっていない(しかも半月以上滞納している)のは、おかしな話です。


 祖父江さんがうなずきます。


「このゲストハウスは、わたしが地上を観察するための仮住まいのようなところです。当初は、採算を取るつもりがなかったので、利用者が多かろうと少なかろうと、たいして問題にはしていませんでした」


 ですが、と、祖父江さんは眉をひそめ、


「くーちゃん、天使の力を使って、地上の寒さがわかるようになりましたよね。くーちゃんだけじゃなく、ナルちゃんやタロウくんも、同じようにしている、というのもわかりますか? タロウくんはまだ余力があるみたいですけど、ナルちゃんに関しては、すでに天使の力を使い切っています」


 祖父江さんが息をつき、


「みんな、毎日、自分の部屋で暖房を使っています。それに、くーちゃん、夜寝るときに、電気を点けっぱなしにしていますよね。ちゃんと切るよう、言ったはずです」


 くーちゃんが押し黙ります。


 祖父江さんはそれを肯定と見て、


「共用スペースには、空調と床暖房が使われています。くーちゃんはまだ大丈夫ですが、ナルちゃんはいろんなことで身体が汚れます。お風呂に入ったり、服を洗濯したりしたり……その都度、水が使われ、給湯器が使われ、総じて、電気とガスが使われています。人間の社会で暮らす以上、光熱費、というものが、ほぼ必須なんです。これまでは、ナルちゃんとタロウくんの稼ぎも合わせて、なんとかやりくりしていました。でも、くーちゃんが来て、いつもより人間の技術に頼るようになりました。一層、ゲストハウスを維持するためのお金が必要になっています。少ないですが、国への税金も納めています。ゲストハウス自体の稼ぎが必要なんです」


 つまり、利用者の数が減るのは、死活問題なのです——ゲストハウスにしても、くーちゃんにしても。


 くーちゃんは言います。

「ヒバリが滞納している分を、さっさと回収すればいいじゃない。月一万円じゃなくて、十万円くらいもらっても、ばちは当たらないでしょ」

「いいえ」

 祖父江さんがきっぱりと言います。

「ヒバリさんはあれで適正価格です。彼女は特別です。あれ以上、彼女を追い詰める真似をしてはいけません」


 くーちゃんは二の句を継げませんでした。河原で行き倒れていたところを助けたくらいです。祖父江さんにはきっと、ヒバリに思い入れがあるのでしょう。


 その日は結局、新しい利用者が来ることなく、夜になってしまいました。

 途中、電話が鳴って、祖父江さんが対応しました。

 対応を終えた祖父江さんは、

「明日の団体様が、キャンセルになりました」

 と、残念そうに目じりを下げていました。その団体が、はたして例の評価サイトを通じて、ゲストハウス星山に宿泊予約を取ったのかは、定かではありません。



 くーちゃんはひとり、退屈で、自室のベッドに寝転がっていました。

 掃除をする必要も、人間を前にやきもきすることもありません。

 くーちゃんはぼうっと、カーテンの隙間から漏れる日差しが床を照らし、少しずつ角度を変えていくのを眺めていました。それに飽きたら、ヒバリからもらった十円玉を取り、指で弾いたり、手の中で転がしたりしました……が、それにもすぐ飽きてしまいます。


 人間の相手をしなくていいのは、とても気楽です。

 しかしどうにも、その気楽さの裏に、祖父江さんの困り顔がちらついて、離れません。


 気づけば、くーちゃんは洗濯室に向かっていました。

 バケツに水を汲み、ぞうきんを絞り、黙々と廊下を拭いていきます。

 ガラス戸には夜の暗さが広がり、鏡のように、くーちゃんを映しています。暗いガラスに映る自分に向かって、なにしてんの、と思いながらも、くーちゃんは止まりませんでした。


 そのうち、タロウくんが帰ってきました。タロウくんが歩くたび、右手に持たれたコンビニのビニール袋が、がさがさと音を立てます。その音がくーちゃんの前で止まります。


「なにしてんの」


 タロウくんがはじめて、くーちゃんに声をかけました。


「見てわからない?」

「口悪ぃな、おまえ」

「あんたもでしょ」

「……祖父江さんにやらされてんの?」

「さあ、どうかしら」


 くーちゃん自身、いまの自分の行動がよくわかっていないので、あいまいな返事しかできません。


 タロウくんは階段の縁に腰掛けて、同情するように鼻を鳴らします。


「監視役の言うことなんて、聞かなくていいぞ」

「だれのこと?」

「祖父江さん」

 タロウくんが言います。

「祖父江さんは、大天使様に遣わされて、地上に落ちた天使を監視するために、ここにいるんだ」


 ナルちゃんとはまた違う視点です。


「おまえ、このゲストハウスのこと、どう聞いてる?」

「人間を泊めるところでしょ」

「能天気だな。あのな、ここは、天使の監獄なんだよ」


 監獄——罪人をとらえ、隔離するための場所——その言葉の重い響きに、廊下じゅうの空気が行き場を失くしたように、静まり返ります。くーちゃんが顔を上げると、タロウくんはうつむいて、右手のビニール袋を力なく揺らしていました。


「天界に置いておけなくなった天使を、地上に縛りつける、それだけのために、このゲストハウスはある。人間を格安で泊めるとかなんとか、そういうのはぜんぶ隠れ蓑だ。耳心地のいい言葉を使って、おれたちをだましてる」

「でも、大天使様は、答えを見つければ天界に帰してくれるって……」

「おいおい、あんなの真に受けるな。あのアマが答えのない問いを出したって、ナルちゃんに聞いただろ」

「それは推測でしょ、真実じゃない」

「じゃあ真実を教えてやる——おれたちは天界に帰れない」


 くーちゃんは言い返せませんでした。ナルちゃんと話してから、その可能性があるというのが、ずっと心に残っていました。


 これ以上話せない、と思ったのでしょう、タロウくんが立ち上がります。


「まあ、気楽にやれよ。おれたちは、未来永劫、地上の民なんだ。お偉いさまの言いなりになってばかりじゃ、息が詰まる」


 タロウくんは階段を上り始めます。


 くーちゃんは気になって、タロウくんの背中に問いました。


「あんたは、どんな問いを出されたの」


 階段の半ばで、タロウくんは立ち止まり、顔だけ振り向きます。


 そして一言、


「働くとは、どういうことか——そんなもん、クソほども興味がねえ」


 タロウくんは、一段飛ばしに、階段を上っていきました。

閲覧ありがとうございます!

次回もよろしくお願いしますm(__)m

内容が気に入れば、どうぞ、SNS等で広めてください。


*順次投稿していきます。

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